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あの修羅場から数日
社内の空気は、どこか余所余所しい。
恵麻が何かを言いふらした形跡はないけれど
彼女の「査定に響く」という言葉が、呪文のように私の頭を離れなかった。
「亜希、顔色が悪いぞ。少し休め」
ランチタイム。社員食堂の隅で、真司が私の顔を覗き込む。
周りの目を気にして距離を置こうとする私に対し、真司は堂々としていた。
それが今の私には、少しだけ眩しすぎて、そして苦しかった。
「……ねぇ、真司。やっぱり、外ではあんなこと言わないで。同期として、今まで通り接してほしいの」
真司が箸を止めた。眼鏡の奥の瞳が、スッと細められる。
「あんなことって、俺の女だって言ったことか?」
「……私たちは企画職で、今が大事な時期でしょ。変な噂で、私たちの仕事の成果が曇るのが怖いの」
「お前は、俺との関係より仕事の方が大事ってか」
真司の声に、微かな刺が混じる。
「そういう意味じゃないわ! でも、私は『真司の彼女』としてじゃなく、一人の『佐藤亜希』として評価されたいの。あなたが守ってくれるのは嬉しいけど、それが私のキャリアを邪魔するなら……」
「邪魔、か」
真司は自嘲気味に笑うと、トレイを持って立ち上がった。
「俺は、お前がこれ以上傷つかないように、全部背負うつもりで言ったんだ。…熱量が違ったみたいだな」
「ちょ、真司……!」
追いかけようとしたけれど、足が動かなかった。
彼は、自分の全てを懸けて私を守ろうとしてくれた。
それなのに、私は自分のプライドを守るために、彼の差し出した手を跳ね除けてしまった。
◆◇◆◇
午後のオフィス
隣に座る真司は、朝よりもずっと遠い存在に見えた。
淡々とキーボードを叩く音だけが響く中
私たちの間には
かつての「心地よいライバル関係」とも違う、冷たくて分厚い壁が築かれていた。
身体が重なり合えばあんなに熱いのに、心はどうしてこんなに上手く噛み合わないんだろう。
29歳の誕生日に始まったこの恋は
情熱だけでは乗り越えられない、大人の現実という壁に突き当たっていた。