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『芹。お前さ、今日暇?』
あれこれ物思いに耽っていたら、想に唐突にそう切り出されて、芹は思わず「へ?」と間の抜けた声を出してしまう。
無意識に駅を行き交う人の流れを分断するみたいに通路の真ん中に立ち止まってしまって、慌てて端っこに避けて再度「いま何て?」と聞き返した。
『いや、だから。今日暇か?って聞いたんだけど』
想にしては歯切れの悪い物言いに、芹は何だか落ち着かない気持ちになる。
「仕事終わって家に帰るだけだけど……何かあるの?」
具体的に言ってよ!という気持ちを込めて問いかけたら、想が『……うちで飯食わね?』と言ってきた。
「うちって……実家?」
『いや俺のアパート』
どっかに飯食いに行かね?でもなく、実家で一緒に飯でも食おうや、でもない。
アパートに食べにこないか?
兄が家を出て三年になるけれど、今までそんな誘いを受けたことはなかった芹だ。
「何を……企んでるの?」
恐る恐る聞いたら『別に……何も企んでねぇわ。ただ……』とまたしても煮え切らない返事。
「ただ、何よ?」
はぁっと吐息を落として告げた芹の声が、どこか棘を孕んでいても仕方ないだろう。
『いま、ゅ……いは……が来てんだよ』
「え?」
『だからっ! いまうちに結葉が来てるんだって! ――せっかくだし、久々に三人で飯とかどうよ?って誘い』
言われて、芹は完全にフリーズしてしまった。
(一人暮らしのお兄ちゃんの家に既婚者の結葉ちゃんが?)
(ってことは今、密室に二人きり⁉︎ それってまずいんじゃないの⁉︎)
そう思ったら「分かった。すぐ行く!」と答えてしまっていた。
駅から想のアパートまで徒歩十分。
走る?とか思っていたら、想から『金は俺が出してやるからタクシーで来い』と言われて。
実家の方への連絡も兄が入れてくれるらしい。
(何、この至れり尽くせり!)
そう思いながら、芹は駅前で客待ちをしているタクシーに乗り込んだ。
***
「想ちゃん……芹ちゃん、来るの?」
結葉からちょっと離れたところで妹に電話をかけた想だったけれど、思いのほか結葉が自分の家にいるという事実を告げるのに手間取ってしまった。
父親にだけは仕事に穴をあけることがあるかも知れないからと、前もって事情を話してあったから比較的話しやすいけれど、母と妹には結葉のことは告げていない。
ちゃんと順を追って話せば理解してもらえると分かっていても、それには結葉が置かれた状況を話す必要がある。
自分のことならいくらでも話せるけれど、結葉のことを――それが例え結葉と近しい間柄にあたる自分の家族であったとしても――ペラペラ話すのはどうかと思って。
だが、そういうのを飛ばして現状だけ話そうとしたら、既婚者の女の子を家に連れ込んで何をしてるの?と問われることは必至だったから。
結果気後れしてうまく言えなかった想だ。
「ああ。俺が買い物行ってる間、芹が居てくれたら結葉も安心だろ?」
芹は馬鹿な子じゃない。
根掘り葉掘り相手の都合を考えずに空気の読めない質問はしないはずだ。
きっと結葉が自ら話してくれるなら静かに聞くだろうし、それがない場合は後から想にそれとなく探りを入れてくるだろう。
とりあえず、今はそれでいいかと思った。
「芹ちゃんと会えるの、何年振りだろう」
芹が来ると知って、結葉はとても嬉しそうだ。
「結葉が結婚してからは会えてねぇだろ?」
「――じゃあ、少なくとも三年は会えてないんだね」
ほぅっと吐息を落とす結葉に、想は芹を呼んで良かったと思う。
「芹もおんなじ気持ちだと思うぞ」
言いながら、二人とも紅茶が好きだったな、と思ってヤカンを火にかける。
「南駅からタクシーで来るから五分も掛かんねぇと思うわ」
想がお茶の準備をしているのを見て、結葉が「手伝うことある?」と聞いてきて。
想は「じゃあ、さっき買ってきた食器ん中からマグ出してくんね?」と返した。
***
結葉を部屋に招き入れてすぐ、紅茶を淹れた際にマグカップの大きさが不揃い過ぎて様にならなかったのを覚えていた想が、柄は違うけれど同じシリーズのマグをふたつ、カゴに入れたのだ。
モール内に入っていた百円ショップで揃えた品だから、二つ買っても二百円と安価で。
同じ感じで結葉と使うことを想定してシチュー皿やパン皿なども全て二セットずつ買ったわけだけど。
(何か新婚さんっぽくて照れ臭かったっけ)
などと思ったのを思い出した想だ。
成り行きで同棲みたいなことをするようになってしまったけれど、最初は結葉を寝かす家に、寝泊まりまではするつもりのなかった想だ。
ただ、一緒には住まないまでも、結葉を安心させるためになるべく食事だけは共にしようと思って、食器類を揃えたわけだけど。
結葉はカゴの中に次から次に様々な陶器類を積み上げていく想に、「あるもので間に合わせるんで大丈夫だよ?」とひっきりなしにソワソワしていた。
「そうは言うけど考えてみろよ。サイズの違う食器によそったら同じもの食ってるって感じが薄れるじゃん? それに量とかの配分も難しくなんだろ?」
想のアパートにある食器は基本的にひとつずつの不揃い品ばかり。
同じものが何枚もない。
そもそも想は、基本的にあまり食事に頓着する方ではなかったから出来合い品を買って帰ることも多かったのだ。
二人で食事をするなら。
そうして家でちゃんと何かを作って食べるなら。
食器ぐらいは新調したいと思ってしまった。
そんな希望に後押しされて、もっともらしいことを言って、購入をゴリ押しした想だったけれど。
(ま、結葉は結婚してるし、俺みたいに馬鹿なことを思ってなかったのは当然だな)
家族以外の誰かと何かを共有する生活自体が初体験な想には、そんな些細なあれこれが結構ワクワクだったのだ。
正直、結葉とふたりでどれが使いやすいだろう?と食器類を吟味するのはなかなかに楽しかった。
***
百均で、ひとつひとつ割れないように備え付けの新聞紙で包んで持ち帰ってきた割れ物の入った袋を指差した想に、結葉はコクッとうなずいて。
上の方から順に、中身の見えない食器類を取り出しては床に並べていく。
明らかに平べったいのは皿系だろうから置いておくとして、何となく、包みの大きさと形からこれとこれがマグカップかな?と言うのを二つ手に取った結葉だ。
もしゃもしゃと新聞を解いてみると、ビンゴ。
どちらもマグカップの包みだった。
想のイメージからすると、どう考えてもシンプルデザインのマグの方が似合っていたのに、結葉が棚に並んでいるのを見て、思わず「可愛い」とつぶやいてしまった小鳥シリーズのマグを、想は迷わずカゴに入れてくれた。
水色地に黄色いセキセイインコが描かれているのが想ので、ピンク地にレモン色のオカメインコが描かれたのが結葉の、と言うことになっている。
改めて眺めてみても、(やっぱり可愛いな)と、思った結葉だ。
「あったか?」
たくさんの包みを袋から取り出して並べていた結葉に、想が近づいてきて。
結葉は「見つけたよ」と想に小鳥マグを持ち上げて見せる。
「とりあえず洗うから貸してくれるか?」
想に手を差し出されて、結葉は手にしたマグを想に手渡して。