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#海辺の町
#異能力
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かつての自分なら震えて俯いていただろう。
だが、似合うかは別として今着ているドレスは征一郎が選んでくれた『勿忘草色』だ。
このドレスを着ている限り、この色にふさわしい芯の強さを持っていたい。
「わかりました、お姉様。私は出ていきます」
姉のためなんかじゃない。
姉の『身代わり』を、私自身がもう終わりにしたいからだ。
華やかな会場を後にした静香は、当然だが乗って帰る馬車も車もお金もなく、徒歩で実家を目指すしかなかった。
だが、歩き始めた静香はふと思った。
このまま実家にも帰らなかったら……?
誰からも必要とされていないのに、戻る必要があるのだろうか?
「この素敵なドレスだけは、あとでお返ししないとね」
静香は踵を返し、暗い夜道の中に消えた。
煌びやかな会場の中、ようやく知人から解放された征一郎は辺りを見渡した。
壁際、軽食コーナー、もちろんダンスフロアにも妻、静香の姿が見当たらない。
「静香……?」
胸の奥をざわつかせる嫌な予感が、征一郎の足を速めた。
「嵯峨様」
麗華は征一郎に近づくと、淑女の微笑みを浮かべる。
「静香なら気分が悪いと言って帰りましたわ」
麗華はわざとらしく溜息をつくと、征一郎の腕に手を伸ばした。
「静香が俺に黙って帰るはずがない」
麗華の手を無造作に振り払うと、征一郎は鋭い視線で麗華を射抜く。
「あら、怖いお顔ですこと。出来損ないの妹に代わって、私が貴方の『妻』になるので、優しくしてくださいませ」
「妹……? おまえが逃げ出した姉か。静香に何を吹き込んだ?」
「私はただ、身の程を教えただけですわ」
野暮ったい妹にあんな高級ドレスは似合わないと笑う麗華の姿に、征一郎は眉間に皺を寄せた。
「身の程だと?」
征一郎の周囲に、凄まじい圧力が立ち込める。
「俺は静香しかいらん。もしあいつの身に何かあれば、お前の実家ごと、この帝都から消してやる」
征一郎は麗華に一歩詰め寄ると、地を這うような低い声で囁いた。
会場を飛び出した征一郎は、門番や御者、車の運転手に静香の容姿を伝え行き先を尋ねる。
歩いて門から出て行ったこと、左の方へ向かったことしか彼らは知らなかった。
「……くそっ」
ようやく手に入れたのに、小鳥のように飛んで行ってしまった妻、静香。
征一郎は車を走らせ、嵯峨邸そして静香の実家へと向かったが、静香を見つけることはできなかった。
◇
夜会から5日。
静香は実家には帰らず、今は誰も住んでいない別荘に移り住んだ。
ここはかつて祖母が住み、静香も幼少期に数年だけ住んでいた場所だ。
ここまでの旅費と着替えは、診療所の婦長に借りた。
征一郎の耳に入ってしまうのではないかと不安だったが、他に頼れる人もなく、ダメ元で頼んだら快く貸してくれたのだ。
必ず返しますと約束したが、婦長はいつでもいいと。
わずかな間しか働けず、そして厳しい職場だったが、あの診療所で働くことができて本当によかったと心から思えた。
「早く働くところを見つけないと」
数件の店で雇ってほしいと頼んだが、やはり帝都と同じように、静香の手を見るなり冗談はやめてくれと追い返されてしまった。
ここは華族の別荘が集まる地域で店も少なく、診療所もない。
どんな仕事ならできるのだろうかと、静香は湖の畔を歩きながら溜息をついた。
「あ、この木……」
そういえば、この大きな桜の木の下で男の子に出会ったのだ。
苦しそうに胸を押さえ、真っ青な顔でヒューヒューと喉を鳴らしている姿が可哀想で、元気になってほしいと思い、真珠をあげてしまった。
私を探しにきた祖母に「真珠をあげたら元気になった」と話したら、酷く叱られ、それきりここに来ることを禁じられてしまったのだ。
「もう苦しんでいないかしら……」
静香は、ごつごつとした桜の幹にそっと手を触れながら、大きな桜の木を見上げる。
「……あぁ。苦しくない」
不意に聞こえた低い声に驚いた静香が振り返ると、鋭い眼差し、彫刻のような顔の征一郎が荒い息を整えながら静香に歩み寄った。