最初は好きとか嫌い以前に、ただひたすら彼のことが怖かった。─…霞柱 時透無一郎
齢14にも関わらず、刀を握り約2か月で柱まで登りつけた天才剣士。
素直に尊敬できるはずがなかった。
「立場をわきまえて行動しなよ。赤ん坊じゃないんだから」
舌が氷で出来ているのではないかと疑ってしまうほどの冷ややかな声。
『ぁ、う…』
目の前の少年──霞柱の軽蔑を含んだ浅葱色の瞳を見た瞬間、声にならない言葉が吐息のようにぽとりと口から零れ、肌からにじみ出た冷や汗が顔につけているひょっとこのお面の内側を濡らしていく。すぐ隣で絶句したように黙り込む小鉄という少年に限っては、可哀想になるくらいにブルブルと体を震わせていた。
小鉄くんに手刀を喰らわせ、私たちの里に受け継がれている“刀鍛冶”という職業を侮辱し、怖がる私たちのことを庇ってくれた炭治郎さんを殴って気絶させた霞柱。それに加え、小鉄くんの祖先が作った“緑壱零式”の腕を壊し、謝罪の一つも零さなかった霞柱。
そんな人のことを怖い以外のどの感情で表せばいいのかなんてわからなかった。
わからなかった、はずなのに。
自分よりも少し細い小鉄くんの腕を掴み、夜の里を必死に走る。
「敵襲―!!!!鬼だー!!敵襲―っ!!!」
大好きな里の人たちの鐘が割れるような叫び声や泣き声が頭の中にガンガンと響き、全身から血の気が引いていくのを感じる。額からにじみ出た冷や汗が髪に絡まり、地面に落ちて、乾いた地面に黒い染みが浮かび上がってきた。荒い息が喉をこだまし、視界がぐにゃりと溶けるように歪む。踏み出すたびに何度も足が絡まり、そのたびに立ち止まってしまいそうになる自分の体を精一杯堪える。そうでもしなければ今にも壊れてしまいそうだったから。
─…“鬼”が出た。刀鍛冶の、私たちの住む里に“人食い鬼”が出た。
目の前で何人もが死んだ。知っている人全員、血塗れになって里の地面に倒れていた。
「○○ちゃん!!○○ちゃん逃げて!」
すぐ後ろで小鉄くんの涙に濡れた叫び声が聞こえてくる。
「○○ちゃんの方が俺よりずっと足速いし、俺のこと放って先に逃げて!」
『小鉄くん一人ここに置いて逃げられるわけないでしょうが!』
私はそう叫び返すと、ほどかれそうになった小鉄くんの手を掴んで握り、離さないようにする。ドクドクと激しく脈打つ心臓の音が手の皮膚越しに伝わり、焦りが積もっていく。
もっと遠くに逃げなくちゃいけない。でもどこに?
どうしよう、早く考えなきゃ。このままじゃ二人とも殺されちゃう。
せめて小鉄くんだけでも…
そう思っていると、不意に視界の端を何かが横切った。
『……え?』
熊ほどの大きさのある、魚のような怪物だった。だが本当の魚とは違いその化け物の体からは丸太のように太く力のある手足が四本生えており、背中だと思われる部分には陶器の壺が逆さに乗っかっていた。奇妙過ぎるその姿に、嫌な予感が背筋を流れて空気が重くなる。
“鬼”。
少なくとも自分たちに危害を加える者。
一目見てすぐに分かってしまった。
「うわああ!!」
『小鉄くん!』
“鬼”の腕が段々とこちらに伸びてくる。血生臭いにおいが鼻の中に流れ込んでくる。
─…もう、だめだ。
ギュッと体を硬くさせ、来るで あろう痛みを受け入れる覚悟をした、その瞬間。
「邪魔になるから、さっさと逃げてくれない?」
そんな言葉と共に乳白色の色をした霞が瞬く間に海のように私たちの体を包み込み、私たちを襲おうとしていた“鬼”の腕が目の前で飛んだ。
その勢いでぴちゃりと生暖かい血液が私の頬に付着して、冷や汗とともに首筋を流れる。
『……へ』
目の前に誰かの長い黒髪が広がった。毛先だけはほんのりと浅葱色に染まっている、どこか見覚えのある髪。その隙間から覗く刃こぼれした刀身は酷く見慣れたもので、すぐに緑壱零式に持たせていた刀だと気付く。
その刀を持っている人物なんて、緑壱零式以外に一人しか知らない。
─…時透無一郎。緑壱零式の腕をもぎ取った、あの霞柱。
私がそう理解するよりも先に目の前の人物──時透さんは、ふたたび地面を蹴ると鬼の頭を一撃で斬り落とし、くるりと空中で一回転した。濁った音が続けざまに耳に放り込まれてきて、思考が止まる。
『……は、え』
気付いた時にはもうすべてが終わっていて、辺りはまるで何もなかったかのような静寂に包まれていた。カチャリと刀を鞘にしまい込む澄んだ音が私の鼓膜を揺らす。
突然の音の消えた世界に、ぽかんと口が情けなく開き、細い息が自身の唇を撫でた。
そんな中、時透さんは自分が倒した鬼の残骸が静かに消えていくのをじっと眺めていた。
透き通るような白い肌。小鉄くんが昆布と例えたあの腰まで伸びた黒い髪。何を映しているのかわからない光のない青い瞳。小柄な体に合っていないぶかぶかの隊服。
あの日と同じ、今しがた鬼の首を切った剣士にも、数日前に私たち“刀鍛冶”を侮辱した少年にも見えない、ぼんやりとした姿のまま彼はそこに立っていた。
たすけてもらった
時透さんに
あの時透さんに
そんな安堵と驚きの混ざった事実に頭の中が真っ白になった。その白が晴れて元に戻るのに、随分と長い時間がかかったような気がした。
気付いた時には、塵のようになっていた“鬼”の姿は最初からなにもなかったかのように消え伏せており、ひょっとこのお面から大粒の涙をどばどばと流している小鉄くんが時透さんに抱き着いているのが見えた。「ありがとう」と嗚咽にまみれたお礼の言葉が右耳から左耳へと静かに響いていく。
無意識のうちに足が動き出していた。力が入らない足を引きずるようにしながら、無我夢中で時透さんの元へと駆け寄る。ほどけた髪が風に靡き、空気と共にゆっくりと舞う。
『うわーん!!ありがとおおおお!!』
そう叫ぶと、私は時透さんの首へと勢いよく抱き着いた。
その瞬間、ずっと堪えていた恐怖という感情が、まるで潮が引くように静かに消えていき、言葉では表現できないほどの安堵が体中に広がって涙が止まらなかった。
遠吠えのような泣き声で「ありがとう」の言葉だけを必死に叫び、時透さんの体に縋りつく。土砂降りの雨のような涙が頬を流れ、乾いた唇を濡らした。
「……うん」
時透さんは少しだけ迷うような沈黙を産むと、それだけを静かに呟いた。
そして俯くように彼の首元に埋めていた私の頭をゆっくりと上げると、私の頬に付着していた“鬼”の返り血を長い隊服の袖で拭ってくれた。途端、涙の溜まった自身の目が見開いていくのが分かった。胸の奥で何かが甘く疼くのを感じ、体が少し熱くなっていく。そんな私と反対に、視界に映る時透さんは憎らしいほどいつも通りの無表情で頭が混乱していく。
「…鉄穴森と鋼鐵塚のところに案内して」
『え?』
「ヒイイイ!」
時透さんのその言葉を理解するよりも先に、彼は私と小鉄くんの体を自身の肩に担ぎ、走り出していた。左右の景色が瞬く間に流れていく。冷たい空気が熱くなった自身の頬を刺した。
「しゃべってると舌を噛むから」
そう言い、真剣な眼差しで里を見渡す時透さんに視線が縫い付けられる。
すき
そう気づいた時には、もう後戻りはできなかった。
「恋焦がれ」&「ループ再生」
(同時進行で更新)
⬇
「健やかなる時も、病める時も。」
⬇
「されど願わくば君の隣で」
の順で更新する予定です‼️
お楽しみに‼️
コメント
16件
無一郎君のストーリ好きなのよね🫶🏻️🥹 雰囲気最高すぎたよ君 🫵🏼💖
あーもうすきすきすきすき(><)♡ ほんと 書くの天才すぎるよ 🫵🏻⭐️ 里に住んでる人なのさいこう ‼️ これからがたのしみ🫠🫠