テラーノベル
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第3話「音」
あの雨の日から、一週間くらい経った。
補習は、特別なものじゃなくなっていた。
放課後に残ることも、
少しだけ当たり前になっている。
昼休み。
廊下はいつもより少し静かだった。
ゆかりはパンを持ったまま、
なんとなく歩いている。
行き先は特に決めていない。
音楽室の前を通りかかったとき。
ふと、音が聞こえた。
ピアノ。
ゆっくりとした、でもどこか落ち着かない旋律。
ゆかりは足を止める。
少しだけ扉に近づいて、
中を覗いた。
水瀬がいた。
窓際のピアノに座って、
何も気にしていないみたいに弾いている。
背中はまっすぐで、
指の動きは静かだった。
ゆかりは少しだけ驚く。
先生がピアノを弾くなんて、知らなかった。
それに。
思っていたより、ずっと上手い。
音は途切れずに続く。
綺麗なのに、少しだけ冷たい。
明るいのに、どこか落ち着かない。
ゆかりは、理由は分からないまま、
そのまま立っていた。
曲が終わる。
最後の音が消えるまで、
水瀬は手を離さなかった。
少ししてから、ゆっくりと鍵盤から指を離す。
「速水さん」
振り向かないまま、名前を呼ばれる。
ゆかりは少しだけ驚く。
「…気付いてたんですか?」
「音、止まったから」
水瀬はそう言って、ゆっくり振り返る。
表情はいつもと変わらない。
「ピアノ、弾けるんですね」
「まあね」
軽く答える。
特別なことじゃない、みたいな言い方。
「今の、なんて曲ですか?」
ゆかりは聞く。
ただ気になっただけだった。
「死と乙女」
少しだけ間を置いて、水瀬が答える。
その言葉は、ゆかりにはあまり馴染みがない。
「へぇ…」
それ以上、特に感想は浮かばない。
「いい曲でしょ」
水瀬が静かに言う。
「うん、なんか…落ち着くかも」
ゆかりはそう答える。
理由は分からないけど、そう思った。
水瀬は小さく頷く。
「そうだね」
それだけ。
ゆかりは少しだけ音楽室の中に入る。
さっきまで立っていた場所より、
少しだけ音が近い。
でももう、音は鳴っていない。
「また弾きます?」
なんとなく聞く。
深い意味はない。
水瀬は少しだけ考える。
「放課後なら」
そう言って、鍵盤に軽く触れる。
「じゃあ、来ます」
ゆかりは自然に答えていた。
(第3話 終)