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灰色の夢が続く。
奈々は目を閉じるたび、まるで自分の中にもう一人の“自分”がいるような感覚に囚われる。
その“自分”は、いつも静かに笑っている。
「あなたの思い出を、少しだけ、わけて?」
その声が、母の声に似ていた。
けれど奈々にはわかっていた。
これは“母”ではない。
けれど——“母の記憶”を喰った存在だ。
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亮太の様子も、明らかにおかしくなっていた。
「俺の記憶の中に、母さんがいない時間があるんだ。
たった3日間。でも……その空白が全部を変えた」
亮太が語る“空白の3日”は、5年前の春。
奈々たちの事故の数日前だった。
「母さんは突然、どこかへ行った。
3日後に戻ってきたとき、最初に言ったんだ。
“ただいま。……あなたは、誰?”って」
奈々は息を呑んだ。
亮太の母もまた、“何か”に取り込まれたのだ。
「その後の母さんは、まるで人が変わった。
優しくなったけど……怖いほど“機械的”だった。
笑顔も、仕草も、完璧で。……でも、温度がなかった」
亮太の声が震える。
「それでも俺は信じたかった。
“戻ってきた母”を信じてた。
でもな……鏡の中の母さんは、時々、鏡の外の俺を見てなかったんだ」
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夜。
奈々は祐介の書斎で、“真奈”に関する資料を探していた。
父が心理療法室で使用していた記録の一つに、異様なメモが残っていた。
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《楡野真奈・症例記録:2020年〜》
・記憶の断片化が進行
・夢の中で“もう一人の自分”と会話するという訴え
・症状は一見、解離性同一性障害に近い
・だが、夢の内容が一致している(複数患者間で同一の夢)
・夢に登場する“鏡の部屋”と“灰をまとう女”が共通項
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(お母さんだけじゃない……父の患者たちも、“あれ”を見てた?)
そして、最後のページにこう書かれていた。
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「真奈の“記憶”は、既に喰われている。
それでも“私”を演じようとする“彼女”は、いったい誰なのか?」
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奈々は、息が詰まるような感覚に襲われた。
“彼女”は本当に、母の記憶を愛していた。
だからこそ、“母であろうとした”。
その執着が、“灰の女”をより強くしている。
(私が……終わらせなきゃ)
その瞬間、背後で**“カチャン”**と音がした。
ドアがゆっくりと開き、妹の羽奈が立っていた。
「お姉ちゃん……だれかが、部屋の中に入ってきた……」
羽奈の頬に、うっすらと“灰”がついていた。
奈々はすぐにそれをぬぐったが、彼女の目がすでに“どこかを見ていない”ことに気づいた。
「羽奈……誰に会ったの?」
羽奈は首を傾げた。
「おかあさん……でも、背中が焼けてた」
(——事故のとき、お母さんの背中は……)
奈々は羽奈を抱き寄せ、もう一度、鏡のない部屋に入った。
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その夜。
亮太から連絡があった。
「……明日、俺の母さんの“記憶”を壊す」
奈々は電話の向こうで、彼が何かを覚悟した声で話すのを聞いた。
「母さんが、完全に“灰の女”に喰われる前に、終わらせる。
でも……奈々、俺は怖い。
記憶を壊したら、母さんが戻る可能性は——」
「ないよ」
奈々は、静かに言った。
「でも……“真実”に戻れる」
亮太はしばらく沈黙して、それからこう言った。
「じゃあ……明日の夜8時。
“鏡の部屋”で会おう。
——そこが、全ての始まりだったんだ」
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翌日。
奈々と亮太は、赤井家の地下にある、“封印された鏡の間”へ向かった。
その部屋には、360度、あらゆる角度に鏡が設置されていた。
母・紗枝が恐怖と執念で作り上げた“記憶の牢獄”。
部屋の中心に立った瞬間、奈々は目の前の鏡に、自分の顔とそっくりな“何か”が映っているのを見た。
笑っている。
でもその口元は、ゆっくりと……裂けていく。