コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ラズールの手から、僕の手が滑り落ちる。
ラズールが僕の背中に両手を回し、強く抱きしめた。
骨がミシミシと鳴ってるんじゃないかと思うほどに、抱きしめられた上半身が痛い。そして苦しい。
「命令…ちゃんと聞いてね」
「…背くかもしれません」
「ラズールは僕の…唯一の部下だろ?信頼してるんだから」
「あなたはひどいです」
「ふふっ、そうかな?いい主だと思うけど」
「ひどいです…」
ラズールの気が済むまで、そのままでいた。
永遠に放してくれないのではと思い始めた頃に、ようやく腕の力が緩んで、ラズールが僕の身体を放した。
呼吸がしやすくなった僕は、小さく息を吐き出す。
「フィル様の…」
「うん?」
低い声が掠れてよく聞き取れない。
僕は小さく首を傾けて、ラズールの目を見る。
ラズールが、苦しそうに言葉を続けた。
「フィル様の望みが叶うよう、俺は手伝います」
「ありがとう。でもバイロン国には、僕ひとりで行くよ」
「お願いします…手伝わせてください。俺も一緒に行かせてください」
幼い頃、僕が辛い目に合うと、ラズールが自分のことのように悲しそうな顔をした。今はそれらとは比べ物にならないくらい、悲しくて辛い顔をしている。
僕はもう「ダメだ」とは言えなくて、ラズールの名を呼んで微笑んだ。
「ラズール」
「はい」
「わかった。僕について来てくれる?リアムに会えるよう、手伝ってくれる?」
「はい。どこまでも、ついて行きます」
「おまえは優秀なのにバカだな…」
「あなたの前でだけ、バカになってしまうのですよ」
ようやくラズールが笑った。でも、とても寂しそうな笑顔だった。
ラズールが夕餉を取りに行くと出て行った後、僕は落ち着きなく天幕の中をウロウロと歩いていた。最低限の物しか置いていないので、中はかなり広く感じる。
退屈だなと欠伸をして、簡易的なベッドに座った時に、目の前の小さな机の上に、紙とペンが置いてあるのを見つけた。
「あっ、ネロに手紙を書いておこう。僕がネロに王位を譲ると決めた証拠を残した方がいい。でないと後々、ネロが困ってしまうかも」
僕は机の前の小さな椅子に座り、まずは大宰相宛の手紙を書き始めた。書き終わると次は大臣達宛の手紙を、それが終わるとネロ宛の手紙を書いた。書き終えて折りたたんでいる時に、ラズールが戻ってきた。
僕とラズールは、イヴァル帝国での最後の夕餉を食べた。とても静かで穏やかな時間だった。
ラズールが水を持って戻ってきた。
桶に入った水で顔を荒い、布を濡らして簡単に身体を拭く。背中はラズールに拭いてもらおうと布を渡す。
僕の背中に布を当てたラズールが、小さく「あ」と声を漏らした。
「なに?」
「いえ」
「もしかして、背中まで赤い痣が出てきた?」
「はい…」
「じゃあ急がないとだね。早くクルト王子の所へ行こう」
「はい…」
いつもキビキビとしているラズールが頼りない返事をする。僕のせいなんだろうけど、いつも通りのラズールでいてほしい。
背中を拭いてもらってシャツと上着を着る。そして振り向くと、僕はラズールの胸を軽く殴った。
「フィル様?」
ラズールが胸を押さえて驚いた顔をする。
僕は両手でラズールの上着の衿を掴んで引き寄せた。
「しっかりして。クルト王子の前で情けない姿をさらしたら許さないよ。これからおまえは大切な役目があるんだから」
「…かしこまりました」
「ん、わかったならいい。行こうか」
「はい」
深く頷いたラズールから手を離すと、僕は机の上の、三通の手紙を上着のポケットに入れた。
僕の後から天幕を出ながら「それは何ですか?」とラズールが聞いてくる。
隣に来たラズールを見上げて、僕は「手紙だよ」と答えた。
「第二王子への…ですか」
「違う。大宰相や大臣、それとネロにだよ。トラビスに預かってもらうの」
「そうですか」
そう呟いてラズールは黙った。
僕は挨拶をしてくる騎士達に挨拶を返しながら進み、トラビスの天幕に着いた。
「トラビス、僕だ」
声をかけると、すぐにトラビスが出てくる。
「おはようございます」
「おはよう。クルト王子の様子は?」
「とても大人しかったですよ。あまり眠れてはなかったようですが」
「そう。入っても?」
「どうぞ」
トラビスが持ち上げてくれた布をくぐって中に入る。
僕とラズールの後にトラビスが入り、入口に結界を張った。
クルト王子は、両手と両足は拘束されたままだったが、柱にくくり付けられてはいなかった。
「おはようございます、クルト王子。不便な格好にさせたままで申しわけありません」
「別に不便でもない。横にはなれたからな」
「お話があると聞きました」
「ああ、答えが出た」
「そうですか。あなたの返答次第で拘束を解きます。軍を引いてくれますか?」
「ああ。軍を連れて王都に戻る」
クルト王子が、僕の目を見て言う。嘘を言ってるようには感じない。
「約束してくださいますか」
「約束する。俺のことは信用できないだろうが…」
「今は信用します。でも、もし僕を騙したのなら、刺し違えてでも殺しますよ」
「ははっ、リアムの想い人は怖いな」
「国のためなら、僕は命を差し出せます」
「…そうか」
クルト王子が目を見開き、そして伏せる。何かを考え込んでいるようだ。昨日から、よくそんな表情をする。
僕は渋るトラビスに命じて、クルト王子の拘束を解いてもらった。