次の日のモデルルームも、平日にしては盛況だった。
いつものように吾郎はコンテンツの操作や子ども達を担当する。
あと1時間でクローズになるという頃、原口が吾郎の隣にいた安藤を呼びに来た。
「安藤。これから今日最後の予約のお客様がいらっしゃる。若いご夫婦なんだけど、ご主人は仕事があって、今日は奥さんだけがいらっしゃるんだ。お前、担当してくれるか?」
えっ!と安藤だけではなく、吾郎まで驚いてしまった。
「私が、ですか?そんな…、大丈夫でしょうか」
「もちろん、俺も一緒に隣でフォローする。営業は、実際にお客様を担当しなければ成長出来ない。思い切ってやってみろ」
じっと考え込む安藤を、吾郎もドキドキしながら見守る。
やがて安藤はキリッとした表情で頷いた。
「はい、やらせてください」
「よし。じゃあ、簡単に打ち合わせしよう」
「分かりました。よろしくお願いします」
原口と並んで商談スペースに向かう安藤の後ろ姿に、吾郎は、がんばれ!とエールを送った。
「お、いらっしゃったぞ」
ウィーンと自動ドアが開くかすかな音がして、原口と安藤は姿勢を正す。
「いらっしゃいませ」
深々とお辞儀をする二人の近くで、なぜだか吾郎もカチコチに緊張しながら頭を下げた。
どうにも安藤のことが気になってしまい、他にお客様もいないことから、吾郎も近くで見守ることにした。
「こんにちは。5時に予約をした|深瀬《ふかせ》と申しますが…あ!吾郎さん!」
急に名前を呼ばれ、え?と吾郎は顔を上げる。
「やっぱり会えた!やっほーい」
「亜由美ちゃん?!」
ヒラヒラと片手を振ってみせる亜由美に、吾郎は目をしばたかせる。
「どうしたの?なんでここに?」
「ん?もちろん、マンションを見に来たの。前に透さんが、ここはどう?ってパンフレット見せてくれてね。私が、いいね!って言ったら、じゃあ見ておいでって。俺はモデルルームに行ったことあるから、亜由美の好きな部屋、申し込んで来なよって」
うひゃー!と吾郎は仰け反る。
「さすがだな、あいつ。軽い、軽すぎる!スーパーで好きなお菓子買って来なよ、みたいなテンションだな」
「そう?重い買い物ってどういうの?」
「それは、まあ、じっくり二人で話し合って決めるとか…」
「ええー?私、そういうの苦手なの」
でしょうね、と吾郎も頷く。
「お二人がいいなら、もちろんそれで」
「うん!楽しくお買い物しまーす」
「ははは…。何千万のお買い物をね」
するとそれまで二人の様子をうかがっていた原口が、控えめに声をかけてきた。
「あの、もしかして都筑さんのお知り合いの方なのでしょうか?」
「あ、はい。以前お話した、結婚したばかりの同僚の奥さんなんです」
「ああ!おっしゃってましたね。なるほど、ご紹介ありがとうございます。それでは、早速奥様をご案内させていただきます」
「はい!よろしくお願いします!」
亜由美は元気いっぱいに答えて、楽しそうにモデルルームに足を踏み入れた。
モデルルームは亜由美の貸し切り状態で、まずは紹介映像から始めた。
「わあっ!このナレーション、瞳子さんでしょ?はあ、癒やされるー」
亜由美は両手を広げてうっとりと目を閉じる。
吾郎は小さく、プッと吹き出した。
(透とおんなじだよ。さすがは似た者夫婦)
MRなどのデジタルコンテンツも、一つ一つ感激したように、興奮気味に吾郎にしゃべりかけてくる。
「すごい!なんて素晴らしいの。さすがはアートプラネッツ!日本が世界に誇る技術!私の自慢の旦那様!」
はいはい、と吾郎は聞き流す。
ひとしきりコンテンツを紹介すると、いよいよ商談のテーブルで、安藤は亜由美と向かい合って座った。
「初めまして。内海不動産の安藤 莉沙と申します。よろしくお願いいたします」
丁寧に名刺を差し出す安藤に、亜由美はにっこり笑いかける。
「こちらこそ。莉沙さんはおいくつなんですか?」
「は?わたくしですか?25歳です」
「わあ、私と2つ違い!ちょうどいいですね。マダムプラネッツに入りませんか?」
「は?あの…」
ただでさえ緊張しているところに、意味不明なことを言われて、安藤は固まっている。
吾郎は、ゴホン!と咳払いをしてから亜由美に近づいた。
「亜由美ちゃん、頼むから普通にして」
「えー?普通にしてますよ?私」
「亜由美ちゃんは普通でも、モデルルームに来たお客様としては普通じゃないよ」
「そうなんですかー?変なの」
ガクッと吾郎は首を折る。
「じゃあ、吾郎さんも一緒にいて。ほら、お隣どうぞ」
無邪気にポンポンと椅子を叩く亜由美に、吾郎はしかめっ面になる。
「あの、よろしければ都筑さんもどうぞ」
原口に言われて、吾郎は仕方なく亜由美の隣に座った。
「ではまず、当マンションの概要からご説明いたします。ターミナル駅から徒歩10分の抜群の立地に、緑豊かな広大な土地をご用意しました」
「いいですよね、あの駅。色んなお店が入ってて、私もよくお買い物に行くんです。美味しいカフェとか、お気に入りの雑貨屋さんもあって!」
「そうなのですね!それでしたら、毎日の通勤も楽しくなりますね」
「ええ。あんなに大きな駅なのに、歩いて10分でこんなに自然に囲まれたマンションに帰れるなんて、素敵!」
「はい。敷地面積が広く、約1000戸の規模の低層レジデンスですから、真夜中の一般道路の騒音にも悩まされず、静かに安心して暮らしていただけると思います」
安藤と亜由美は、楽しそうに話を進める。
「共用施設も、どれもこれも魅力的!プールにカラオケに、パーティールームにスカイラウンジ!私、全部使いまくっちゃうかも」
「ふふっ、はい!どうぞ毎日たくさん使ってくださいね」
原口も安心したように、隣でにこやかに頷いている。
「ここに住めば、ご近所のお友達もたくさん出来そうだなー。将来子どもが生まれたら、敷地内の公園に遊びに行かせれば危なくないし」
「そうですよね。その安心感はご両親にとって大きいと思います」
「お部屋はどんなタイプがありますか?いずれは子どもが欲しいのと、主人も私も映画鑑賞やゲームが好きなので、シアタールームに惹かれてるんですけど」
「ええ。それでしたら、まずはシアタールームのあるお部屋をいくつかご紹介しますね」
マンションは全部で50棟に分けられていて、見える景色やリビングに面する方角も違ってくる。
安藤はそれを、一つ一つ丁寧に説明した。
「なるほど。じゃあ、ここが1番いいなー。リビングも南向きだし、メゾネットタイプだから、2階に子ども部屋を作ったら、下の階の人に気を遣いすぎなくても良さそうだし」
「そうですね。1階にあるシアタールームも広いですし、オプションで防音仕様にも出来ますよ」
「そうなんですね!すごーい。じゃあここにしよう!あ、その前に。吾郎さん」
急に話しかけられ、吾郎は、ん?と亜由美の顔を見る。
「なに?」
「うん、あのね。このお部屋ってこのお値段なんだけど。アートプラネッツのお給料的には、どう?大丈夫かな?」
亜由美は心配そうに小声で聞いてくる。
「透さんは『どこでもいいよー。1番高い部屋でもいいよー』って笑ってたの。でも無理して欲しくないし…。さすがに1番高いお部屋にはしないけど、このお部屋も充分お値段が…」
「ああ、なるほど」
吾郎はニカッと笑ってみせる。
「大丈夫だよー。俺達、こう見えて結構稼いでるんだ。これくらいの金額なら、余裕だよ」
ほんと?!と、亜由美は目を輝かせる。
「ああ。念の為、今電話であいつに聞いてみたら?」
「うん、そうするね」
亜由美は安藤達に断ってから、部屋の隅で電話をかけ始めた。
「もしもし、亜由美です。…うん。今ちょうどモデルルームでお話聞いてたの。あ、吾郎さんも一緒にいてくれてね。それで…、そう。気に入ったお部屋があったの。メゾネットタイプで、シアタールームもある、日当たりのいいお部屋。…え?決めちゃっていいの?お値段のことは?」
しばらく沈黙が続き、うん、分かった。じゃあね、と手短に言って亜由美は席に戻って来た。
「どうでしたか?ご主人は」
安藤が固唾を呑んで尋ねる。
「ええ。あっさり、そこを申し込んでおいでって」
ほらね、と吾郎がしたり顔になる。
「大丈夫だって。あいつは嘘ついたり無理したりするキャラじゃない。亜由美ちゃんが気に入った部屋がいいって、本気で思ってるよ」
「そうかな。大丈夫かな?」
すると原口が、グイッと身を乗り出してきた。
「でしたら奥様。我々、精いっぱいがんばらせていただきます。少々お待ちいただけますか?」
「え?は、はい」
しばらく席を外した原口は、満面の笑みで戻って来ると、亜由美にかなり値引きした額を提示した。
「こちらでいかがでしょう?」
「ええー?!いいんですか?本当にこの額で」
「はい、もちろんです。お世話になっているアートプラネッツ様の大切なご自宅となるのですから、喜んでご提供いたします」
「わあ、ありがとうございます!主人も喜びます」
亜由美は嬉しそうに笑顔を弾けさせる。
結局この日、安藤は初めての商談で初めての申し込みをもらうこととなった。