コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
そんな約束を交わして間もなく、互いに年末の繁忙期に入ってしまった。おかげで互いの都合を合わせにくくなる。
宗輔が担当した契約書類は、彼に同行していた大宮経由で回されてきている。会社でも宗輔に会えず、寂しく思っている私の気持ちを慰めてくれたのは、彼との短い電話やメッセージのやり取りだった。休みになったら会おうと言ってくれた彼の言葉を励みにして、私は忙しい時期をなんとか乗り切った。そうして仕事が落ち着いた頃には、クリスマスは終わってしまっていた。
冬期休業に入る二日前の夕方、会社の前で同僚たちと別れて間もなく、バッグの中で携帯が鳴った。もしかしてと思いながら画面に目を落とし、たちまち頬が緩む。宗輔だった。私は急いで歩道の端に寄って電話に出た。
「お仕事、お疲れ様でした」
―― お疲れ様。今、帰り?
「えぇ、バス停に向かっているところなの」
―― そうか、気を付けて帰れよ。本当なら今日すぐにも会いたかったのに、納会なんてもののせいで……。
宗輔は不満そうに言う。彼の父の会社、マルヨシは、今日が仕事納めなのだ。彼は副社長でもあるから仕方ない。出ないわけにはいかないだろう。
「だけど、明日には会えるんでしょ?」
―― そのことなんだけど……。
電話の向こう側で、宗輔が言い淀む。
会えなくなったのだろうかと、急に落ち着かなくなる。彼にも様々な用事や付き合いがあるはずで、突然の予定変更も仕方ないとは思う。とは言え楽しみにしていたから、気持ちが落ち込みそうになってしまう。しかし、私は声を励まし明るく言った。
「何か急な予定でも入ったの?宗輔さんの用事を優先してね。私なら大丈夫だから」
聞き分けのいい女を演じているつもりはない。ただ、彼を困らせたくないと思う。
しかし電話の向こうから聞こえた声は、明らかに拗ねていた。
―― 会いたいと思っているのは俺だけなのか。
電話越しの甘い言葉に切なくなる。
「そんなことないの、分かってるくせに。私だって会いたいと思ってる。ずっとそれを楽しみにして仕事を頑張ったんだもの」
―― それならさ。
宗輔は続けた。そこに迷うような息遣いを感じる。
―― 明後日、うちに来ないか?
「明後日?」
―― 映画を見に行かないか?その後二人で買い物してさ、前に約束した通り、一緒に夕飯作って食べよう。何を見たいか、何を食べたいか、考えておいて。アパートには二時頃迎えに行くから、準備して待っていて。……返事は?
普通のことを言っているはずなのに、彼の言葉はいつもより早口だった。
はじめのうちはそれを訝しく思っていた私だったが、彼が口にした「約束」の中身を思い出して、俄かに胸がどきどきし始める。
「……分かった。二時ね。待ってる」
―― それじゃあ、明後日。納会はほどほどにつき合ってくるよ。
「行ってらっしゃい」
―― あぁ、行ってくる。……泊まる準備、してこいよ。
名残を惜しむような数秒の間の後、宗輔の電話は切れた。
携帯をバッグの中に仕舞いこみ、落ち着かない気分で私は帰宅した。
慌ただしく夕食を済ませた後、その時まではまだまだ時間があるというのに、泊まるための荷物を悩みながらまとめ始める。ひと通りの物をカバンに詰め込み終えてから、ふと思う。
彼と付き合い始めて最初のクリスマスだったのに、一緒に過ごすことができなかった。遅れてしまったが、せめてプレゼントくらいは渡したい。そう考えた私は、明日の帰りに彼へのプレゼントを探しに行くことを決める。
無事に仕事納めとなり、いつもよりも早い時間に会社を出ることができた。その足で早速プレゼントを買いに街中へと向かう。
そしてやって来た宗輔との約束の日。私はそわそわしながら午前中を過ごした。
約束していた時間より少し早く、宗輔から着いたという連絡が入った。戸締りを確認して、いそいそと部屋を出る。
彼の車はアパート脇の車道の端に止まっていた。車から降りて来た彼は、私の手荷物を見て照れくさそうに微笑んだ。
「準備してきたんだな」
ぼそっと言われて急に恥ずかしくなる。ごにょごにょと言い訳がましいことを口にしてしまう。
「約束だから」
宗輔は私の手から荷物を取り上げながら、嬉しそうに笑う。
「今日は佳奈とゆっくり過ごせるな。――さて、まずは映画に行こうか」
彼に促されて、私は車に乗り込んだ。
映画を見た後はスーパーに寄って、あれこれと食材などを見繕って購入する。
彼はそれを車に積んで、自分の部屋に向かって車を走らせた。数分後、アパートの駐車場と思われる場所に車を止める。
「着いたぞ」
私はどきどきしながら、いつものように彼が開けてくれたドアから地面に足を下ろした。
「ここ……?」
顔を上げて息を飲む。目の前にあったのは、マンションだった。当時この建物ができるとなった時、マルヨシが関わったという話を聞いたことがある。ここに住んでいるのはその関係だろうかと勝手な想像をする。
「ここの上の方の部屋だ」
彼の声に我に返る。
宗輔は私を促してエントランスを入り、奥に進んだ所にあるエレベーターのボタンを押した。
到着したエレベーターに乗り込み、ドアが閉まった後は、いつも以上に二人きりであることを意識してしまう。何か話さなければと追い詰められたような気持ちになる。
「ここ、マンションなのね。こんなに立派な所に一人で住んでいるなんて、私の部屋なんて恥ずかしくて見せられないわ」
「ここは賃貸で古いし、立派っていうほどでもないと思うけどね。それより、どうしたんだ。緊張してるのか?」
落ち着かない様子の私に気がついて、宗輔は身をかがめて私の顔を覗き込んだ。
「それはそうよ。だって……」
「引き返すなら、今のうちだぞ」
「……帰ってほしいのなら帰るけど」
「まさか」
宗輔は私の手をぎゅっと握りしめた。
「帰すわけがないだろ。一緒にいたい」
言葉を返す代わりに私も彼の手をぎゅっと握り返した。それだけが目的なわけではないけれど、この前の会話が思い出されて体中が熱くなってくる。
エレベーターを降りて、宗輔の後に続く。一番奥まったドアの前で彼は立ち止まり、ドアを開けた。
「さ、どうぞ」
私は息苦しいほど胸をどきどきさせながら、初めて訪れる彼の部屋に足を踏み入れた。