神社でゲームソフトを願う人間はいるだろう。ただそれは、相手が神だからだ。
人間の、しかも身近な相手の、位牌にするような行為ではない。
「一昨日は陸、お母さんが行きたいって言ったレストランの食事券をプレゼントしてくれたでしょう? 昨日お母さんこっそりね、お買い物ついでに遠出して食事してきたの! 物凄くおいしかったわぁ! 陸は本当にいい子ね」
優斗の表情は、はっきりと恐怖で硬直していた。友理奈の行動が理解できたからだ。
友理奈は自身を、無類の欲しがりだと自負していた。だからこそ望んだのだ。
三科家が有していた、座敷わらしを。
だが三科家そのものに憑いている座敷わらしを、赤の他人である友理奈が使役することなどできるわけがない。きっと半狂乱になって、その事実に怒り狂っただろう。むしろそのまま、座敷わらしなどおとぎ話だと、理屈をつけて諦めてくれたならよかった。
ただ、友理奈はそうしなかった。
「座敷わらしの持ち物だったっていう変な筆入れは、祀ったところで何の役にも立たなかったけど──三科家のしきたりを聞いていてよかったわぁ」
恍惚とした声が、扉の向こうから漏れてくる。
「家族に不幸があったとき、火葬するまでに飲食すると別の親族も死ぬだなんて。眉唾だと思っていたけど──本当でよかったわ。陸は自分が三科家の人間だなんて知らないから、いつか三科で不幸があっても、絶対に食事はとるものね。そうしたら確実に連鎖は起こる。きっと……陸はお母さんより先に死んじゃうだろうなって思ってた。陸は座敷わらしの子孫だもの。あなたも座敷わらしになれるんじゃないかって思ったの」
含み笑いで紡がれる言葉が、粘菌のように扉のすき間から這い出ているように思えた。
この恍惚は、形容し難いまでの強欲だ。ビタビタと這いずり、知覚外からターゲットを取り囲んで、やがて飲みこんでしまう。わなわなと震えた唇と手足の原因が、怒りなのか、恐怖なのかすら判別できず、優斗は壁に背中を預けたまま天を仰いだ。
「陸がお母さんを大好きなまま、お母さんを想ったまま逝ってくれてよかったわ。陸の名前はね、リクエストのリク。お母さんのリクエストに、なんでも答えてくれるいい子になるようにってつけたのよ。だからね陸、今度はあのバッグをお母さんに──」
最後まで聞くこともできず、優斗はその場から逃げ出した。もはや足音に気を配れるほどの余裕もなくトイレに駆けこんだ優斗は、その直後、盛大に嘔吐する。
何度も迫り上がるものを吐き出し、やがて吐くものがなくなっても、優斗は便器を抱えて嘔吐(えづ)き続けた。苦しさで落ちる涙を拭うこともできず、脳の隅で、豊の言葉を思い出す。
いつか、助けてあげて。
これは──陸のことだ。
ひどい意味を込めて名付けられた友人。名付けから呪いをかけられていた陸。だとしたら豊のように別の名前を与えても、きっと陸は解放されないのだろう。
それが無性に腹立たしかった。
「助けてあげてって、どうしたらいいんだよ……! もう俺には父さんも母さんも、いろんなことを教えてくれる賢人さんだっていないんだぞ!! そんな俺が、どうやってあんな人から陸を助けられるって……!!」
背後で床板をスリッパが滑る音がした。
「優斗くん、大丈夫? さっき和室の前に来たかしら」
にこやかな声だ。けれど今はもう、耳にするだけで粘つくように響く。
友理奈が背後に立っただけで、優斗の涙は蛇口を閉めたように止まってしまう。
振り返った優斗の表情は、苦笑いだった。
「すみません、体調が悪いみたいで……。薬をもらおうと思って部屋の前まで行ったんですけど、我慢できなくて吐いちゃったんです」
「大変、大丈夫? 服は汚れてない? なにか悪いものでも食べさせちゃったかしら」
「全部吐いたんで、もう大丈夫です。うがいしたら、陸の部屋に行きますね」
「そう? 分かりやすい場所に薬を出しておくけど、遠慮しないでね。あなたは名実ともに、稲本の家の子なんだから。あの部屋も陸のものじゃなくて、あなたのものなのよ」
満面の笑顔に、また喉奥に苦いものを感じたが、優斗はそれを飲みこんで、引き攣った笑顔だけを見せた。叫び、罵倒し、この家から飛び出したいとも思ったが──優斗の相続した三科家の財産は、保護者であるという名目で友理奈が管理している。優斗が出奔したとしても、それを素直に優斗に返すとは思えなかった。
その財産すら座敷わらし、豊の犠牲の下に形成されたと考えれば複雑な思いだったが、ただの中学生である優斗が生きていくためには、例えいくらか掠め取られたとしても、丸ごと投げ出すわけにはいかない。
なにより、これからの優斗に必要なものも相続されている。
「本宅にはまだ入る気になれないけど……今度、親戚が住んでいた別宅に行ってきてもいいですか? 貴重な本がたくさんあるから、せめてあそこだけでも整理してあげたくて」
別宅にある賢人の蔵書は、座敷わらしに特化している。陸を救う手立てがあるとしたら、むしろあの場所にしか望みはないはずだと思えた。
「ええ、もちろん! あなたを育ててくれた家族の家だもの」
まだ幼さの残る背をさすりながら洗面に誘導する友理奈の表情は、ひどく粘ついた笑みを浮かべていた。
「毎週でも通えばいいわ。高校に上がってバイクに乗るようになれば、雨の日も雪の日も通えるもの。ただ──事故にだけは、遭わないようにしなくちゃねぇ」
にたついた声色が鼓膜を震わせた瞬間、すとんとなにかが腑に落ちた。
友理奈はやはり、優斗のことも愛してはいない。遺産を目当てに、遠からず命は狙われるだろう。恐らくは事故として。
もしかしたらそれは、友理奈の座敷わらし──陸によるものかもしれない。それはあまりにも残酷で、真実味のある予感だった。
── 完
コメント
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強欲毒婦の一人勝ち……! 数百年にわたって豊の様に使役される可能性もあるしほんと救われない……