コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
Side康二
駅を出ると、ビルの隙間からほんの少しだけ夕焼けが見えた。
自販機の明かりがつき始めて、道ばたのカフェには「夜カフェ割引」の札が下げられる。
──今日も、ごく普通の一日やった。
授業、友達とのおしゃべり、コンビニで買ったカップ麺を食べて、また授業。
そんなもん。
ここは、都内の某私立大学。特別大きな特徴はないけど、駅近で学食が美味いから、それなりに人気はある。
学生はそれぞれ、講義室で寝たり、PCルームでレポート書いたり、芝生の広場でインスタ撮ったり……みんな自由に生きてる。
俺はその中でも、まぁ目立つ方かもしれへん。
人懐っこいってよく言われるし、男女問わず声をかけられるし、どっちかっていうと「ノリいいやつ」って思われてる。
──いや、ほんまにそうやねんけど。
別に裏もなけりゃ、闇もない。
毎日を楽しく過ごして、笑って、卒業して、就職して……そんな未来を何となく思い描いてた。
――――――――――
「なあ康二、知ってる? この辺の公園、夜中に行くと血を吸われるらしいよ~」
「おいおいおい、また始まった。さっくん、それ都市伝説って知ってる?」
俺の目の前で、唐揚げ弁当の白ごはんを三分の一くらい残したまま、佐久間くんが急にそんなことを言い出した。
今日も安定の妄想トーク炸裂や。
「マジだって!ふっかさんも言ってたよな?」
「言ったけど、あれは俺が夜更かししすぎて目の下クマになったのを“吸血鬼の呪い”って騒がれただけだからな」
「ほらな〜〜!ただの寝不足!」
「でもよ〜?俺さ、夜にあの公園歩いたらさ、なんかスッって冷たい風通って……背筋ゾワッてしたんだよね」
「それ、ただの気温差やん。春先は夜寒いんよ」
俺は笑いながら、学食のコロッケをつまむ。外はぽかぽかしてるのに、ふっかさんの話はいつも冬みたいにヒヤッとする。
「じゃあ康二、お前さ、“吸血鬼”に血吸われるなら、どんなタイプがいい?」
「は?何その雑な選択肢!」
「金髪イケメンor関西弁のキザ系or…黒髪ロングの無口系!」
「え、関西弁ってもうオレやん!」
ふっかさんが吹き出しそうになって、お茶を口元で止めたままこっちを見てくる。
「じゃあ康二、**お前が吸血鬼でしたー!ってオチだな。今すぐ血ィ吸ってみ?」
「こわ!それやったらまずはふっかさんからやな。献血お願いしまーす!」
ガヤガヤ笑いながら、平和そのものの昼休みが過ぎていく。
誰も「吸血鬼」なんて本気にしてない。
俺も、もちろんそう。
――――――――――
「……やっば、もうこんな時間やん」
キャンパスの自習室にいたのは、気づけばもう俺ひとりだった。
ふっかさんもさっくんも、とっくに帰ってしまったらしい。スマホの画面には「先帰るー」ってLINEが1時間以上前に届いてた。
レポート、やる気出すと集中してまうから困る。
とはいえ、終わらせた達成感でちょっと気分がいい。
「よし、帰ろ」
荷物をまとめて外に出ると、ふっと肌寒い風が吹いた。春なのに、夜の風はどこかひんやりしてて、思わず肩をすくめる。
ふと空を見上げると──
「……赤い、月?」
月が、真っ赤に染まっていた。
まるで、血の色みたいに。
こんな色の月、今まで見たことあったっけ?
不気味というか……ちょっと、ぞわっとする。
「……いやいやいや、なんかの気象現象やろ。さっくんなら喜んで写真撮ってたな」
誰に聞こえるでもなく、そう口に出して歩き出す。
夜のキャンパスはやけに静かで、遠くで車の音が時折聞こえるくらい。
街灯の光も、心なしか弱々しく見える。
大学の裏門を抜けて、住宅街に出る頃には、人通りがすっかりなくなっていた。
コンビニの明かりが見えるとホッとするのは、田舎育ちの名残かもしれへん。
でも。
なんやろ、この感じ。
ただ暗いだけやのに、背中がざわつく。
誰かに見られてるような、空気が重たいような……そんな、根拠のない違和感。
「……吸血鬼、か」
昼間のさっくんの声がふいに頭に浮かんで、俺は思わず笑ってしまった。
「ないない。あるわけないやん、そんなん」
でもその笑い声さえ、すぐに夜の静けさに吸い込まれていった。
暗いだけでいつもの帰り道──のはずだった。
駅に向かう細い道。コンビニを右に曲がって、小さな公園を横切ると、見慣れた住宅街に出る。
毎日通ってる、慣れたルート。
……の、はずやのに。
「……あれ?」
何かが違う。
いや、“全部”が、違う。
コンビニを過ぎたあたりから、景色に微妙なズレが生じ始めた。
いつもあるはずの駐輪場が、ない。
見慣れた電柱の張り紙も、ない。
さっきすれ違ったはずのコンビニも、もう見えへん。
気がつけば、足元を照らしてた街灯も一つ、また一つと消えていって、代わりにぬるい闇が足元に染みてくる。
「……え、なにこれ。道、間違えた?」
そんなわけない。いつも通ってる、はずやのに。
ぐるりと見渡しても、見たことない壁、見たことない建物、知らない店のシャッター。
どこにも、“知ってるもの”がない。
気がつけば、細い路地の奥にいた。
両側は無機質なコンクリートの壁。引き返そうとした足が、ふと止まる。
……カサ……カサカサ……
「……誰か、おる?」
背筋がひやりと冷える。空耳じゃない。何かが、這うような音を立てている。しかも、複数。
その瞬間だった。
「ヒッ……!」
背後から、ドス黒い気配が一気に迫った。
慌てて振り返ると、闇の中に──人影。
いや、人じゃない。
ぎらついた目。
口元から滴る、赤黒い液体。
足元はふらついてるのに、異様な速さで、こっちに近づいてくる。
「おい……マジかよ……っ」
一歩、また一歩と迫ってくるその影。
そいつのあとに、さらに二人、三人……同じように血の匂いをまとった何かが路地の奥から姿を現した。
そいつらは笑ってた。
歪んだ口元で、喉の奥でくぐもった音を立てながら。
「……いただき、ます……」
「うそやろ……うそやろ……!」
走ろうとした。声も出そうとした。けど、体がうまく動かん。
膝が震えて、息が荒くなる。壁際に追いつめられて、背中が冷たくなった。
真っ赤な月が、細い路地の天井から、血みたいに染み出していた。
その景色に背を向けて、俺は――逃げた。
震える足に無理やり力を込めて、壁を蹴って、一歩。
アスファルトが滑るように遠のいて、足音がやけに大きく反響する。
「くそっ……っ!」
がむしゃらに走った。
息が詰まる。喉が焼ける。
目の前の空間がぐにゃりと歪んで、脳がついていかない。
どこか、出口を……どこか、誰か……
だが。
「どこへ、いくの……?」
背後から、ねっとりと這うような声。
次の瞬間、何かがガシッと足首を掴んだ。
「ッ──!?」
バランスを崩して、そのまま地面に叩きつけられる。
アスファルトが肌を裂いた痛みも、今はほとんど感じない。ただ、背筋に突き刺さる恐怖だけが異様に鮮明だった。
「ひ、……やめ……っ、はなせって!」
倒れ込んだ俺の上に、影がのしかかってくる。
顔が近い。目が、赤く光ってる。
口元には鋭く伸びた牙。呼吸のたびに、腐った血のような臭いが鼻をつく。
「お前の血……新鮮そうだね……」
やめて。
やめろ。
こんな、わけのわからん奴らに──
こんなところで──
「助け……っ、たすけて……!!」
必死に声をあげる。喉がちぎれそうになりながら、それでも絞り出す。
「だ……れ……か……っ!」
もう、誰でもいい。
誰でもいいから──
この悪夢みたいな闇から、俺を……!
この悪夢みたいな闇から、俺を……!
心の叫びは、夜に飲まれていくはずだった。
……なのに。
──キィィィィィ……
金属を刃で削るような、細く高い音。
空気が、まるで刃物みたく張りつめた。
その瞬間だった。
俺の体の上に覆いかぶさっていた“それ”が、ピクリと動きを止めた。
目が赤く、光ったまま、じり……と後ずさる。
まるで、何か──いや、“誰か”の気配に怯えてるように。
そして、次の瞬間。
「……下がれ」
低く、乾いた声が、闇の奥から響いた。
その声が聞こえたとたん、周囲の空気が一変した。
ぬるい夜の温度が一気に凍る。
喉の奥が詰まるような圧に、吸血鬼たちが怯え、ざわつく。
「ッ……あいつ……ッ!」
「来るなッ……来るなッ……!!」
足音が一つ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
コツン……コツン……と、革靴がアスファルトを鳴らす音だけが静寂に響いた。
暗がりから、黒いコートの男が現れる。
長身で、整った顔立ち。けれどその表情は、氷のように冷たい。
月の赤を背にして立つその姿は、人間とは思えないほど美しく──そして、恐ろしいほど孤独だった。
「……貴様らに、こいつを傷つける資格はない」
静かなその声に、暴走吸血鬼たちはたじろいだ。
たった一人なのに。
何もしていないのに。
その男がそこに“いる”だけで、空気が裂けるような威圧が走る。
「ちっ、こいつ、あの“純血”の……!」
「あんなもんに関わるなッ!」
ざわめきとともに、吸血鬼たちはまるで霧が散るように消えていった。
俺は、その場に倒れ込んだまま、息を飲む。
……何が起きた?
……誰、や?
その男は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
そして、無表情のまま、俺を見下ろすと、冷たく言い放った。
「……動くな。今、手当てする」
低く落ち着いた声がそう告げた直後、俺の腕にひんやりとした何かが触れた。
破れた袖口から、じわりと冷たい感触が染み込んでくる。
「ッ……」
かすかな痛み。
いや、それよりも──背中に焼きついた“あの目”の方が、離れなかった。
牙。
赤い目。
腐った血の臭い。
体にのしかかっていた重さ。
目を閉じても、フラッシュバックのように蘇る。
全身の神経がビリビリして、頭の中が霞む。
「呼吸が乱れてる。焦るな、もう大丈夫だ──」
男の声が近くで響いてるのに、遠くに感じる。
大丈夫って、何が?
こいつは誰?
なんで……なんでこの人の目も、赤いんや……?
ふと、視界の端で“その男”──目黒の顔が見えた。
無表情。けれど確かに、その目は赤く光っていた。
「……っ、やめ、やめろ……!」
俺の口からかすれた声が漏れる。
恐怖が理屈を越えて襲ってくる。
助けてくれたのは分かってるはずなのに、体が勝手に拒絶してる。
怖い。
何もかも、わけがわからない。
逃げたくても逃げられへん。
「おい……! おい、しっかりしろ──!?」
男の声が、焦りを含んで響いた。
けどもう、まともに返事なんてできる状態じゃなかった。
視界がぐらりと揺れて、足元が消えるような感覚。
俺の中の“理性”も、“恐怖”も、“現実”さえも、全部が崩れ落ちていった。
──遠くで、その声だけが俺の耳に残っていた。
「おい! 大丈夫か……!?」
あかん、もう……あかんわ。
世界が、すうっと暗くなっていった。
―――――――――――――
……まぶしい。
薄く目を開けた瞬間、白くて柔らかい光が視界に差し込んできた。
カーテン越しに朝日が揺れてる。
シーツの感触がやけに心地よくて、まるで夢の中みたいで。
けど。
「……え?」
見上げた天井も、隣の壁も、どこにも見覚えがなかった。
体を起こそうとして、まず驚いたのは、全身にじわっと広がる鈍い痛み。
それと──左の腕に巻かれた白い包帯。
「……どこ、ここ……?」
自分の声が、やけに小さく聞こえた。
パニック寸前であたりを見回すと、テーブルの前に男が座っていた。
黒い服。長身。彫りの深い顔立ち。
目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
──昨夜の“あの男”。
「……やっと起きたか」
彼は、そう言ってゆっくりと席を立った。
声は低く、落ち着いているけど、どこか張り詰めた気配をまとっていた。
「っ、あ、あんた……! 昨日……俺……!」
言葉がうまく出ない。思い出した瞬間、背中に汗がにじんだ。
あの路地裏。赤い月。暴走した“何か”。
そして──彼の赤い目。
「安心しろ。もう危険はない」
男は俺の反応にも動じず、冷静に言った。
そして、少しだけ目を伏せて、まるで何かを告げる覚悟を固めたように、続けた。
「お前は──昨夜、あの場で命を落としかけていた」
「……っ」
「応急処置だけでは間に合わなかった。だから俺は……お前の血を吸った」
心臓が跳ねた。
冗談みたいな言葉なのに、声に嘘がないことが直感でわかってしまう。
「な、なに言って……吸ったって、なんで……」
「俺は吸血鬼 名は目黒。……そして、お前は今、俺と“契約”してしまっている」
世界が、音を立てて崩れていく気がした。
目の前の男の目が、ほんの一瞬だけ、赤く光った気がした。
……吸血鬼。
血を吸う、あの。
夜の路地裏で俺を襲ってきた、“あれ”と同じ存在。
「……嘘やろ、そんなの……」
俺の声は震えていた。信じられるわけがなかった。
でも、信じるしかなかった。だって──目の前の男の瞳が、また赤く光ったんや。
「この世界は、表向きは平凡な都会。人間が日常を生きる、ごく普通の社会だ。
だが、夜になるとその裏に──俺たち吸血鬼が紛れて生きている」
目黒と名乗った吸血鬼は静かに歩き、窓のカーテンをわずかに開いた。
差し込む朝の光が、彼の輪郭をなぞるように照らす。
「俺たちは日中、力が極端に落ちる。だが、完全に陽光に焼かれるわけじゃない。
人間に近い形で、社会に溶け込んで生きている」
「じゃあ……昨日、俺を襲った奴らは……」
「“暴走種”だ。ルールを守らず、欲望のままに人の血を求める堕ちた吸血鬼。
本来、俺たちは人間と共存している。だが、ああいう存在が増えると世界の均衡が崩れる」
まるで教科書を読み上げるような、感情のない口調だった。
でも、それが逆に現実味を帯びていて、背筋が冷える。
「そして──お前が襲われた時、咄嗟に血を吸ってしまったことで、“血の契約”が成立した」
目黒がこちらをまっすぐ見た。
「これは、吸血鬼と人間の間に結ばれる主従関係。俺がお前の命を助けた代償として、お前の“存在”は、俺に縛られることになった」
主従。
契約。
命の代償。
頭が回らん。なにそれ、ゲームの話?漫画?
それともまだ夢の中? でも……
「証拠を見せようか?」
目黒がそう言って、俺の手を取った。
一瞬、その体温の低さにゾクリとする。
次の瞬間。
……ビリッ。
目黒の指先が軽く俺の肌に触れただけなのに、脳の奥に直接声が響いた。
《落ち着け、俺はもう“主”だ。お前に危害を加えたりはしない》
「……ッ、やめろ、な、なんやねんこれ……!! 頭に……声が……!」
「これが“契約の証”だ。主が願えば、従者の内面に声が届く。今はまだ弱いが、これから……」
「いや、無理……!無理や、そんな……!」
現実感が崩れた。
昨日までの世界が、音を立てて崩れていく。
けど、どれだけ否定しても、体は確かに、あの男に“繋がれて”しまっていた。
そしてその男──目黒の瞳は、どこまでも冷たく、美しかった。
「……ようこそ、“夜”の世界へ」
その一言が、まるで終わりのようで、始まりのようで。
俺はまだ、その重みを、何ひとつ理解してなかった。
いや…理解なんてしたくない!!
「……無理や、そんなの……!」
気づいた時には、玄関の扉を開けて、外に飛び出していた。
目黒の部屋。
吸血鬼。
契約。
主従。
……そんな言葉が頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱して、何が本当で何が嘘かも分からなかった。
とにかく、逃げなきゃ。
ここにいたら、自分が自分じゃなくなる気がした。
息を切らして、ただひたすらに走る。
見知らぬ通り、すれ違う車の音、人の気配。
全部が遠くて、現実感がなかった。
どこに向かってるのかも分からない。
でも足は止まらなかった。
脳裏に焼きついた赤い目。
聞こえたはずの声。
肌に残る、低い体温──
「やめろ……やめてくれ……!」
知らない道を曲がって、また曲がって、気づけば夜になっていて、気づけば木々の匂いがしていて──
──そして、そこで俺の意識は、途切れた。
――――――――――
「……ん……」
白い天井が、視界ににじんだ。
消毒液の匂い。機械の音。硬いベッド。
「ここ……どこや……」
微かに体を起こすと、カーテンの外から白衣の人影が現れる。
年配の男性が、眉を下げながら俺に近づいてきた。
「目が覚めましたか。……驚かないでくださいね」
そう前置きして、医者は静かに告げた。
「あなたは、三日間行方不明になっていたんです。昨日の夕方、山中の森林地帯で倒れているところを発見されました。低体温と軽い脱水症状はありましたが、大きな外傷はなく……とにかく、よく無事で」
「……三日……?森林……?」
混乱した脳が、言葉を理解しようとして、拒んだ。
いや、そんなはずない。
俺は……目黒の部屋にいて……その後、街を……夜の道を……
「……っ……なんで……」
視界がぐらつく。
体はちゃんとここにあるのに、心がどこかに取り残されている感覚。
まるで、違う世界を見てきたような。
……いや。ほんまに“違う世界”に、足を踏み入れてしまったのかもしれへん。
「ご家族には連絡済みです。しばらく安静にしてくださいね。……身体が現実に追いついてないだけです」
医者の声が、どこか遠くに聞こえた。
俺は、三日間どこにいたんや。
目黒の言ってた世界は──夢やったんか? それとも──
頭がうまく働かん。
けど、ひとつだけ確かなのは……
あの赤い瞳だけは、今も、まぶたの裏に焼きついて離れへんということだった。
――――――――――――
「……ふぅー……」
久しぶりに歩く、大学の坂道。
何でもないはずの通学路なのに、空気の匂いすら違って感じる。
春のはずなのに、肌に触れる風がやけに冷たい。
体調は“もう大丈夫”って医者は言ってた。
検査も異常なし。
でも──どこか、おかしい。
人の話し声が耳に刺さるようにやけに鮮明だったり、
スマホの光が、以前よりまぶしく感じたり、
なにより……人の体温が、近くにいると妙に気になって仕方ない。
「おーい!康二ー!」
前方から手を振る声。
顔を上げると、さっくんとふっかさんがこちらに歩いてきていた。
「久しぶり!お前、マジでどこ行ってたんだよ!」
「心配したんだからな。いきなり音信不通で、しかも行方不明とか……」
「……ごめん、ごめん。なんか、気ぃついたら病院やってん」
俺は笑ってごまかす。
本当のことなんて言えるわけがない。
“吸血鬼に血を吸われて、契約して、気づけば山ん中にいた”なんて、誰が信じる。
「てか顔、ちょっと痩せた?」
佐久間が俺の頬をじっと見つめて、ふいに言った。
「うん、なんか、目も鋭くなった気がする」
ふっかさんまで眉をひそめて覗き込んでくる。
「……そ、そんなことないって!寝不足やからやって!」
強引に笑ってみせるけど、二人の目はごまかせてない気がする。
ほんまは、俺が一番気づいてる。
体の奥に、何か違うものが流れてる感覚があることを。
自分の中に、“知らんもの”が棲みついた気配が、ずっとある。
「……なぁ康二、お前さ」
「ん?」
「……なんか変なことに巻き込まれてないよな?」
さっくんの声が妙に真剣で、俺は一瞬、呼吸を忘れた。
返事をしようとしたその時、遠くの屋上あたりに──黒いコートの人影が一瞬、揺れた気がした。
けど、それはすぐに消えて、まるで幻だったかのように、春の風が吹き抜けた。
──日常に戻ったはずやのに。
俺の世界は、もう“前と同じ”じゃない気がしてた。
授業が終わって、何もない空き時間。
人の少ない裏門側のベンチに座って、コンビニのコーヒーを飲んでいた。
風はあいかわらず冷たいのに、妙に体が火照る。
目を閉じると、どこかで誰かの気配がした。
いや、違う。
“誰か”じゃない──“あの人”や。
──目黒。
忘れようとしても、どこかで感じる。
同じ空気の中にいるだけで、体の奥がざわつく。
「……っ、なんやねん、これ」
自分で自分がわからない。
怖かったはずや。
逃げたはずや。
拒絶したはずや。
けど、体が──あいつを探してるみたいやねん。
「……探す必要はない。俺が来た」
その声に、全身が凍った。
顔を上げると、木陰からひとり、黒いコートの男が歩いてくる。
他の学生の視線をすり抜けるように、まるで彼だけ“空気が違う”世界に生きているみたいやった。
「……また、勝手に……!」
言葉より早く、感情がこみ上げる。
「なんで、俺の前に現れるんや……!」
「“契約”したからだ」
目黒は一切の感情を見せずに言った。
その声は静かすぎて、逆に怒りのぶつけどころを失った。
「契約って……じゃあ、オレのこの気持ちも……!あんたが勝手に“縛った”からやろ!?」
「……そうだ。だからこそ、君にはできる限り干渉しないつもりだった」
「なら、なんで……!」
声が震えた。
胸の奥が、わけのわからない感情でいっぱいになる。
怖い。
悔しい。
「俺、知らんかったのに。あんたが何者かも、世界がどうなってるかも。
勝手に巻き込まれて……勝手に血、吸われて……なのに、オレ、……っ、あんたの顔、忘れられへんくなってて……!」
目黒は何も言わなかった。
ただじっと、俺の言葉をすべて受け止めるように、黙って立っていた。
その沈黙が、また腹立たしくて、切なくて。
「これが“吸血鬼との絆”やとしたら、そんなん──いらんよ……」
喉が震えて、それ以上言葉にならなかった。
だけど、目黒はその一言にだけ、静かに応えた。
「……それでも、お前がまた危機に陥ったとき。俺は、必ず助ける。それが“主”の責務だ」
冷たい声なのに、どうしようもなく、心に刺さった。
俺は、どうしたらいいんやろ。
この“契約”も、“あんた”の存在も、忘れたくても……体が、心が、拒めへん。
……助けられたあの日から、ずっと。
──俺はもう、ひとりの人間ではいられなくなってる気がしてた。
その実感が、じわじわと体の奥からせり上がってくる。
認めたら、終わってしまう気がする。
だから俺は、必死で言葉を繋いだ。
「……こんなん、おかしいよ。オレ、普通に生きてきただけやのに……!」
目黒は、わずかに瞳を伏せて言った。
「受け入れろ。お前はもう、ただの人間じゃない」
静かで、何の揺れもない声。
でもそれが、なおさら俺を追い詰めた。
「……イヤや……!」
自分でも、驚くほどに強く言い返していた。
「無理やって……そんな簡単に、受け入れられるかよ……!
あんたみたいに何年も、何百年も……こんな世界に生きてきたんちゃうんやぞ、オレは……!」
声が震える。
目の奥が熱くなるのに、絶対に泣きたくなかった。
目黒は、一瞬だけこちらを見つめ──それから、ゆっくりと後ろを向いた。
「……わかった。今は、引く」
その背中は、冷たくて、どこまでも静かだった。
だけど、去り際の言葉が、小さく、だけど確かに届いた。
「だが、お前の中ではもう始まっている。それは、いずれお前自身が気づく時が来る」
風が吹いた。春の風なのに、やけに冷たかった。
次の瞬間、目黒の姿は人の波にまぎれて、消えていた。
──残された俺は、ベンチに座ったまま動けなかった。
自分の鼓動が、やけに耳に響いていた。
逃げても、拒んでも。
あの人の声が、俺の中に残ってる。
……俺は、これからどうなっていくんやろ。
自分の鼓動が、自分じゃない誰かに呼応してるみたいで──怖かった。
続きはnoteかBOOTHで作者名『木結』(雪だるまのアイコン)で検索して下さい。
noteからBOOTHへ飛べます☆