先程まで使い続けていた『走る』スキルで魔力が枯渇する直前だったのだろう。
魔力が完全に消失すればどんな生き物でも死に至る、これは人でも魔獣でもモンスターや悪魔であっても変わりはしない。
より上位の魔王や魔神達であれば『真核(しんかく)』と呼ばれる『魔核』のリザーブを残す事で辛うじて存在の消失を免(まぬが)れる事は出来る。
とは言え、『真核』を核として顕現するには長い時間を必要とする、時には数千年を要する場合もあるのだ。
そう考えれば、この少年が鹿の惨状を目にして足を止めた事は、幸運だと言って良いだろう。
但し、今この場所周辺が通常の魔力だけを有している場合であれば、だ。
ヘタ村で見た人々の石化、それに目の前の惨状、魔獣の爆発には共通の理由しかない。
それは『魔力災害』。
特定の場所や地域に様々な理由によって、異常とも言える濃密な魔力が集中する事象をそう呼ぶ。
この災害に遭遇した生き物が生き延びる手段は只一つである。
逃げる、これだけだ。
故に限られた命を有する者達は等しく、子供達が幼い内に逃げる事を教えて来たし、動物以外の生物たち、例えば植物や菌類は季節に関わる事無く花粉や胞子を飛ばして後裔(こうえい)が命を紡げる様に行動して来たのである。
少年は未だ『災害』から逃げ|果《おお》せた訳ではない、目の前の哀れな鹿達が物語っていた。
魔力が枯渇寸前に陥った時、生き物の体はその生命を繋ぎ止める為に周囲から生命力を集め続ける、つまり、魔力を、である。
生命維持に必要不可欠な物質が極端に不足した場合、生物の肉体はどの様な行動を取るか、お読みの諸氏、今現在生きている皆さんならば、言うまでも無い事だろう。
老婆心、お節介に言わせて貰えば、砂漠の中でのオアシス、飢えの中での晩餐会、とでも言えば適当だろうか?
乾き切った肉体は、不足を補おうとする余りに、時に飽食に、又時には必要以上に求め、取り込む事はご存知の通りである。
この性質が無ければ、私、観察者が実体を為していたあの時代、生活習慣病と言う言葉など生まれる事は無かっただろう。
兎に角、乾き切った少年の体は魔力、生命力を欲していた。
呼気から、ブーツを通して地面から、その幼い全身の全てで、この場に溢れ返った暴力的な魔力の奔流に侵された、いや正確に言えば自ら望んでそこに浸されたのである。
急激な魔力の流入が齎(もたら)すのは、彼が感じた眩暈(めまい)だけでは無論、無い。
『魔力災害』と同じ結果が待っているのは想像するまでも無いだろう。
人である少年は当然例外ではない……
驚きの声と合わせる様に彼の両足は、肌の色を失して無味乾燥な石へと変わり、足の先から徐々に無慈悲な侵食を続けるのであった。
「あ、ああああ、あああぁー、だ、だれかぁー! だれか、た、助けてぇ!」
石化は既に膝を越えて侵攻を続けていた。
彼の声は誰にも届く事は無いだろう、そう思った時……
幼い叫びに一つの声が答える。
「レイブ? お前、ハタンガのレイブか? どうしてカティリクに?」
動けない少年、レイブに近付いて怪訝(けげん)な表情で顔を覗き込む人物には見覚えがあった。
薄れていく意識の中でレイブ少年は彼に告げる。
「ば、バストロおじさん、良かった、皆を助けて…… は、ハタンガが…… バーミリオンの里の皆がぁ……」
バストロと呼ばれた全身を黒い装束に包んだ逞しい青年は言う。
「レイブ! 足が石化を始めているのか! くっ! 間に合うか? ジグエラっ! ハタンガの様子を見て来るんだっ! 邪竜が居ても闘うなよ、一旦戻って来てくれ! ヴノはこの周辺の魔力を吸い上げてくれ! 無理をするなよっ! 俺はレイブを治療するっ! おい、レイブ、レイブっ! 魔解治療をするぞっ? 良いか? 良いんだなっ!」
既に朦朧(もうろう)を通り越しながらも、少年、レイブは微かな声でバストロに答える。
「た、助けてバストロおじさん…… ま、魔解、ち、治療を……」
そう言い終えると走り続けていた少年、レイブの意識は完全に昏倒してしまうのであった。
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