テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「僕、先生が作ってくれたうどん、あれ好きなんだぁ~」
「ああ、鍋焼きうどん?」
「調子悪い時は、あのうどんよく食べたよね」
「そうね」
「僕ね、小学生の時はぜんぜん力(ちから)がなくて、大人に従うしかできなかったけれど、先生が言ってくれた言葉通り強い男になって、いつか先生を守れるようになりたいって思っていたんだよ」
「睦月君……」
胸がぎゅっと締め付けられる。ただ単純に励ましていた言葉が、こんなにも彼の中で大きく支えになっていたなんて。過去を変えることはできないけれど、もっと他にいい言葉をかけてあげればよかったと思う。
「だからね、僕が先生を幸せにするのは、偽装とかそういうのじゃなくて、本気なんだよ」
彼が一歩、テーブル越しに身を乗り出してきた。さっきまで少年のようだった彼が、今は確かに大人の顔をしている。
「……またまたぁ。冗談でしょ?」
私はなんとか笑顔を作って軽く流そうとする。けれど、睦月君の瞳は真剣そのものだ。
「冗談じゃないよ。先生、僕の気持ちをそんな風に軽く受け流さないで」
固く決意を込めたような声に、脈がさらに波打つ。ドクドクドクドク――まったく収まってくれそうにないほど、心が高揚している。
「私は、睦月君にとっての虫(じょせい)避けよ。偽装結婚しただけで……」
言葉を続けようとしたけれど、それ以上話す余裕はなかった。睦月君の手が私の手をそっと包み込んだのだ。
「虫(じょせい)避けじゃない。先生は僕と結婚して、僕の妻になったんだから。先生は僕の奥さんだよ?」
彼の声は低く優しい。触れる手は温かくて、それだけで私の思考はどんどん崩れていく。心拍数も早くなる。
「先生は僕にとって世界で一番大切な人だから」
私を覗き込むその視線。鋭い男性としての目線を意識すると、驚くほど胸が高鳴った。こんな風に一途に誰かに真剣に見つめられたことは初めてだから、どうしていいのかわからない。
「ね、先生。お願いがあるんだ」
「な、なに? 私にできること?」
「できるよ。先生、”あーん”して」
「あーん!?」
「妻は夫に”あーん”をして食べさせるのが今の流行りなんだよ。知らなかった?」
「し、知らなかった……」
夫婦ってそんなものなの?
妻になったばり(なんせ2日目!)だから、よくわからない……。
「先生が食べさせてくれるだけで、僕は元気に仕事頑張れるよ。今、すごく難しい案件抱えていてさ。新規事業に多額の投資をするかどうか、決断を迫られているんだ。今日は朝から該当の会社に視察へ行こうと思っている」
「そうなんだ。じゃあ、頑張らなきゃね」
「だから、あーんして」
う……。
「あ、あーん……」
対面でにこにこしながら口を開けて待っている睦月君に、私はチーズと明太子の入ったオムレツを食べさせた。
ふぅぅ……恥ずかしいっ! 世の夫婦はみんなこんなことしているの!?
毎朝しなきゃいけないのなら、し、しっかり慣れるしかないわね!
この程度で恥ずかしがっていたら、他のことがスムーズにできないわ。私は雇われ妻なんだから、しっかり睦月君のご要望に応えなきゃ!
「先生……これ……この味っ……」
食べさせたオムレツを咀嚼し終えた睦月君の声が震えた。
「あ、睦月君が好きだったから、明太子とチーズ入れたオムレツを……」
睦月君はガタンと勢いよく立ち上がったと思ったら、私の所までやってきてぎゅーっと抱きしめてきた。
(えっ、なんで!?)
「すごく……すごくおいしいよ。ありがとう先生……」
とても感動してくれたみたい。よかった。喜んでもらえて。
ただ、それは嬉しいんだけど、この状況に私は早くもギブアップなのですが!
「ねえ、先生」
それにしても抱きしめられているから距離が近い。イケメンのイケボが私の耳元で響くこのシチュエーションが背筋をぞくぞくとさせる。
「キスしてもいい?」
「えっ、キス!?」
聞き間違い!?
「うん、そう」
「今!?」
「うん、今」
「え……えっと……」
「夫婦だからキスくらいしても平気だよ」
「あっ、でも、私、うまくできるかわからな――」
初めてだから、と言おうとした続きは喋れなかった。
睦月君の唇によって言葉を遮られた。
柔らかな感触。初めての触れ合い。
軽く唇を重ねだだけのキスがこんなにドキドキするものだと、初めて知った。睦月君はなにごともなかったかのように離れて、もくもくもくとご飯を食べて部屋の方に引き上げていった。
ちょ…ドキドキしてるのは私だけですか!?
(しっ……心臓に悪いッ!!)
弟のように可愛がっていた年下の男の子に振り回される日が来るなんて…想像もしていなかった。人生はなにが起こるかわからないものだ。
それより私、体もつのかな……。
このままじゃドキドキしすぎて、どうにかなっちゃいそうだよ!
睦月君と偽装婚2日目。早くも先行きが不安になってきた。
大丈夫かなぁ。
2000万円を稼ぎきるまで、うまく契約妻がこなせますように!
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#恋愛