煙草に火を付けて、男は煙を吐き出した。白い煙が薄汚れた事務所の中を泳ぎ、天井にまた到達した。厳めしい顔の男は物音に気付き、目線だけを事務所の入り口の方に向けた。
「あ、御岳さん。帰ってたんですね……って、煙草吸う時は換気扇の下でってお願いしたじゃないですか!」
「別に良いだろ? ここは俺の事務所だ」
事務所の中に入ってきた水色の髪の少女、瑞樹が食ってかかると、御岳と呼ばれた男は鬱陶し気にそう返した。
「いつもなら良いですけど、今は光ちゃんも居るんですから……!」
「い、いえ……私のことは本当に気にしないで下さい! ただでさえ、迷惑かけてばかりですし……」
「……子供が気にすることじゃない」
少女の背に隠れていたのは、白っぽい金髪を背中まで伸ばした少女だった。その少女、光が申し訳なさそうに言うと、御岳はやりづらそうに煙草の火を消した。
「黒崎は?」
「一応、外を見て回ってから戻って来るらしいですよ……あ、来ましたね」
御岳が視線を向けると、高校生くらいの男が入ってきた。背は少し低めで、体格はどちらかと言えば細身と言っても良いくらいだった。
「御岳さん、茜はどこいったの?」
「知らん。最近は新しく手に入れたオモチャを試してるって聞いたが」
「あ、だったらあそこだよな? 俺も行ってこようかな? あ、今は無理か」
「平時でも止めとけ。あそこは無駄に金を取られるぞ。それに、他人に見られるような場所ではやらないだろうな……実際、あの鞭は相当ヤバい代物だ」
御岳が言うと、男は首を傾げた。
「鞭、何それ?」
「黒崎。お前、茜から聞いてないのか」
「……聞いてないけど」
不機嫌そうに言った黒崎から視線を逸らし、御岳は瑞樹達の方を見た。
「疲れただろう。二階で寝かせといてやれ」
「あ、はい。光ちゃん、行こっか」
「はい!」
瑞樹が光を連れて二階に上がっていくと、黒崎は御岳を睨んだ。
「それで、鞭って何なの?」
「茜がお前に話していないなら俺から話すことは無い。聞きたいなら本人から聞け」
「えぇ!? 俺達仲間じゃん! 教えられないことなんて無いでしょ!?」
「家族にだって隠し事はあるもんだろう。それと同じだ」
黒崎は不満げに声を漏らし、暫く睨んだ後に諦めたのか持っていた荷物を置く為に二階に向かって行った。
そこで、入れ違うように事務所の扉が開いた。鮮烈な赤髪の少女、茜だ。
「帰ったぞ……御岳、光は?」
「上でおねんねだ。今日は遠くまで出たんでな、疲れてるだろうからもう寝かせた」
御岳は再び煙草に火を付けながら茜に答えた。
「そういうことなら私も付いて行ったんだけどな。この前の私みたいに襲われちゃやべぇだろ?」
「途中までは俺も付いていたから問題ない。それに、擬装の魔術を使えばバレる心配も殆ど無い」
「まぁ、黒崎が居る時ならそれでも良いけどよ……」
茜は溜息を吐き、御岳の対面のソファに座り込んだ。
「それで、どうだ? そいつは」
「ハッ、かなり悪くねぇな。結構慣れて来たぜ?」
茜は懐から赤いリングを取り出した。真っ赤なそれは、良く見れば僅かに光を放っていて炎の如く揺らめいていることが分かる。
「黒崎に隠すつもりなら戻しておけ。今は二階に荷物を運んでるが、そろそろ降りてくるだろう」
「そうだな……まぁ、今はまだ見せなくて良いか」
茜はリングを懐に戻し、二階に視線を向けた。すると、丁度そこから黒崎が下りて来るところだった。
「お、茜! 帰ってたんだ!」
「あぁ、ついさっきな」
「何してたんだ? 何かを試してるって聞いたけど」
「ん、そうだな。まぁ、新しく使えそうな魔術を幾つか調整してたんだよ」
茜に濁されたことを黒崎は察したが、続けて問い詰めることはしなかった。
「それで、どのくらい魔石は手に入ったんだ?」
「そこそこだな。まぁ、一週間は持つだろ」
「へぇ、それなら割と余裕はあんな……金はどうしたんだ? 光属性の魔石は高いだろ?」
「この前の仕事はまぁまぁ稼げたからな。問題ない」
何でも無いように言った御岳に、茜は不審げな目線を向けた。
「かと言って、いつまでも上手く行くわけじゃねぇだろ?」
「……少なくとも、今のところはどうにかなってる。だが、そうだな」
「うち、仕事中々来ないからなぁ」
どこか暗い様子で語る三人だったが、その空気を振り切るように御岳が声を出した。
「一応だが、解決の目処は立っている」
「本当か?」
「あぁ。以前にも話していたと思うが、魔術学会の奴と話がついた」
「ッ、階級《クラス》は?」
茜が尋ねると、御岳はにやりと笑みを浮かべて答えた。
「教授《プロフェッサー》だ」
「おいおい……御岳、テメェマジでどんなコネだよ」
「若い時は中東に居た。そんだけだ」
詳しい説明を拒んだ御岳に追及するようなことはしなかったが、茜は納得の行っていないような視線を御岳に向けた。
「兎も角、そいつが手を回してくれるまでは俺達は耐えるだけだ。だが、アイツが動き出したことに気付けば、あのクソ共も無理やりでも動き出す。そこからが正念場だ」
「……なぁ、やっぱり管理局に頼らない? 俺達だけじゃ、厳しいんじゃ」
黒崎が自信無さげに提案したが、御岳は首を振った。
「ダメだ。ここだけの話だが、俺は管理局も奴らとグルだと思ってる。光も例の勘とやらで管理局に頼ることを避けてるしな。実際、光を追う奴らの首魁がイギリスのクソ親父である以上、上が癒着してる可能性は十二分にある」
「成程な……道理で、あんなバレたって仕方ねぇみたいなやけくそな追い方して来やがった訳だ」
忌まわし気な表情をしながらも、納得したらしい茜は頷いた。
「それなら、尚更ヤバくない? 管理局も敵で、マズ何ちゃらも結構ヤバいんでしょ?」
「マズヴァイPLCだ。所謂金融会社で、相当な影響力を持ってる。光のクソみたいな親父は、そこの頭だって話だ。それに、金融会社は表の顔で裏では魔術組織のトップだ。そっちの意味でも相当な実力がある」
「ヤバいじゃん」
語彙力を失った黒崎に、御岳は苦い顔で頷いた。
「そこまでの相手なら、幾ら教授《プロフェッサー》クラスでも無理なんじゃ……」
「舐めない方が良い。アイツらは本物の魔術師だ。漸く訪れた平和の中で、急速に成長していく魔術の頂点に居る奴らだ。人間の基準で語れるもんじゃない」
「それで、その教授はいつになったら手を貸してくれるんだ?」
「来月だ」
御岳の答えに茜は顔を顰めた。
「クソッタレ」
茜はそう吐き捨てながら、ポケットの中の炎のリングを強く握り締めた。
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