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尚子は自分の制服を見つめた。
真新しい中学校の制服。
憧れのセーラー服に身を包み、周りの友達は喜んでいた。
尚子も喜んだフリをした。
でも嬉しくなんかなかった。
小学校3年生の時、母が死に、父は尚子を厳しく育てた。
塾に家庭教師。ピアノに習字。
それまで勉強机に傷ひとつつけることなく、楽譜も読めないような尚子は、それらを受け入れられなかった。
塾までの道でお腹が痛くなり、ピアノ教室の日は朝から吐き気がした。
「尚ちゃんは忙しいからダメだって!」
「お稽古があるらしいよ」
「私たちみたいな普通の子とは遊べないんじゃなーい?」
付き合いが悪くなった尚子を、友達たちは敬遠するようになった。
習い事で疲れ果て、教室では無視されて、そのうちに尚子は学校に行くのも休みがちになった。
「そんなくだらない友達とは付き合わなくていい!」
祖母から事情を聞いた父親は、そんな言葉で突っぱねた。
「もっと高貴な友達を作り、時間を有意義に過ごすべきだ!」
小学6年生の時。
私立の中学校を受験した。
受かれば大学までエスカレーター式の学校だ。
父曰く、尚子でも入れる学力の学校をピックアップしてきたから大丈夫だということだったが―――。
尚子は落ちた。
落ちて、地元の中学校に入学が決まった。
桜が散る昇降口。
『入学おめでとう』と書かれた看板の前で、祖母が撮ってくれた写真に、
父は写ってくれなかった。
◇◇◇◇◇
何度か「花いちもんめ」を繰り返すうちに、花崎が一人になった。
仙田が握っていた手に力を込める。
尚子は頷いた。
これで、花崎がジャンケンに負ければ……。
花崎の負け。
彼は誰かの犠牲の上に蘇る。
彼はそれを望んでいるのだろうか。
一人になった花崎の反応を見ても、よくわからなかった。
『花崎君が欲しい♪』
四人で足を蹴り上げると、彼は尚子を見つめた。
『仙田さんが欲しい♪』
言いながら弱く足を振り上げる。
―――仙田……?
尚子は仙田を見上げた。
なんでだろう。何か嫌な予感がする。
あの作戦通りにやれば、負けるはずがないのに。
「大丈夫だよ」
不安な気持ちを察してか、仙田がこちらを見て笑う。
『ジャンケンポン!』
負けたのは―――仙田だった。
仙田が花崎と並び、手をつなぐ。
中学生の終わり頃だろうか。
着ていた制服はくたびれてところどころテカり出し、男たちの体つきも出来上がってきた。
そろそろこの遊びが辛い年齢だ。
どうやら仙田の髪の毛はこの頃にはすでに色を失っていたらしく、着崩した学ランに垂れるそれは金色で長さは肩ほどまでもあった。
一方、花崎は黒髪の襟足を刈り上げいかにも優等生タイプだ。
ブレザーのネクタイをキュッと上まで閉め、きちんとズボンを上げていることで、長い脚が強調されている。
なんともちぐはぐな2人が手を繋いでいる様は滑稽だった。
尾山は……というと、着ているのはブレザーだが、背広に見える。
几帳面そうで影があって、今とそんなに変わらないように見えた。
『相談しよう♪』
『そうしよう♪』
花崎は再び尚子を意味深に見つめた後、仙田の腕を引き、こちらに背を向けた。
「……………」
胸騒ぎがする。
大丈夫だ。
大丈夫なはずだ。
仙田は尚子を裏切らない。
作戦どおり、ピンチになったら助け合えばいい。
そもそも今、こちらのチームには、尾山の他にアリスがいる。
大丈夫。
大丈夫だ。
「どうする?」
尾山がアリスを見る。
「僕は傍観者に徹しますのでお二人で決めてください」
尾山は尚子を見た。
「―――仙田がいいか?」
尾山はハッと鼻で笑いながら言った。
「お盛んなことだな。命の瀬戸際だというのに」
「……………」
馬鹿にしたような表情。
汚らわしいものを見るような目つき。
彼はどこか父に似ていた。
―――私、この人、嫌い。
尚子は尾山から目を逸らし、花崎と何やら話し込んでいる仙田の金色の頭を見つめた。
早く。
早く、彼の腕の中に入って安心したい。
身体の中心を串刺しにされて、動けなくしてほしい。
他に選択肢はないんだと、安心したい。
早く。
早く、早く……!
やっと話し合いが終わったらしい。
花崎が顔を離すと、仙田はこちらを振り返った。
「……………」
「――――?」
尚子も仙田を見つめた。
その顔は――――。
先ほどまでの仙田ではなかった。
『仙田さんが欲しい♪』
『尾山さんが欲しい♪』
―――名前を呼ばれたのは尾山だった。
そしてジャンケンに負けたのも尾山だった。
何だろう。
仙田の顔が引きつっている。
ヘアバンドで纏められた額から汗がにじんでいる。
視線を花崎に移動する。
花崎に脅された?
あの仙田が?
ずっと花崎に対しては強気だったのに。
何があったのだろう―――。
『あの子がほしい♪』
『あの子じゃわからん♪』
『相談しましょ♪』
『そうしましょ♪』
「――――土井さん」
黙り込んだ尚子をアリスが覗き込む。
「―――生き返るのは、嫌ですか?」
尚子は彼を見つめた。
彼だけ学ランもブレザーも来ていない。
いつもの喪服のように真黒な短パンのスーツだ。
「……嫌です」
尚子は俯いた。
「なぜ?」
「……………」
―――生き返ってもどうせ、殴られるから。
仙田に言えた言葉が、アリスには言えない。
「じゃあ、質問を変えます」
アリスは静かに近づいた。
「あなたを自分の命と引き換えに、生き返らせてくれたのは、誰だと思いますか?」
「――――」
―――お祖母ちゃん。お父さんのお母さん。ずっと優しくしてくれたから。
仙田にはスラスラと言えた言葉がやはり出てこない。
だって―――。
尚子は顔を上げた。
だってこの人は、全部知ってるから。
「土井さん」
アリスは青白い唇を動かした。
「あなたが生き返っても、殴る人はもういません」
「――――」
「この意味が、分かりますね?」
「――――」
尚子の眼から涙が溢れた。
やっぱり。
やっぱり―――。
『……尚子!』
優しかったころの父の笑顔が蘇る。
肩車してくれた、逞しい肩を。
汗だくになった額を。
煙草の匂いを。
脚を抑えてくれた手の温かさを。
――――お父さん。
だから私は……。
生き返るわけには行かない……。
お父さんを、殺すわけにはいかない。
――名前を呼ばれたのはアリスだった。
勝とうと思えば勝てるはずなのに、アリスは負けた。
尚子は4人の顔を見つめた。
尾山。
だるそうに首を回している。
仙田。
なぜか目を合わせようとしない。眉間に皺を寄せながら尚子の足元あたりを見ている。
花崎。
感情の読み取れない無表情。しかし尚子から目を離さずにじっと見てくる。
アリス。
「ーーーー!」
目が合った瞬間、彼は尚子に対して初めて微笑んだ。
キーンコーンカーンコーン
またチャイムの音が響き、中学校は高校に変わった。
尚子はこの部屋に入ったときと同じく、ブレザーの制服に大きめのカーディガンを羽織っていた。
そして片眼には―――。
眼帯をしていた。