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もうだいぶ深い時間だったし、さすがに先輩らを含む女子たちは三次会行きを遠慮するだろうと思っていた。ところが彼女たちは、せっかくの機会だからこの後も一緒に行こうと言い、みなみを誘う。
しかし、帰りたかったみなみは断った。
「もう今夜はかなり酔ってるので、これで帰ります……」
「全然酔った顔していないよ。本当はまだ飲めるんじゃないの?」
酔った先輩たちの言葉をみなみは笑いながら否定する。
「そんなことないです、ただ顔に出ないだけで」
それは本当で、だいぶ酔っている自覚があった。人前で醜態をさらすわけにはいかないと、平気なふりをしているだけなのだ。
「どうぞ皆さんで楽しんで下さい」
「それじゃあ、またの機会に!おやすみ!」
彼らは強く引き留めることはせず、口々にみなみに声をかけ、信号が青に変わったばかりの横断歩道に向かって歩いて行った。
宍戸が心配そうにみなみの顔を覗き込む。
「送っていこうか?」
みなみは首を横に振った。
「大丈夫よ。タクシーで帰るから。それよりもほら、みんな待ってるみたいだよ?」
「おーい、宍戸!」
大声で名前を呼ばれて、宍戸は肩をすくめた。
「俺も帰りたいんだけど」
「気持ちは分かる。でも営業なら、先輩たちの誘いは断らない方が、後々やりやすかったりするんじゃないの?」
宍戸はうんざりしたように顔をしかめる。
「まったく、今どき体育系のノリとかやめてほしいよ。……それじゃ、気をつけて帰れよ。なんかあったらすぐ電話しろ」
「はいはい。お疲れ様」
再び宍戸を呼ぶ声が聞こえてくる。
彼は気がかりそうな顔でみなみを見たが、諦めたように自分を呼ぶ先輩たちの方へと走って行った。
「宍戸っていい人ね」
みなみはくすっと笑いながら、同期の後ろ姿を見送った。さて帰ろうかと、タクシー乗り場がある大通りに足を向けた時だ。
「岡野さん、待って!」
名前を呼ばれて、みなみはびくりとして立ち止まり、恐る恐る振り向いた。
「補佐?」
目を見開いているみなみに、山中は苦笑を見せる。
「ごめん、びっくりさせたよね。えぇと、岡野さん、で合ってるよね」
「はい。あの、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様」
みなみはどぎまぎしていた。目の前にいるのは、新入社員の彼女からすれば雲の上のような人だ。緊張のせいで酔いが一気に醒めそうだ。
「もしかして、これからタクシーを拾おうとしてる?」
「はい」
「じゃあ、そこまで一緒に行かないか。俺もタクシー拾うつもりなんだ」
「三次会には参加されないんですか?」
山中は苦笑を浮かべる。
「今夜はもう勘弁してくれって感じだよ。いつも以上に飲まされた。うちの連中は、飲み会っていうと容赦ないからね。――さ、行こうか」
「は、はい」
彼のやや後ろを歩きながら、みなみはそっと山中の様子を窺った。いつも以上に飲まされたと言うわりに、その横顔は凛としているし、足取りもしっかりしている。
「岡野さんと宍戸ってさ」
不意に山中から声をかけられて、みなみはどきりとした。目を上げると、肩越しに振り向いていた彼と目が合う。
「は、はい」
「二人って同期入社だったっけ?ほんと、仲がいいんだね」
恐らく一次会の時の様子を見ての言葉だろうと察し、みなみはため息交じりに答える。
「仲がいいと言いますか、あれは私が一方的にからかわれていただけなんです」
山中がくすっと笑う。
「そういうのを、仲がいいっていうんじゃないの?じゃれ合ってるように見えた。俺、同期っていうのがいないから、羨ましいよ」
「えっ!」
みなみはつい大声を上げてしまう。
「羨ましいなんて、どうしたらそうなるんですか?補佐、実はかなり酔っていらっしゃいますよね?」
「あはは。分かる?」
彼は楽しそうに笑う。
みなみは驚いた。初めに彼を見た時には取っつきにくさを感じたものだが、今の彼にはそれがない。
こっちの方が絶対好きかも――。
唐突に浮かんだ自分のセリフに戸惑った。「人として」という意味であって特別な意味は何もないのだと、すぐさま自分に言い聞かせる。それでも気持ちは簡単には落ち着かず、そのことにうろたえながら、みなみは山中の後ろを歩いた。
タクシー乗り場に着いた。そこに待機していた車は、一台だけだった。利用者がピークの時間帯だったらしい。みなみたちの他にタクシーを待つ人はいなかったが、これを逃したら次はいつ乗れるか分からない。
みなみはどうしようかと考えた。ここはやはり山中に順番を譲るべきだと結論を出す。
しかし、みなみの先手を打つように彼が言う。
「岡野さんが先に乗って」
「いえ、先に補佐がどうぞ」
「そんなわけにはいかないよ。こんな遅い時間に女性を一人残して男の俺が先に帰るなんてこと、あり得ない」
「いえ、ですがやはり、上の方である補佐から」
そんなやり取りの最中、「タクシーだ」と言う声が聞こえてきた。みなみたちがいるタクシー乗り場に向かって男女が歩いてくる。
山中もその二人に気がついた。みなみの背に軽く手を当てて早口で言う。
「間を取って、一緒に乗って行くっていうのはどう?ちなみに俺のマンションは鳥居が丘。岡野さんはどの辺り?」
「ですが……」
まだ躊躇する様子を見せているみなみに山中は苦笑する。
「今日会ったばかりの男と一緒に乗るのに、抵抗があるのは分かるんだけどね。早くしないと乗り損ねる」
そういう意味の抵抗ではなく恐れ多いからなのだと、本音が口から出そうになった。しかしみなみはそれを飲み込み、彼に頭を下げた。
「では、申し訳ありませんが、ご一緒させてください」
「もちろん。先に降りるのは岡野さんだから、俺は奥の方に乗るよ」
彼は先にタクシーに乗り込み、ドライバーに行き先を伝える。
「失礼します」
みなみは緊張しながら、山中の隣に腰を下ろした。
彼はシートに背中を預けるとすぐに、腕を組んで目を閉じてしまった。
それを邪魔しないように、みなみは黙って窓の外へと目を向けた。
車のエンジン音と車内に流れるラジオの音が、静けさを一層際立たせる。深夜独特のとろりとした空気と車の振動がとても心地よい。お酒の酔いも手伝って眠気に襲われそうになる。
車が交差点を左折した時、その揺れのせいで山中の腕がみなみの肩に偶然触れた。
そこから彼の体温が伝わってきて、みなみは胸の奥できゅっと小さな音が鳴るのを聞いた。
その感覚にどきどきしているうちにも、タクシーは走り続ける。
アパートが見えてきて、みなみは降りる準備をするために体を起こそうとした。ところが、突然右肩に重みを感じて困惑する。ゆっくりと首を回したそこには、山中の顔があった。
彼は目を閉じて、みなみの肩にもたれかかっている。
柔らかな彼の髪に頬を撫でられて、みなみの心はざわめいた。