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「ねぇ、松井くん待ってるみたいだから早くしなよ」
部活終わりに彼は部室の前で待っていた。
周りからも変な目で見られるけど、なんだか気分がいい。
そのままいつもの公園まで向かった。
「さっきはごめん…」
松井くんは深々と謝ってきた。
なんで謝るの?そう思いながら彼を見つめた。
「付き合ってもいないのにこんなことして俺最低だよね。ごめんなさい」
付き合っていない…
付き合っていると勘違いしていたのは私だけだった。
少し落ち込んだけど、頷いて彼に微笑んだ。
これは恋じゃなかったんだ…と言い聞かせながら、彼との無言の時間を過ごした。
またキスしたい…また手を繋ぎたい…
そんな気持ちが交錯して、心は追いつかなかった。
「今日は自転車で来たから、後ろ乗って」
自転車で誰かの後ろに乗るなんてことは初めてだったけど、安定した運転で乗せてくれた。
いい匂いの背中に、時々自分から抱きつきに行っていたかもしれない。
そのことには触れず、ずっとひたすら自転車を漕いでくれた。
「ありがとう」
私が降りるとすぐに松井くんは消えた。
呆気ないな…
でも呆気ないことには慣れてるから、特に気にすることも引きずることもしないと思っていた。
家に着いてからも彼のことばかりを考えて、眠れなくて、そんな日々を何日も過ごした。
いつものように帰ろうとすると、下駄箱の中に紙が入っていた。
「いつもの公園で待ってる」
今日は野球部がお休みの日なのに、なんで…
私はすぐに公園に向かった。
「松井くん…」
声をかけるとすぐに私に抱きついた。
志望していた高校の推薦がもらえなかったらしい。
かなり落ち込んだ様子で、でもそれ以上喋ることはなく隣で座って過ごした。
何もかも完璧で、クールで、野球部の中ではトップの頭の良さを持っていた彼にとってはとても落ち込む出来事だったのかもしれない。
できることは…頭を撫でることしかできなかった。
坊主ってこんなにふわふわしているんだなとけしからんことを思い浮かべてずっと触っていた。
そうすると、彼はこう言った。
「ごめん、家に来てほしい」
なぜ?ここでこのままじゃダメなの?
不安や心配を抱えることもなく、彼のいう通りに自転車の後ろに乗り、遠い道のりをただひたすら彼の背中で過ごした。
その道中で、通っていたバレエ教室を通った。
聞き慣れた音楽が聞こえた瞬間、私も自分の自信があったものを失った現実が広がった。
なんとなく続けていたバレエだったけど、好きだった。
音楽も、先生も、友達も。
部活がやりたくないからという理由で続けるよりも先に、私にはもったいないほど良い習い事だった。
「さっきのところ、私の通ってたバレエ教室なんだ…」
つい、松井くんに話しかけてしまった。
こんな空気じゃなかったのに…
でもそんな空気を、いつも彼は壊してくれる。
「俺、お前が踊る姿を見たかったよ」
え…どうして?
松井くんの友達は私の習い事をものすごくバカにしていたし、恥ずかしいものだと思っていたのになぜ…
誰かに見たかったと言われる方が初めてで、心が追いつかなくてしんどかった。
ありがとう、という気持ちでは収まりきれなかった。
「着いた。ここ」
彼の家はいつもバレエの帰りに通ってた道沿いだった。
ここに住んでたんだ…
もっと早くに知っていれば、この暗い夜道も明るくなったかもしれないのに。
そう思いながら家の中に入った。
「お邪魔します…」
迎えてくれたのは柴犬だけだった。
「今日親が旅行中だから、犬と俺しかいない」
彼はそれだけを言って、部屋に案内した。
「風呂入ってくるね」
もはや家族だろうか。
そう思うぐらいの距離感で、私に話しかけた。
これから何が始まるんだろう。
そんなのは、無知な私が知る由もなかった。