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凪川 彩絵
#独占欲
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わー、日下、つっこまないであげて。
(だって日下、瑠璃香の卵焼きにめっちゃご執心だったもの)
以前の卵焼きは、今よりずっと小さかった。それがここ数日、弁当の主役みたいな顔をしている。
(こんな卵焼き見たら、絶対取るよね)
それこそ悦子が同様に弁当を作ってきても、日下はこちらには見向きもせず、瑠璃香の弁当にまっしぐらなのだ。
新入社員歓迎会の折に瑠璃香が『もう日下にはあげない』と……。『悦子からもらえ』と言ってくれたけれど……このインパクト大な卵焼きに勝てるのを、悦子は作れる気がしない。
彩りは、今までのものも今と変わらず綺麗に整えられた弁当ではあったけれど、ここ数日のこれは……なんかもっと……栄養バランスに気を遣われた、〝誰かのための〟弁当のように見える。
ともすると、瑠璃香自身の弁当が、その誰かのための弁当の副産物とも取れるというか――。
「……あー、うん」
瑠璃香は一拍置いて、曖昧に笑った。
「ちょっと、事情があって」
「事情?」
ほんの少しだけ、距離を詰める。
瑠璃香は周囲を気にするように視線を泳がせてから、小さく息を吸った。
「……内緒に……してくれる?」
その声音は、はっきりと〝聞かれたくない〟ものだと意思表示していた。
悦子は目を瞬かせる。
(内緒……ね)
からかうつもりで開きかけた口を、ぐっと噤んで、『分かった』と悦子が告げようとしたそのとき。
「……嘘だろ?」
低く、しかし妙に通る声が背後から落ちてきた。
二人同時に振り返ると、そこには日下が立っていた。
完全に、聞いてはいけない部分だけを拾ってしまった顔をしている。
「ちょ、日下……声」
悦子が制止するより早く、日下は信じられないものを見るように目を見開いた。
「内緒って……その弁当のことか?」
「え、いや、その……」
瑠璃香は言葉に詰まり、思わず視線を伏せる。
その様子が、かえって想像を煽った。
「それ、新沼課長の弁当に入ってたって囁かれてたおかずと、ラインナップが重なりまくりなんだけど」
日下の視線が、弁当を広げたままの瑠璃香の手元へと落ちる。
悦子は内心で頭を抱えた。
(あー……これ、一番拾われたくないやつ……)
空気が、目に見えて張りつめていく。
瑠璃香たちの座る席の周りを中心に、ひそひそという囁き声が広がり始めていた。
自分の弁当が、別の意味で注目を集め始めていることに、別室にいる晴永は、まだ気づいていなかった――。
***
コミュニティルームの空気が、三人を中心に張りつめていく。
ひそひそとした囁き声。
食器が触れ合う乾いた音。
それらの中に混じって、妙に――重たい沈黙が落ちている。
その真っ只中で、一番人目に晒されているのは、小笹瑠璃香だった。
「……なあ、小笹」
低く呼ばれて、瑠璃香はびくりと肩を揺らせる。元々目立つことが好きではない性分だ。今すぐにでもこの場を立ち去りたいのにそれが出来なくて、消えてなくなりたい気持ちに苛まれる。
うるりと潤んだ瞳で顔を上げると、瑠璃香から視線を外さないまま、背後から前に回ってきた日下仁人が、瑠璃香の真正面の席へ腰を下ろした。
怒鳴ってはいない。
だが、いつもの軽さもない。
感情だけが先に立って、声の調子がうまく制御できていないのが、はっきりと分かった。
「なぁ、俺にも分かるように説明してくれよ」
ずいっと前のめりになった日下に、距離を詰められる。
瑠璃香は無意識にギュッと箸を握る手に力を込めて、身体を固くした。本当は弁当のふたをパタリと閉じて、何もかもを無かったことにしてしまいたい。だけど現実はそんなに甘くはなかった。