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煌びやかなステンドグラス調の
扉を抜けた瞬間
アビゲイルは息を呑んだ。
二階まで吹き抜けとなった天井
壁一面に整然と並べられた
ポスターやパネル、陳列棚。
そこに描かれたのは
彼女の敬愛してやまぬキャラクターたち──
『黒翼のソレイユ』のアラン騎士団長
そして『神々の眠る檻』の
白銀の大司祭フィエル。
天上から吊るされた垂れ幕が揺れるたび
光がキャラクターたちの金属鎧や髪に
きらめきを落とし
まるで彼ら自身がそこに顕現したかのような
錯覚さえ与える。
「⋯⋯さぁ!
やって参りましたわ⋯⋯っ!
我が魂の還る〝聖地〟へ!!」
アビゲイルは両手を広げてくるりと一回転し
金糸のリボンがふわりと宙に舞った。
彼女の肩に留まる桃色のオウム──
ルキウスは、溜息をつくように低く囁いた。
「聖地、とは
この建物を指しておられるのですか?
アビゲイル様」
「しっ、ルキウス!
素晴らしい声が、通り過ぎますわよ。
人々が聞いたら
驚いて気絶してしまいますわ!
こんなにも素敵な声で
明晰に話すオウムなど⋯⋯
世界に貴方しかいないのですから」
「心得ました」
再び静かになった館内で
アビゲイルの瞳は目映い光を宿していた。
「ここには⋯⋯私の〝推し〟たちの
すべてが詰まっております!
彼らが愛した剣、彼らが残した言葉
彼らの声を載せた円盤⋯⋯っ!」
小さな手に掲げられたひとつのフィギュア──
それは『銀の盟約者』の主人公
ラフィールの凛然たる立ち姿であった。
透き通るようなマント、決意に満ちた双眸。
「⋯⋯こんなにも尊く、美しく、気高く⋯⋯
ああ⋯⋯嗚呼⋯⋯!」
その場に膝をつかんばかりの勢いだった。
だが、彼女の胸の奥には確かにあった。
信仰とは似て非なる
けれど限りなく近しい──
〝崇拝〟という熱。
それが、制御不能なほど高まり過ぎた結果が
喫茶桜での一連の混乱だった。
彼女の加護は
強く祈れば祈るほど現実に作用する。
その歪みが
推しの一人である時也へと集中し
彼の営む店は一夜にして
〝話題のスポット〟として拡散され
口コミ、紹介動画、紹介記事、SNSの熱狂が
重なり合って熱波のように押し寄せた。
結果──
時也の願いを叶え
転生者たちすらも引き寄せられた。
〝記憶〟と〝宿命〟に翻弄された
エルネストとレーファ。
その宿命が〝報復〟を呼び
アリアは重症
レイチェルは細菌感染の悪化。
そして、すべての対応に追われ
時也は接客、治療
転生者の対応まで一手に担い──
忙殺されるような一日を過ごす事になった。
アビゲイルは
己の加護の影響力を、甘く見ていた。
いや⋯⋯
〝推し〟を想うことで
力が増幅してしまう性質を
正しく見つめていなかったのだ。
強すぎる信仰は、時に神をも殺す──。
アラインの言葉は冷たく突き刺さった。
それは
アビゲイルがもっとも恐れていた未来──
〝愛する存在を
自らの手で壊してしまうこと〟の
予兆だった。
「⋯⋯ですから。
私はここで、鍛錬するのですわ!」
アビゲイルは目を伏せ
静かに、けれど気高く告げた。
「推しのグッズに囲まれ
冷静さを保ち、異能の暴走を防ぐ──
心を律する訓練でございます。
⋯⋯推しの姿を見て、叫ばない⋯⋯
涙しない⋯⋯悶えない⋯⋯
尊死しない⋯⋯っ!」
ルキウスは目を細め、神妙に頷いた。
「つまり、これは⋯⋯
聖地での修行、という訳でございますね?」
「その通りですわ、ルキウス。
これは、愛に殉じる者に与えられた試練。
試練を乗り越え、真に推しを讃える者に
加護は正しく微笑むのです──!」
かくして、アビゲイルの修行は始まった。
彼女はグッズを手に取りながらも
一切叫ばず、悶えず
ただ掌を震わせるのみで耐え続ける。
その背中は、もはや〝騎士〟の如く。
尊さに打ち震えながらも
祈りを胸に、静かに立ち尽くすその姿こそ──
まさしく
〝信仰を律する者〟の在り方であった。
「修行しながら
新しい喫茶桜でのお部屋に飾る
〝祭殿〟のためのお買い物もできます⋯⋯!
実に、一石二鳥ですわ!!」
アビゲイルは両手を胸元で組み
小躍りせんばかりに
その場でぴょんと跳ねた。
その金のリボンがふわりと宙に舞い
喜悦の気が室内を満たしていく。
目の前に広がるのは
推しの祭壇を彩るに相応しき至宝の数々──
特装アクリルスタンド、限定複製画
原画風ポスターに加え
設定資料集の特装版には
金箔押しのシリアルナンバーが輝いていた。
「⋯⋯これほどの神格
いえ、尊格を空間に降ろすには
それ相応の敬意と
場の調律が必要ですわね⋯⋯っ!」
胸に当てた手が震える。
肩に止まるルキウスが
濃く低い声で嘆息を漏らした。
「⋯⋯アビゲイル様。
早速、お心が乱れております」
「うっ⋯⋯」
その一言に
アビゲイルは肩をぴくりと震わせた。
紅潮していた頬がすっと青ざめ
両手をその場でぎゅっと握りしめる。
「⋯⋯いけませんわ、私ったら⋯⋯。
これは、あくまでも鍛錬。
己の異能を律し
時也様を再び苦しませぬための戒め⋯⋯
修道士の如く、己を律する場⋯⋯」
震える呼吸を整えながら
ゆっくりと歩みを進める。
だが、彼女の瞳の奥では
祭壇を飾るための構想が
すでに緻密に組み上がっていた。
中央には──
『黒翼のソレイユ』のアラン団長の
聖騎士ver.の等身大パネル。
その左右に配置されるのは
『神々の眠る檻』のフィエルと
『楽園断罪録』の法王マティアス。
背景は
ステンドグラス調のタペストリーで覆い
床には金糸を織り込んだ緋色の絨毯を敷く。
そして、小型スピーカーからは
推しのキャラクターソングが
静かに流れ続ける──
「⋯⋯ふふふ。
⋯⋯はぁ、完成が楽しみですわぁ⋯⋯♡」
「アビゲイル様。
心の声が⋯⋯口から出ております」
「っ⋯⋯ッ!!」
アビゲイルは慌てて口元を押さえた。
その姿は
まるで禁欲を破った修道女のようで
どこか痛々しくもあり──
しかし
己の加護の危険性を理解したからこそ
真剣に向き合う姿勢は
紛れもない〝信仰者〟そのものだった。
この聖地で──
アビゲイルはひとつの誓いを立てた。
〝推しを讃えることと
時也様を守ることは、決して矛盾せぬ〟
それを証明するために。
彼女は今日
尊死寸前の誘惑に耐えながら
己の加護を御する術を
身につけようとしている。
それは
世界でただ一人の〝推し活修道士〟の
静かなる戦いであった。