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西村の運転する130号車は左にウィンカーを出して大通りに入り、ヘッドライトの流れに合流した。相変わらず智の喉元にはアイスピックの先端が食い込んでいる。段差に乗り上げればその反動でブスリと刺さるのでは無いかと西村のハンドルを握る手に力が籠った。
沿道を自転車に乗った巡査が通り過ぎ、こちらを見た、見たような気がした。歩道の辺りで忙しなく動く西村の目の動きに気が付いた朱音が中央線をアイスピックで指して顎をしゃくる。
「西村さん、もっと真ん中の道、走って」
「お、おお」
「警察に見つかったらこの女の人、死んじゃうから」
「分かった。分かったから」
アクセルを踏む足の裏がガタガタと震え、ジャケットの脇の下に汗が滲んだ。喉が締め付けられ、口の中が乾いて息がつまる。まるで水の中に沈んでゆく様な感覚に襲われるが、ルームミラーに覗く碧眼の2つの目と視線が絡み合い、正気に戻る。
「あっ!」
気付くと信号機が黄色から赤に変わり、条件反射で右足が横にスライドする。ボディが前のめりになり、後ろへ弾いた。突然止まったタクシーの後部座席にガクンと力が加わる。慌てて後ろを振り返ると対向車線のヘッドライトに照らされた智の喉元。アイスピックの先にうっすらと赤い血が滲んでいる。
「と、智!」
「い、痛い!痛い!」
「ええ、大袈裟ね。これくらい痛く無いでしょう?」
「ひっ」
朱音はこれまでの自傷行為でズタズタになった両手首と両腕を、誇らしげな表情を浮かべながら智の目の前に広げる。その凄惨な有り様に智は思わず目を逸らした。
「ちゃんと見て、痛くなんて無いわよ?」
「や、やめてくれ、な?」
「ほら、西村さん。信号、変わったよ」
行燈を消した130号車は片側一車線。犀川に沿いポツポツと灯る住宅や商業施設の明かりを眼下に、竹林の暗く急な坂道を《《要らない女の人を捨てる》》場所を目指して走り続けた。
一般的なタクシーに使用されているのはTOYOTAコンフォート。街で良く見掛ける古き良きデザインで、白いボディに客を乗せた《《実車》》状態でルーフの行燈を消して走行すれば、北陸交通のタクシーか他社のタクシーであるか一見して判別し辛い。
また、北陸交通深夜勤務のタクシーは80台近くも街中を走行しており、警邏に当たるパトカーの台数を増やしても、警察官がタクシーの客待ち待機場やコンビニエンスストア、暗がりの駐車場を|虱《しらみ》潰しに探してもその中から130号車を見つけ出すのは容易では無かった。
ただ、北陸交通本社配車室のパソコンからは130号車の動きは《《丸見え》》だった。
「どうだ、今、どの辺りを走っている?」
GPS信号で届く130号車の位置情報には多少の遅れはあるが|大凡《おおよそ》の目安は付いた。北陸交通本社配車室には複数人の警察官が配備され、130号車から発信されるGPS情報の軌跡を石川県警通司令本部に逐一報告し、捜査車両ならびにパトカーがその跡を追った。
「検問箇所を回避しながら市街地を抜け、山に向かい走行しています」
「山?」
「どっちだ。浅野川方面、卯辰山、|医王山《いおうぜん》か?」
「犀川方面です野田墓地周辺を通過しました」
パソコンの画面にはグレーに塗りつぶされた営業終了状態の130号車が曲がりくねった山道を、犀川沿いを上流に向かい走行している様子が映し出されていた。
「山下朱音は何処に向かっているんだ」
「この先は別所町です、|内川《うちかわ》墓地公園、神社も点在しています」
「内川、内川ダムか?」
その時、警邏中の巡査から無線が入った。130号車の後部座席に人影が2名確認されたとの事だった。
ピーピーピー ピーピーピー
金沢市郊外を走行中の金沢中警察署の竹村警部、久我警視正の捜査車両にも山下朱音の動向が判明したとの無線が入った。
山下朱音は北陸交通タクシー130号車に乗車、ドライバーは西村裕人、後部座席には2名の人影を確認。久我の運転する捜査車両は赤色灯を回しサイレンを響かせ、130号車が向かっているだろう内川ダム方面を目指した。
「内川ダムか、ここから一本道だな」
「はい」
「やはり西村は山下朱音と繋がっていたか」
「その様ですね」
「困ったもんだ」
竹村はボリボリと頭を掻きながらサイドウィンドウに肩肘を突き、車通りが少ない一本道、竹林を眺めながらポツリと呟いた。
「西村のカミさんが気の毒だな」