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麗太
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──ある朝。
ギィィ……
ドアノブを回す音。
いつもの朝、いつもの動作です。
私──カエデは、あわただしく玄関のドアを開けました。
「やばっ、遅刻する!
テレビ消して……上着羽織って……」
その瞬間──!
シュパッ!!!!!
足元に魔法陣が現れ、青白い光が床から這い上がりました。
やがて──私の体を包み込みます。
「え!?」
視界が回る。体が浮く。
そして──
「ちょ、待って!? なにこれ!?」
ゴチン☆
突然、知らない床に頭をぶつけました。
「いったぁああああ!?」
◇◇◇
──魔王の住むタマイサの常闇のダンジョンより、はるか西。
鉄板の熱と、笑い声と、なぜか常にソースの匂いが漂う国。
その名も、オサカ。
「勇者様や!!」
「出たで! 伝説の勇者様や!!」
耳には聞き慣れない言葉。
鼻には、ソースの匂い。
白と黒のシマシマ柄のローブを着た魔法使いたち。
……なんでみんな、野球の応援団みたいな格好なんだろう?
「召喚陣、反応してるわ!」
「せやけど……あの子、よう見てみぃ!」
「なんやあの装備……!? 右手になんか『黒い棒』持っとるで!?」
「左手には『三角形の刃』や!」
「足元は……布製……!?」
「音を殺す”暗殺用の戦靴”や!!」
「間違いない、フル装備や!!」
「……いや、スリッパやで?」
「黙れ!! 伝承を汚すな!!」
私は魔法陣の中心で、呆然と立ち尽くしていました。
「え? えええ?……これって!?」
周りを見渡します。
石造りの部屋。
床に描かれた発光する魔法陣。
そして、自分の格好を見ました。
足元には、愛用のピンクのスリッパ。
うさぎの刺繍入りです。
右手には、テレビのリモコン。
左手には、なぜかクリーニング屋の黒いハンガー。
「……え? なんで?」
記憶を巻き戻します。
そうです。
テレビを消そうとしてリモコンを握りしめ、
上着を取ろうとしてハンガーごと引っこ抜いて、
そのままドアを開けたんです。
「……あ、またリモコンとハンガーとスリッパで出社しかけたのか……」
三回目でした。
私は頭を抱えました。
「……ってここどこ!?
……もしかして? 異世界転移ッ?……マジッ!?」
◇◇◇
──それから数時間後。
私は城の一室で、窓の外を眺めていました。
ここはオサカという国らしいです。
たこ焼きの匂いがして、人は陽気で……
うん。今のところ、異世界感が薄いかな。
ただの道頓堀かもしれません。
でも、モンスターが活性化して魔王が復活したとかで、
みんな焦っているらしいです。
……でも本当のところは、誰にもわからないみたいでした。
元の世界に帰るには、魔王を倒さなければならないらしいです。
「はぁ……本当に私なんかに魔王を倒せるのかな……」
思わず漏れたため息と一緒に、窓ガラスに額を押し付けました。
冷たい……。
でも、この感触が、現実味を少しだけ取り戻させてくれます。
じわっと、窓ガラスに白い息がかかって曇っていきました。
「帰りたいな……お父さん、お母さん、みんなに会いたい……」
左手に持ったままのハンガーが、カチャリと窓枠に当たりました。
右手のリモコンを強く握りしめます。
目に涙が浮かんできました。
視界が滲みます。
外の景色が、ぼやけていきます。
(なんで、私なの……?)
頬を伝う涙が落ちそうになった、その時でした。
『……おい。泣くなや』
窓ガラスの曇った部分から、湿っぽい声がしました。
「えっ?」
私は涙をこらえて、窓を凝視しました。
すると、私の吐息で曇ったガラスの表面に、
水滴でできた小さな顔が浮かび上がっていました。
半透明で、常にジメジメしていて、なんか涙目です。
「誰……?」
私は右手のリモコン、左手のハンガーを構えていました。
無意識でした。
『ワイか? ワイは窓の結露の精霊、ケツロウや』
「け、結露の精霊……?」
『せや。結露や。湯気の野郎とはちゃうで!?』
「湯気にも精霊が!?」
ケツロウと名乗る水滴の顔は、ガラス面をツーッと滑り落ちそうになりながらも、必死に留まっていました。
「え? 精霊ってもっとこう……火とか水とか……結露?湯気?」
私は戸惑いを隠せませんでした。
『アホか! 結露も立派な水属性や!』
ケツロウさんは窓ガラスの上でプルプルと震えながら反論しました。
『お前な、水属性いうても色々あるんやぞ?
「清流」とか「湧き水」みたいなエリートもおれば、
「泥水」とか「下水」みたいな汚れ仕事もおる。
ワイら「結露」はその中でも……こう……「隙間産業」的なポジションなんや!』
「隙間産業……」
『上にはおるで? 「霜」の精霊とか「氷柱」の精霊とか、
見た目でマウント取ってくる連中が。
ワイが「俺、結露です」て言うたら、
「あ……ガラスに貼り付いてる人ね」て顔されんねん。
あの顔が忘れられへん……!』
「……そ、それは……つらいですね……」
『ワイかてな……本当は……』
ケツロウの声が、急に湿っぽくなりました。
『本当は……冷たくて美味しい「クリスタルガイザーの精霊」とか
「エビアンの精霊」とかになりたかったわ……!
……泣いてへん!!これは結露や!!』
「そうですか……」
『んでな? カエデちゃん、頼みがあるんやけど──』
「え。嫌です」
私はため息をつき、近くにあった布で窓をサッと拭きました。
『言い終わらせろやァァァ!? せめて聞いてから断れや!!』
布の中から、湿った声がしました。
「……生きてる」
『結露やからな! 拭かれ慣れとるわ!』
*
私は拭いた窓の外を見上げました。
「……はぁ。異世界の精霊って、なんか世知辛いなぁ」
涙はまだ頬に残っています。
でも、なんだか少しだけ笑えました。
ケツロウさんのおかげで、少しだけ寂しさが紛れた気がします。
……あとで布、絞ってあげまようかな。
あなたの夢はクリスタルガイザーだったよね?
──そして、こんなとき、ふと頭の中に浮かぶのは、いつだってあの子でした。
(……サクラだったら、どうするかな)
私の親友は、いつも強かった。
いや──本当は強いんじゃなくて、
弱さを吹き飛ばす勢いがあっただけかもしれないけど。
《迷った時はね、私ならどうするか考えなさい。ロクな案は出ないけど、元気だけは出る》
いつもの呆れた笑顔で、私にそう言っていました。
「……ぷふっ」
思わず声が漏れました。
涙が頬を伝りました。
でも、今度は不思議と苦しくなかった……
「ほんとサクラって、いつも無茶苦茶だったよね……」
あの日、「明日早い」の一言で誘いを断った自分を、
ハンガーで叩きたくなります。
(会いたいなぁ……サクラもこの世界に来てたりして……)
「まさかね……でもサクラなら……
きっと魔王になってるわね……あはは」
そう呟いて、私は持ってきたリモコンとハンガーとスリッパを見つめました。
「私、カエデ。普通の女の子……
私も、少しだけ無茶苦茶になってみようかな」
サクラならきっと、泣き言を言う暇があったら殴ってます。
私は鏡の前でポーズを取りました。
左手のハンガーを振ってみます。
ピュンッ!
風を切る音がしました。
「……これ、凶器じゃん……やば……」
スリッパを脱いで振ってみます。
シュッ!!
「あれ……」
もう一回振ります。
シュッ!!
「……これ、武器じゃん……
だからテレビでみんなスリッパで殴ってたのか!」
胸の奥から、確かに勇気が湧いてきました。
そして、なんとなくリモコンの「電源」ボタンを押してみました。
「……魔王のスイッチ、これで切れないかな」
ピピッ!!
*
【同刻・タマイサ常闇ダンジョンのサクラ】
ガコンッ!!
「痛ッ!?」
サクラの頭上から、タライが降ってきた。
「……なにこれ!?」
「お姉ちゃん、私じゃないよ!?」
《天の声:世界の謎は深い》
ポンコツコンビ、大パニック。
《天の声:次はBSを押すな》
*
【同刻・オサカ国のカエデ】
私は三種の神器、スリッパ・ハンガー・リモコンを抱きしめたまま、ベッドに倒れ込みました。
「あ……お腹すいたな……」
異世界に舞い降りた女勇者。
装備は生活用品フルセット。
本人は、運命が近づいていることにすら気づいていません。
*
【*観測ログ:異常干渉を確認。】
【*入力源:不明】
【*警告:チャンネル操作を検知。】
闇の底で、何かが笑った。
「……二つめ」
◇◇◇
誰も、まだ知らなかった。
この天然勇者が、世界の運命にリモコンを向けてしまったことを。
(つづく)
◇◇◇
──【今週のサクラ語録:カエデの心の支え】──
『迷った時はね、私ならどうするか考えなさい。ロクな案は出ないけど、元気だけは出る。』
解説:
カエデが長年かけて学んだ、サクラ式の処世術。
正直、ロクな案は本当に出ない。
でも不思議と、元気だけは出る。
理由は今でもわからない。
たぶんサクラ本人にもわからない。
それでいい、とカエデは思っている。