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魔界城・執務室。
重い沈黙が、空気を圧していた。
書類の山。
壁際に並ぶ側近たち。
そして――机の前に立つ、魔王。
「……で?」
低く、静かな声。
「もう一度、言え」
側近の一人が、喉を鳴らす。
「は……人間界、ならびに隣国数か国にて」
「姫君セラフィナ・ノワール様との婚姻を」
「将来的に検討する動きが見られます」
――パキッ。
机の端が、音を立てて割れた。
「……婚姻?」
声は穏やかだった。
あまりに穏やかで、誰も息ができない。
「誰が」
「誰の」
「許可を得た」
魔力が、じわりと広がる。
窓が震え、燭台の火が揺れた。
「舞踏会以降、各国王子たちが――」
「止めろ」
即答。
「すべてだ」
「一つ残らず」
側近たちが、一斉に青ざめる。
魔王は、ゆっくりと立ち上がった。
「……まだだ」
「セラフィナは、十歳だ」
「“将来”などという言葉で」
「今から囲い込む気か」
胸の奥で、怒りが渦を巻く。
政治。
同盟。
均衡。
――ふざけるな。
あの子はまだ、
花火を見て笑い、
菓子を食べて頬を緩め、
夜になれば父の名を呼ぶ。
それを、
駒のように扱うなど。
「……冗談ではない」
魔王の声が、低く唸る。
「我が娘は」
「選ばれる存在ではない」
「自分で選ぶ存在だ」
側近たちは、耐えきれず膝をついた。
「申し訳ございません……!」
「ですが人間界側は、同盟の象徴として――」
「象徴?」
魔王は、静かに笑った。
「ならば、別の象徴を立てろ」
「セラフィナ以外でな」
* * *
同じ頃。
城の庭園。
セラフィナは、しゃがみ込んで花の手入れをしていた。
「……これ、伸びすぎ」
指先で、そっと葉を整える。
その少し後ろで。
「姫君」
クロウ・フェルゼンが、控えていた。
背筋を伸ばし、いつも通りの敬語で。
「……ねえ、クロウ」
「はい」
「パパ、最近ずっと機嫌悪くない?」
(……鋭い)
クロウは一瞬だけ迷い、正直に答えた。
「……はい」
「やっぱり」
セラフィナは、小さく苦笑する。
「なんかあった?」
「……姫君に関する話です」
「私?」
クロウは、ゆっくり頷いた。
「各国が」
「姫君との婚姻を、視野に入れ始めました」
ぴたり。
セラフィナの手が止まる。
「……え?」
「まだ先の話ですが」
「政治的には、避けられぬ流れです」
風が、花を揺らす。
「……私さ」
ぽつりと、セラフィナは言った。
「結婚とか、全然考えてないんだけど」
「はい」
クロウは即答した。
「存じております」
「……パパ、怒るよね」
「はい」
こちらも迷いなく。
セラフィナは、ため息をつく。
「舞踏会で踊っただけなのに」
「世界、動きすぎじゃない?」
クロウは、ほんの少しだけ目を細めた。
「それほどまでに」
「姫君が、眩しかったのです」
「……クロウ」
「今の、口説いてる?」
「いえ」
即否定。
「事実です」
「……そっか」
頬が、少し熱い。
そのとき。
――ドン。
遠くで、何かが爆ぜる音。
魔界城の方向。
「……あれ、絶対パパ」
「はい」
クロウが頷いた、その瞬間。
側近の一人が駆け込んできた。
「セラフィナ様!」
「どちらにおいででしょうか!」
クロウが一歩前に出る。
「姫君は、こちらにおられます」
「何事ですか」
「魔王様の怒りが爆発し……!」
「我々では手がつけられません!」
「どうか、姫君のお力を……!」
「もう〜……」
セラフィナは、立ち上がる。
「パパったら」
「今、行く」
* * *
執務室前。
コンコン、とノック。
「……誰だ」
不機嫌そうな声。
「パパ」
「私だよ」
一瞬の沈黙。
「……セラフィナか」
「入れ」
扉が開く。
荒れた室内。
割れた机。
残る魔力。
セラフィナは、にこっと笑った。
「パパ、最近ずっと執務室に籠もってるから」
「寂しくて、遊びに来ちゃった」
満面の笑み。
その瞬間。
魔王の中で、
張り詰めていた何かが――
音を立てて、崩れた。
「……まったく」
深く、深く息を吐く。
「お前は……」
「本当に、ずるい」
セラフィナは、首を傾げた。
「そう?」
魔王は、ゆっくり膝をつく。
娘と、目線を合わせて。
「……心配しただけだ」
「世界が、お前を奪おうとする」
「それが、許せなかった」
セラフィナは、少し考えてから言った。
「でもさ」
「私は、どこにも行かないよ」
「パパの娘だもん」
その一言で。
魔王の苛立ちは、完全に消えた。
「……ああ」
「それで、いい」
娘を、そっと抱き寄せる。
執務室に、
ようやく――静けさが戻った。