テラーノベル
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布団の中は、暗くて、狭くて、息が詰まるほど静かだった。
天井のシミが揺れている気がしたけど、
それが本当にそこにあるのか、目の中に焼き付いた影なのか、
もうわからなかった。
窓の外で、風がカーテンをわずかに揺らしていた。
──手を、上げた。
初めてだった。
あんなふうに、誰かに向かって。
ましてや、人の頬を叩いたなんて。
蓮司の顔。
叩かれた直後、あの一瞬だけ、
何か“本気の無”みたいな目をしていたのを、見た。
怖かった。
でも、それ以上に……
あの瞬間、「守らなきゃ」と思った自分が、気持ち悪かった。
守るって、なに?
自分みたいなやつが。
汚くて、嘘ばかりで、
人を信じきれないくせに、触れられたいだなんて──
何様なんだよ。
ふっと、昔のことを思い出す。
この家に来てすぐ、まだ小さかった頃。
食器を落とした。
母親が出て行ったばかりの、あの雨の日。
割れた皿の破片を素手で拾って、
「こんなこともできないのか」って玲央菜に殴られた。
手のひらから血が出ていたのに、
晃司は笑ってた。
沙耶香は、「片付けなさい」とだけ言った。
「……は、」
喉が勝手に震えた。
笑い声みたいに、震えた。
涙が、勝手に出てきた。
こんな自分、誰にも見せられない。
見せたくない。
でも、止まらない。
守りたいと思ったのも、嘘。
信じたいと思ったのも、嘘。
優しくされたいと思ったくせに、壊されたいとも思ってる。
汚い。
最低。
いちばん気持ち悪いのは、
人の善意を「罠かもしれない」って疑って、
それでも欲しがる、自分。
喉から漏れた嗚咽を、枕で必死に押し殺す。
──明日、顔、ちゃんと作らなきゃ。
泣いたって、バレないように。
明日は、何事もなかった顔で。
日下部に会っても、蓮司に会っても、
何も知らないふりをして。
壊れてないふりをして。
……じゃないと、
「優しくしてもらえる資格すら、なくなる気がして」
だから──
泣くのは、ここだけ。
誰にも見られない、
この、ちっぽけな布団の中だけ。