「でね、仁子。ここからが重要なんだけど」
羽理がひそひそと声を低めてすぐ横を歩く仁子に切り出すと、
「ここの神社に住まう猫ちゃんに会ったら、美味しい食べ物をあげるんです」
同じく仁子を挟むように反対側を歩いている杏子が続けて、大葉が「その後で猫っぽい婆さんから縁結びの御守を買ったらな、気になる相手へ二つあるうちの片割れ猫をもぎ取って渡すんだ。そしたら多分、信じらんねぇことが起こる」とククッと笑った。
「あ。そういやぁ詳しく聞いてなかったが、岳斗たちにももちろんあったよな?」
何が、とは告げずに羽理と仁子の頭を越えた先にいる杏子と岳斗を見詰めたら、杏子がぶわりと真っ赤になって、岳斗が「あ、あれは……何でお風呂場なんですかね?」と苦笑してみせる。
それで確実に杏子と岳斗の身にも、自分たちと同じ現象が起こったと確信した羽理と大葉だったのだけれど――。
「何の話なんですかぁ~」
仁子のスポーツバッグを携えたまま、四人の後ろをぴったりとくっ付いて歩いている懇乃介が仲間外れはイヤだとばかりに抗議の声を上げた。
そんな懇乃介に「五代くんにもそのうち分かる日がくるから」とにこやかに微笑みながら振り返った羽理は、懇乃介の背後へニョキッと現れた大きな人影に瞳を見開いた。
(筋肉マッチョの巨漢!)
思わずそう思ってしまった相手は、グレーのTシャツに黒のスリムパンツを履いたお洒落な男性だった。シンプルコーデが、引き締まったバランスの良い筋肉を際立たせている。年齢は大葉より少し上ぐらいだろうか?
手荷物と思しき有名メーカーのロゴが入ったスポーツバッグを、周りの人にぶつけないよう気を付けているのだろう。胸前で赤ちゃんを抱っこするみたいに立て抱きにしている姿が強面顔とアンバランスで何となく可愛らしい。もしかすると仁子同様ジム帰りだろうか。
羽理がじっと自分の背後を見ているのに気が付いた懇乃介がつられたように後ろを振り返って、「あ……」とつぶやいた。
「華南部長」
懇乃介の呼び声に背後の男性より早く仁子がビクッと肩を跳ねさせる。
「ああ、キミは確か営業課の……」
「五代懇乃介です」
振り向いて話しているせいで、人混みに押されてヨロリとよろめき掛けた懇乃介を筋肉質な腕が背後から片手で難なく支えると、「キミもジム帰りかね?」と聞いて、すぐさま『おや?』と小首を傾げた。
「けど、その鞄……」
華南部長……こと華南謹也がつぶやくより早く、仁子がサッと懇乃介から荷物を奪い取った。
「あ、あのっ。ちょっとした荷物持ち罰ゲームをしてて……それで五代くんが負けてっ」
仁子の言葉に懇乃介が「えっ。ゲームなんて」〝してませんよ?〟と言い掛けたのを、仁子がグッと足を踏んで黙らせる。
「法忍先輩、痛いですよぅっ」
「ごめんっ。ちょっと足がもつれちゃった」
笑って誤魔化そうとする仁子に、懇乃介がさらに何かを言い募ろうとするのを、「五代くん、こっちにおいで」と羽理が呼んで制すると、仁子の位置と懇乃介の位置が自然と入れ替わった。
大葉が「オイ、羽理っ」と不満気なのを無視して、羽理は懇乃介に小声で尋ねる。
「ね、もしかして彼が大葉の代わりにきた、新しい総務部長様?」
「え? あ、はい。そうっす」
懇乃介の答えを聞いて、羽理は思わずニンマリしてしまう。
(今まで何だかんだ言って会えなかった仁子の想い人を、こんな形で拝めるなんて!)
これは、このまま一緒にお参りしたらいいんじゃないだろうか?
(あ、でも……)
「ねぇねぇ杏子」
懇乃介を飛び越えてヒョコヒョコと顔を覗かせながら杏子に声を掛けると、大葉が「おい、五代。お前俺の隣に来い」と女性二人の間に挟まれてお邪魔虫と化している懇乃介を一番端っこへ誘ってくれる。
大葉のお陰で杏子と隣り合わせになれた羽理だったけれど、杏子は背後でマゴマゴしている二人をチラチラ気にしながら小首を傾げてくる。そんな杏子同様、羽理も背後を気にしながら杏子に囁いた。
「仁子はもう彼に告白とかしてるのかな?」
「アプローチはしまくってるって話ですけど、お相手が何か鈍いみたいでうまく伝わっていないかもってよくぼやいてます」
「あああ」
だとしたら、逆に縁結びの御守を華南部長の目の前で買って片割れを持っていてください、ってしても問題ないかな? と思ってしまった羽理である。
仁子が彼に気持ちを隠しているなら考えなくてはいけないけれど、仁子が伝えたくてたまらないのに伝わっていないならば、むしろ分かりやすいぐらいに直接的に攻める方が好都合ではないか。
後ろで仁子のスポーツバッグまで持ってあげている華南部長を見て、羽理は(脈、ありそうだし)とほくそ笑んだ。
***
「はじめまして。屋久蓑副社長の専属秘書をしております荒木羽理と申します」
人気の少ない神社の裏手まで来ると、羽理はやっとのこと、ずっと背後を歩いていた新しい総務部長・華南謹也にまともな挨拶が出来た。
「ああ、貴女が……」
ビシッと背筋を正して「総務部長の華南謹也です」と手を差し出してくるのを、大葉が横合いからサッと掻っ攫うように握って、「すみません。彼女は俺の妻になる女性ですので」とわけの分からない理由を述べて阻止してくる。
そんな大葉に一瞬瞳を見開いた華南部長だったけれど、すぐさま「これは失礼しました」と目尻を下げた。
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