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魔界の夜は、静寂に包まれていた。
ネクロポリスの拠点へ戻ったセリオは、久しぶりに椅子へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。疲労を感じることはない。肉体がすでに人間のそれではなくなったからだろう。しかし、精神的な疲れは確かにあった。
リゼリアは食卓に何かを並べていた。黒いテーブルの上には、奇妙な料理がいくつか置かれている。淡く光る青紫のスープ、黒い果実の盛り合わせ、そしてどこかの獣の肉らしきものが焼かれていた。
「……これは?」
「魔界の食事よ。せっかくだから試してみる?」
リゼリアが微笑みながらスープを差し出してくる。
セリオはしばし考えた。そもそも、自分は“食事”を必要とするのだろうか。ゴーストとして蘇った今、空腹を感じることはない。
「……食べる意味はあるのか?」
「ええ、あるわ」
リゼリアはスプーンをすくい、スープを口に運ぶ。
「魔界の食事は、生者にとっての食事とは少し違うわ。必要だから食べるというより、感覚を維持するために食べるものなの」
「感覚……?」
「お前はまだ、生前と同じように考えているでしょう? でも、死者の身体は少しずつ変わっていくのよ。食事をとらないと、やがて味覚や嗅覚のような“生者だった頃の感覚”が薄れていくの。お前がそれを気にしないのなら別にいいわ……だけど私は、お前にこの世界で違和感なく生きてほしいの」
「……つまり、感覚の劣化を防ぐための手段か」
「そういうことね」
セリオはスプーンを手に取り、スープを一口すする。
不思議な味だった。甘みと苦味が交じり合い、口の中で冷たい霧のように広がる。それでいて、どこか懐かしさを感じさせる風味だった。
「どう?」
「……悪くはないな」
リゼリアが満足そうに頷く。
「よかった……お前はまだ“人間だった頃”の感覚を維持できているのね」
セリオはスプーンを置き、リゼリアをじっと見た。
「お前は、俺のことをどうしたいんだ?」
「前にも言ったでしょう? 私はお前を魔王にするつもりよ」
「本当にそれだけか?」
リゼリアは一瞬、目を伏せた。
その仕草が、セリオには妙に印象的に映る。
「……セリオ。お前には、できるだけ生前のままでいてほしいの」
「……」
「私が何度もお前を蘇らせている理由、少しは気にならない?」
セリオは答えなかった。
気にならないわけがない。
だが、今それを問い詰めるべきではないと、本能的に感じていた。
「……まあいいさ」
そう言って、セリオは目の前の肉に手を伸ばす。
リゼリアが何を考えているのか、その真意を知るには、まだ時間がかかるだろう。
今はただ、死者の食卓を受け入れることにした。