テラーノベル
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「ついてきて!」と言われて強引に手を引かれ、連れてこられたのは静かな住宅街の中に立つごく普通の一軒家だった。「おじゃましまーす!」
「お、お邪魔します……」
靴を脱いで家に上がると、奥の部屋から1人の男の子が「遅かったな、鈴」と、さも当然のような様子で出迎えてくれた。その人物が頭脳明晰で知られる一ノ瀬玲央だとわかったのは、そう時間がかからなかった。
一ノ瀬玲央といえば、学校では“誰とも話さない孤高の男子”として有名な存在だったため、明里は正直かなり驚いた。けれど、鈴ちゃんと軽口を叩き合っている親しげな様子を見て、クラスで噂されていた「二人は幼なじみ」という話は本当だったのだと納得した。
「怜央くんの家には、よく来るの?」
「うん! 最近はほぼ毎日かな。だって怜央の家、楽器がたくさんあるんだもん!」
案内された部屋の扉を開けて、息を呑んだ。そこは防音設備が整えられた本格的なスタジオのようになっていて、ギターやベース、ドラムセット、そして何台ものシンセサイザーが所狭しと並んでいたのだ。
「これがキーボードね。普段の生ピアノとは鍵盤のタッチも音色も少し違うけど、基本的な指の動かし方は同じだからさ。……一回、弾いてみる?」
鈴ちゃんに勧められるまま、おずおずと鍵盤に指を置いて演奏してみた。
触れてみたキーボードは、鍵盤の絶妙な押し心地も、スピーカーから空間全体へ広がっていく音の広がり方も、何もかもが鮮烈で新鮮だった。今まで母のもとで叩き込まれてきた格式高いグランドピアノとは、まるで別物の楽しさがあった。
「……楽しい」
思わず感極まってぽつりと呟いた私に、鈴ちゃんは花が咲いたような満面の笑みを向けた。
「よかった〜っ!」
「下澤さん!改めてお願い。私と一緒にバンド組まない?」
差し出された鈴ちゃんの右手。私は一瞬だけ母の顔が頭をよぎって迷いを見せたけれど、すぐに覚悟を決めて深く頷いた。
「私なんかが……入っていいのかな?」
「そんなことより、鍵盤を叩いて楽しかった?」
「うん……すごく、楽しかった」
「なら何の問題もなし! 楽しいって思うならそれでよし!決定っ!」
それからというもの、私の放課後はいつだって鈴ちゃんと共にあるようになった。怜央くんの家に上がらせてもらって色々な音色に触れたり、帰り道の公園で夕焼けを見ながら音楽の夢を語り合ったり。
最初は輪から少し離れて無口だった怜央くんも、いつの間にか私たちの会話の中に自然と溶け込んでいた。自分から多くを語るタイプではないけれど、私や鈴ちゃんの話をちゃんと静かに聞いてくれていて、鈴ちゃんが強引に話を振ると呆れながらも律儀に返してくれる。言葉に出さずとも伝わる二人の強い信頼感は、どんな絆よりも深く、眩しかった。
「私ね、明里の演奏が本当に大好きなの」
秋の風が心地よいある日の放課後、鈴ちゃんがふと、愛おしそうにそう言った。
「えっ……私の演奏?」
「うん。明里の音って、一音一音がすごく優しくて、胸の奥深くまでまっすぐ響くんだよ。まるで作曲した人が曲に込めた想いを、明里が大切に大切に紡いで届けてくれてるみたいで……本当に綺麗」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥がじんわりと温かい感動で満たされていった。
ずっと私の肩に重くのしかかっていた「コンクールの評価」や「母からの過剰な期待」というプレッシャーが、鈴ちゃんの言葉ひとつでふっと軽くなった気がしたのだ。
(私はこの子と一緒に、どこまでも音楽を続けていきたい――)
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#異世界転移
花月夜れん
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心からそう思った。
やがて冬を迎える頃、隼人くんがバンドに正式加入した。
ベース初心者だった彼は、鈴ちゃんの熱烈すぎる応援と、怜央くんのスパルタな技術指導のおかげで、わずか一ヶ月足らずで一曲を完璧に弾きこなせるまでに成長した。明るく場の空気を一瞬で和ませてくれる隼人くんは、たまに熱くなって喧嘩しそうになる鈴ちゃんと怜央くんの仲を上手くなだめてくれた。
彼が加わったことで、私たちのバンドは一気に「本物のバンド」として動き出した感覚があった。
放課後のスタジオ練習も、夜遅くまで電話でアイデアを出し合った曲作りも、そのすべての瞬間が宝物のように楽しかった。
けれど――そんな幸福な時間は、唐突に打ち砕かれた。
「バンドですって? そんな無意味な道楽、今すぐやめなさい!」
ある日、私の部屋に踏み込んできた母が、今まで聞いたこともないような激しい怒鳴り声を上げた。
母はプロのピアニストだ。私は幼い頃から母の指導のもとで厳しくピアノを学び、クラシックの世界で生きるための英才教育を受けてきた。母にとって音楽とは誇り高き“厳格な仕事”であり、勝ち残らなければならない“競争”であり、人生のすべてだったのだ。
「あなたのその稀有な才能を、そんな子供の遊びのようなもので潰すつもりなの!?」
母の冷たく鋭い言葉は、私の心を深く切り刻んだ。
けれど――私はもう、昔のようにただ突っ立って引き下がるだけの私ではなかった。
あの仲間たちと奏でた、音楽の本当の楽しさを知ってしまったから。
「私……ステージに立ちたい! 私の音を、大好きな仲間と一緒に、たくさんの人に届けたいの!」
私たちは、目前に迫った高校の文化祭のステージにすべてを賭けることにした。母から逃げるのではなく、私たちの本気の音を聴いてもらって、認めてもらうために。
それからは血の滲むような練習の日々だった。夜遅くまで指を動かし、時に意見がぶつかり合い、涙を拭って支え合いながら、私たちは自分たちの音を徹底的に磨き上げていった。
そして訪れた、文化祭当日。
舞台裏で待機している間、あまりの緊張に指先が氷のように冷たくなり、震えが止まらなかった。けれど――いざ照明が照らすステージへ踏み出し、3人と音を重ね合わせた瞬間、不安も恐怖も一瞬で吹き飛んだ。
そこにはただ、私たちが心を一つにして鳴らす、最高に愛おしい音だけが存在していた。
圧巻のラストフレーズが響き渡り、演奏が終わる。
一瞬の静寂ののち、体育館全体を揺らすような盛大な拍手と歓声が湧き起こった。
私は息を弾ませながら、客席の後方に立っている母と目が合った。母は胸の前で手を組み、しばらく無言のまま真っ直ぐに私を見つめていたけれど――
「……いい音だったわね、明里」
終演後、舞台袖の廊下で私と向かい合った母は、それだけをぽつりと告げると、ほんの少しだけ優しく微笑んでくれたのだ。
文化祭からの帰り道、夕暮れに染まる街並みを二人で歩きながら、私は小さな声で呟いた。
「お母さん……聴いてくれて、ありがとう」
「……勝手にしなさい。ただし、やるからには中途半端な演奏は絶対に許さないわよ」
それは言葉こそ厳しいけれど、母なりの精一杯の「私の道」を認めてくれた言葉だった。
(私、知ってるよ……お母さんのハンカチの端っこが、涙で少し濡れていたこと)
「私……もっともっと、頑張るね」
追いつかないくらいの小さな声で呟いた。
それが母の耳に届いていたのか、前を歩くお母さんの口元がわずかに緩んだのは――きっと、気のせいなどではないはずだ。
その日を境に、私は大好きなピアノと、大切な仲間とのバンドと、そして「私自身」の心と真っ直ぐに向き合えるようになった。
もう二度と迷わない。音楽は、私が自分で選んだ大切な道だ。
そして、あの大切な仲間となら――どこまでも遠くへ、進んでいける気がした。
コメント
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うわあ、この第32話、すごくよかったです……!鈴ちゃんの「楽しいって思うならそれでよし」って言葉に全部詰まってる気がしました。お母さんとの和解のシーンも、厳しい言葉の裏に滲む愛情がちゃんと伝わってきて胸が熱くなりました。音楽の楽しさを仲間と取り戻して成長していく明里の姿がまぶしかったです!