最初は、何もおかしくはなかった。
鏡は、ただ鏡としてそこにあった。朝の身支度を整える時、ふとした瞬間に映る自分。それは毎日変わらない筈だった
なのに、最近、鏡の中の自分が少し疲れている気がする
目の下に薄っすらと隈があるような、肌に張りがないような。
「寝不足かな……?」
そう思って気にはしなかった
翌日、また鏡を見る。
なんとなく顔が青白い気がした。
「最近、仕事で疲れてるしな……」
そうやって自分に言い聞かせた。
その次の日、更に違和感が増した。
頬が少しこけているような気がする。目の下の隈も、昨日より濃くなっている気がした。
「ストレスでも溜まってるのか?」
そう呟いて、鏡から目を逸らした。
数日後、職場の同僚に「最近、痩せた?」と言われた。
「そうかな?」
と笑って返したが、スマホのカメラで撮った自分は特に変わっていない。
でも、鏡に映る自分は、明らかに痩せこけていた
鏡の中の自分は、日に日にやつれていく。
虚ろな目。青白い肌。骨ばった頬。
目を疑いたくなる程、老いていた
「そんなはずない……」
恐る恐る、自分の手を見た。
——そこにあったのは、しわだらけの、弱々しい手。
「嘘だろ……?」
心臓が跳ね上がる。ついさっきまで、こんな手じゃなかった筈なのに。
いや、そもそも、現実の自分は何も変わっていない筈なのに。
震える足で、再び鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは、もはや”自分”とは思えない何かだった。
窶れ果てた顔。深い皺。痩せ細った体。
「嘘だ……こんなの……嘘だろ……?」
否定する様に、目を閉じる。
そして、もう一度、恐る恐る目を開けた。
鏡の中の”自分”は、ただこちらをじっと見つめていた。
無表情で、ただ、冷たく見下ろしているようにすら思えた。
鏡のこちら側の体が、一気に重くなった。
手が震える。呼吸が苦しくなる。
ああ、そうか。
これは、ずっと目を背けてきた”老い”だ。
見ないふりをして、気のせいにして、逃げてきた。
でも、それは確かにそこにあった。
鏡は、嘘なんかつかない。
……俺は、もう逃げられない。