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会談が徒労に終わった頃には飴色の黄昏が大地を抱擁し、今宵の寝床をモーニアの岸辺に見つけた渡り鳥がさざ波に煌めく水面に降り立っていた。


テネロードの四人の使者は迎賓館へと招かれ、一夜を明かすこととなった。側仕えに過ぎないのに国賓の待遇を受けることになり、ユカリは心震わせていたが、同時にアクティアの心境を思って落ち込んだ。祖国に賓客の扱いをされることは侮辱に他ならないだろう。またそれはこの期に及んで、徹底的な拒絶を示すためだけに、自国の王女を送り返すことを意味している。

しかしアクティアは食事の時も入浴時も一切陰ることなく品位を保ち、太陽よりも明るい面持ちでむしろ大図書館に入れなかったことを憂うユカリを励ましさえした。


ユカリとベルニージュに与えられた部屋は、これまでに想像したどの寝室よりも華やかだった。

特徴的な木々と野原を図画化した模様が描かれている毛足の長い我々の土地テロクス産の絨毯カーペット。足の高い寝台には柔らかな羽毛の詰まった敷布団マットレスしとねは錦。壁には落ち着きある色合いの波模様。書机の他に鏡台まで用意され、どれも繊細な刳り型で装われている。


ユカリは勢いよく寝台に飛び込む。全身でその雲のような柔らかさを感じる。


「夢のような肌触りです。少しもお気楽でいられる状況ではありませんが」


壁を撫でているベルニージュをユカリは目で追う。

ベルニージュは貴重な陶器に触れるように窓枠に触れ、シグニカ辺りの聞き取りにくい言葉を呟く。調度に触れ、絨毯は何度か強く踏みつけ、天井を仰いで睨みつける。

そのまま何も言わずにベルニージュは扉を開けて露台に出ていき、代わりにグリュエーが吹き込む。


「どうだった? ユカリ。当ててみせようか。上手くいかなかったんでしょう」

「何で分かったの?」

「そういう顔してる」

「そんな馬鹿な」と言ってユカリは両手で顔を隠す。

「図書館には入れないんだね」

「うん。図書館に入る許しを得られなかったよ」


グリュエーは「あはは」と笑いながら寝室を出て行き、代わりに戻ってきたベルニージュにユカリはおそるおそる尋ねる。


「何をしているのか、聞いても良いですか?」

ベルニージュはユカリのそばに仰向けに寝転がって答える。「聞かない方が良いと思うけど」

「じゃあやめておきます」と断ってユカリは怖気を震う。


ベルニージュが笑う。「そういえばユカリ、また怒りそうになってたね。今度はこっちの外交官相手にさ」

思い出して、ユカリはまた頭の中が煮立った。「まさかテネロードの陣営で聞いたようなことをこちらの会談でも聞かされるとは思いませんでした」

「パーシャ姫はすこぶる評判が悪いね。まあ自国でさえ、あの人望だから、覚悟はしていたけど」

「それにしたって国の都合で振り回している人物をあんな風に言うなんて。自分たちが必要としている人を貶すなんて人倫にもとるというものです」

「見知らぬ人に感情移入しすぎだよ。もしかしたらとんでもない悪女かもしれないよ?」


もしかしたらそうかもしれない、とユカリは想像する。両国から貶されるなど滅多なことではない。しかしアクティアのパーシャ評は幼い頃のものとはいえ全く違うものだった。この六年間でそれほど変わったのだろうか。いや、テネロード側の評判も幼い頃のものだ。比較された他の王子、王女の偉業については分からないが。

ユカリは名状しがたい感情を抑え込むように、敷物に顔を埋める。


「その時はその時にまた判断をするんです」


華麗で絢爛な寝室に沈黙の幕が下ろされる。

ユカリは耳を澄ませる。窓ががたがたと風に揺れるが、窓蓋ががたつかないようにするおまじないを使う気にはなれなかった。


ユカリが顔を上げ、何かを言おうと口を開きかける直前、ベルニージュが身を起こして唇に手を当てる。ゆっくりと立ち上がり、鏡台の方へと歩いていく。その瞳はそこにない何かをしっかりと見据えている。


ユカリも身を起こして寝台を降り、足を忍ばせて様子を伺う。


ベルニージュが鏡を指さす。ユカリも覗き込むと鏡の中の部屋に、夜の切れ端のような黒い蝶がひらひらと舞っていた。ユカリはすぐに振り返るが部屋に蝶など飛んではいない。再び鏡に視線を戻すとやはり鏡の中の部屋に黒い蝶が飛んでおり、しばらくして寝台に止まった。陰鬱な黒い羽根に金刺繍のような複雑な模様が描かれている。


ベルニージュは黙ったまま手振りで「叩き潰せ」とユカリに指示する。

ユカリはこくりと頷くと、指示に従い、寝台の方へ移動する。そして寝台の上に手をかざす。ユカリからは角度で見えなくなった鏡を覗き込むベルニージュの指示を受けて、ついに鏡の中の黒い蝶がとまっていた辺りを引っぱたく。ユカリは見えない何かの冷たい感覚に触れた。


「一体何なんですか?」ある程度想像はついているがユカリは尋ねる。

「盗み聞きする呪いじゃないかな。やっぱり罠を仕掛けておいてよかったよ」


そう言うと、ベルニージュは伸びをして寝台に座る。


「これ、大丈夫なんですか?」とユカリは魔法の蝶を叩いた手のひらを見つめる。


まだ冷たいような気がした。


「大丈夫だよ。しばらく花の蜜には近づかないでね」

「本当に大丈夫なんですか!?」


ベルニージュは朗らかに笑うだけなので、とりあえす大丈夫だろうとユカリは思い込むことにし、再び寝台に今度は仰向けに寝転がる。


ベルニージュは尋ねる。「それで、どうする?」

「どうしましょう。やっぱりこれだけ拒まれたうえに怪しまれるということは、守りも堅いんでしょうね」とユカリは答える。

「ワタシたちが怪しませたようなものだけどね。というかやっぱり侵入するつもりなんだね。ならなおさら黙って侵入した方が楽だったかもしれないのに」と言って、ベルニージュはユカリの腹を枕に寝転がる


似たようなことを、ビゼかパディアにワーズメーズでも言われたな、とユカリは思い出す。


「穏便に済む可能性がないわけでもないので」

「あはは」とベルニージュは笑う。「そんな可能性ないってば。間違いなく大図書館にパーシャ姫がいるし、ここまできたらハウシグ王国がパーシャ姫を譲る可能性は皆無。そして、それゆえに理由の如何なく大図書館に人を入れたりはしない」


ユカリはベルニージュの言葉に反駁せず呑みこむ。困難だから諦めることはあっても、困難かもしれないからといって諦めたくはない。でもそのために別のやり方が困難になるのだとすれば我が儘に過ぎないのだろうか。


「でも、どうあっても蔵書を手に入れます。その、ベルニージュさんのお母さんに……」

「ハウシグが滅ぼされちゃうもんね」

「滅ぼされちゃうんですか!?」とユカリは驚いた。

「言葉の綾だよ。徹底抗戦でもしない限りは大丈夫。無駄なことはしない主義の人だから。それこそ無抵抗に門を開けてくれれば問題解決だよ」

「たった一人の魔法使いがそれほどの力を持っているんですか? 何者なんですか? ベルニージュさんのお母さんって」

「何者なんだろう。世捨て人なのは間違いないけど」


ベルニージュの母がベルニージュの母だとベルニージュが知っているのは、その記憶を失わなかったからなのか、失ったのちに知らされたからなのか。ユカリは聞けなかった。

ユカリはベルニージュの記憶がどの程度喪失しているのか分かっていないことに気づいた。もしかしたらベルニージュ自身も分かっていないかもしれない。その可能性に気づいた。


「なんかごめんね。迷惑かけちゃって」とベルニージュが珍しくしおらしく呟く。

「私のことなら気にしないでください。ここまで沢山助けられましたし、ベルニージュさんのことも助けたいですし」

「助けるって何から?」

「ええ!?」と言ってユカリが上半身を起こすと、ベルニージュは太ももまで転がっていく。「記憶喪失の件ですよ」

「ああ、それね。別に痛くも痒くもないからさ。そりゃあ、取り戻したいといえば取り戻したいけど」

「そういうものなんですか? 何かこう喪失感、みたいなものはないんですか?」


そう聞いておきながら、ユカリは過去世の記憶が完全に手に入っていないことに対して特に喪失感などないことに気づいていた。


「どうだろう。普通の記憶喪失ではないもんね。ワタシの場合は魔導書相当の魔法によるものだから、もしかしたら記憶喪失であることに不快感を感じないことも込みの呪いかもしれない」

「私、実は魔導書のことばかり考えていて、ここの図書館でベルニージュさんの記憶喪失について分かるかもしれないことを失念していて、反省していたんですけど」

「それは今後も反省し続けて」

「ごめんなさい」

「冗談だよ。それよりどうする? 完全に日が暮れてからにする?」


ユカリは窓の外の景色を眺める。黄昏は天地の国境で最後の輝きを放っている。


「いえ、暗くなれば警戒心もより強くなるかもしれません。今から行きましょう」

「よし来た」と言ってベルニージュは跳ねるように寝台を下り、露台へ出て行く。


ユカリもベルニージュを追う。


露台から聖ジュミファウス図書館が見える。迎賓館どころか離宮や王城にも引けを取らない大建造物がハウシグ市の東地域に聳えている。暗くなるまでには間に合いそうにない距離だ。


視界の端で何かが動き、ささめくように呼びかけていることにユカリは気づく。隣の部屋の露台の欄干からアクティアが身を乗り出している。


「ユカリさん。ベルニージュさん。わたくしも連れて行ってくださいませ」

「殿下」ユカリも欄干に走り寄る。「何をおっしゃってるんですか。危ないですよ」

「百も承知です。わたくしはパーシャ様にお会いしたいのです。ハウシグ王国の王女として、我が祖国と祖国の平穏の為に」


そう言って、アクティアは欄干によじ登る。隣の露台まで、とても飛び越えられそうな距離ではない。


「グリュエー。殿下をこちらに」


力強く柔らかな風にアクティアは持ち上げられ、露台から露台へ吹き寄せられ、軽業師のようにふわりと飛び越えると、こちらの欄干へと着地する。そしてユカリの手を取って、上品に降り立った。

ユカリの手を取る華奢な指が堅く握る。


「今のは魔法ですか?」とアクティアはユカリに尋ねる。

「ええ、そんなようなものです」

「やはり先生のご息女のご友人ですわね。心強いことですわ。どうかよろしくお願いしますわね」とアクティアは言った。


たまらずユカリはベルニージュに助けを求めて視線を向けるが、口を噤んで何も言わない。自分で決めろ、という意味だ。


「もう無茶はしないでくださいね」とユカリは言いつける。

「はい」と言って微笑むアクティアの尊容かおは目も眩む美しさと心まで潤う若さが迸るように輝いていた。

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