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図書館の前に住んでいる人は本好きの人に違いない。
子どものころからそう思っていた。
今、住んでいる家の近くの図書館前にも、新しい白い家が建っていて。
きっと、ここに住んでいる人も本好きなんだろうな、と思っていた。
私の頭の中では、その白い家には感じのいい老夫婦が住んでいて。
あの中世の城の扉みたいな小洒落た木の扉を開け、本を入れるための白い頑丈そうな布袋を手に家から出てくるおじいさん。
家の前を掃いているおばあさん。
こんにちは、とにこやかに挨拶する私。
そんな素敵な妄想を描いていたあの家で、こんな惨劇が起きるとはーーっ!
なんかよく寝た……。
目を覚ました石崎和香は見慣れぬ真っ白な天井を見つめた。
病院の天井……?
違うな。
ただの白い天井じゃなくて、よく見ると、なんかアラビアンな感じの紋様がうっすら入っている、小洒落た天井だ。
和香はふと顔の向きを変えてみた。
横に誰かが寝ている気配がしたからだ。
鼻筋の通った男の横顔があった。
そういえば、仄かないい香りもしている。
神々しいくらいのイケメンだが、女子社員にも容赦ないと噂の――
いや、噂のというか、実際、他の課の和香にまで容赦ない神森耀が横で寝ていた。
耀は社長のサポートをする部署『社長室』の中にある秘書課の課長だ。
……ところで、私、なんでここにいるんだっけな?
耀は真っ白でふかふかな掛け布団の中に寝ていて、自分はその掛け布団の上に死体のように転がっている。
何故、このような事態に?
そういえば、今日は会社の呑み会だったはず――。
和香は記憶を巻き戻してみた。
和香は昔から、正確に映画のように、きゅるるっと記憶を巻き戻せる。
場合によっては、かなり厄介な能力なのだが……。
ともかく、和香は耀の寝顔を見ながら、今夜の記憶を巻き戻してみた。
和香は新しくできたばかりの和風の居酒屋でみんなと呑んでいた。
耀は酔ってない顔をして酔っている厄介な人で。
呑み会の席で、真顔で仕事の注意点とか話してくるので面倒臭く。
みんな、
「神森課長の美しい顔だけ眺めていたい」
と言って、耀から距離をとったので、和香が隣の席になったのだった。
いや……私もそこまで苦手じゃない、というだけで、苦手なんだが、と思いながらも、和香は仕方なく、耀に語られつづける|餌食《えじき》となった。
どうせ、そんな美しい顔で見つめてくるのなら、愛でも語ってください。
いや、語られても困るけど、と思いながらも。
あ~、そうだったそうだった。
それで、めちゃくちゃ的確に指摘してくるくせに、実は酔っている面倒臭い課長を二次会に行かない私が同じタクシーに乗せて、連れて帰ることになったんだったっ。
二人きりのタクシーの中。
耀が、会社の方針について語っているのを和香は子守唄のように聞いていた。
めんどくさい課長様とはいえ、相手は口からご立派な話を垂れ流しているだけの正気でない酔っ払い。
大勢いた空間から、ある意味、一人になったようなものだったので、気が抜けたのか、和香も、うとうとしてしまった。
「着きましたよ」
と運転手さんに言われた和香は慌てて、耀の腕をつかむ。
耀も寝ていたからだ。
スクラムを組むラグビー部員たちのように体勢になり、耀を引きずり降ろした。
「ほら、課長。
鍵を出してください」
と今は静かになっている耀をなんとか歩かせながら、玄関前で言ったとき、後ろで、バーッとタクシーが走り去ってしまった。
ああっ、と慌てて和香は振り向く。
ちょっと待っててくださいって言うの、忘れてた~っ!
しかも寝ぼけていた和香は、降りるとき、反射でタクシーチケットを渡してしまっていた。
会社の呑みだったし、和香が耀を送っていくというので、別の上司が、
「頼んだぞ」
とタクシーチケットをくれていたのだ。
だが、振り返ると、いつの間に鍵を開けたのか、玄関扉が内側に向かって開いていた。
耀の目はほとんど閉じている。
だが、無意識のうちに家に入ろうとしているようで、和香とスクラム組んだまま、流れるように靴を脱ぎ捨て、入っていった。
仕方ないので、和香も急いで足を振って、パンプスを脱ぎ、ついて入る。
「あの~、課長、大丈夫ですか?
ちゃんとベッドに入って寝られますか?」
うんうん、と耀は頷くのだが、肩を組んでいることに気づいていないのか。
そのまま進んでいくので、和香も一緒に廊下を進む。
……面倒な酔っ払いには逆らうまい。
ベッドに落として逃げよう。
そう和香は思った。
長い廊下は新築の木の香りがしていた。
「課長、水とか呑まなくていいですか?」
うんうん、と耀は頷く。
「お手洗いは大丈夫ですか?」
うんうん、と耀はまた頷く。
そのまま耀は二階の寝室に行き、ベッドに倒れ込んだ。
和香は自分も猛烈に眠いのを我慢し、耀の身体の下から掛け布団を引っ張り出し、耀にかけてやる。
寝室は和風モダンな旅館のようで。
枕元の灯りに照らし出されてオレンジ色に染まる真っ白でふかふかの布団が気持ちよさそうだった。
私も家に帰って、こんな立派じゃないけど、もふもふふかふかの布団に包まれて眠りたいっ、と思った和香は、
「課長、鍵は何処ですか?」
と急いで訊いてみた。
だが、よく考えたら、鍵を持って帰るわけにもいかない。
まあ、課長は美しいが男だし。
そんなに襲われることもないだろう。
っていうか、さっき肩組んで思ったけど、見た目より筋肉質だし。
きっと生真面目にジムとかで鍛えているに違いない。
屈強な泥棒とか入ってきても、屈強に抵抗できるだろう。
帰ろう。
狭い我が家のふかふの布団を思い描きながら、和香は帰ろうとした。
だが、そのとき、誰かがぐっと自分の腕をつかんだ。
見ると、耀があの鋭い目でこちらを見ている。
「石崎……?」
とよく響くいい声で訊いてくるので、ホッとした。
一眠りして、ようやく酔いが覚めたと思ったのだ。
「課長、私帰りますから、中から鍵をかけてください」
耀は黙って、切れ長の目で和香を見つめている。
……いや~、力強く腕を握られて、そんな風に見つめられると、あなたが苦手な私でも、さすがにときめいてしまうので、離してください、
と思ったのだが、そのまま耀はなにも言わない。
「……課長」
耀の視線は動かない。
あれっ?
和香はいつものようにキリッとしている耀の顔の前で手を振ってみた。
……もしかして、寝てる。
酔ってない顔で酔っているの次は、寝てない顔で寝ているっ。
ほんとうにめんどくさい人だっ。
いや、どうすんだ、これっ。
困ったぞっ、
と頭を抱えているうちに、自分も寝てしまったようだった。