テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リョーカ様が眠る時、僕は少しだけ安心できる。
静かな寝息を立てるその横顔を見ていると、この世界のどんな魔法よりも美しいものがあるのだと思えた。
けれど同時に、恐ろしくもあった。
いつか、この人が僕の手の届かない場所へ行ってしまうのではないかと。
だから僕は今日も、何も言わない。
言いかけた言葉を飲み込み、喉の奥へ沈める。
――ずっとそばにいてほしい。
――僕だけを見ていてほしい。
そんな願いは、主人に向けるにはあまりにも醜く思えた。
リョーカ様は疲れていた。
人々の争いを鎮め、災いを遠ざけ、誰も気付かない場所で世界の均衡を守る。
平穏とは代償の上に成り立つものだと、僕は知っている。
そしてその代償を払っているのが、魔女であるこの人だった。
日に日に痩せていく背中を見るたび、胸の奥に黒い泥が溜まっていく。
僕が代われればいいのに。
僕が全部抱えられればいいのに。
けれど僕にはできない。
だからせめて、疲れた時に帰ってくる場所になろうと決めていた。
ある雨の日だった。
リョーカ様は珍しく弱々しい声で言った。
「ねえ」
「はい、リョーカ様」
「全部投げ出して、どこか遠くへ行きたいな」
冗談のように笑っていた。
でも僕は知っていた。
その言葉が本音だと。
綻ぶ寸前の糸を、無理やり結び続けている人の顔だった。
僕は答えられなかった。
行きましょう、と言えばよかったのだろうか。
ここに残りましょう、と言うべきだったのだろうか。
正しい答えが分からなかった。
ただ怖かった。
どちらを選んでも、この人が壊れてしまいそうで。
沈黙の末、僕はそっと手を差し出した。
「でしたら、少しだけお休みになりませんか」
リョーカ様は僕を見た。
驚いたような顔をして。
それから小さく笑った。
「モトキは優しいね」
違う。
優しくなんてない。
僕はただ、この人を失いたくないだけだ。
誰にも渡したくないだけだ。
けれどそんな本音は口にできなかった。
だから代わりに、その手を握る。
リョーカ様も握り返してくれた。
細くて、冷たい手だった。
「ありがとう」
その一言だけで、胸が苦しくなる。
僕は救いたいのに。
救われているのはいつも僕の方だった。
それから幾つもの季節が過ぎた。
笑った日もあった。
泣いた日もあった。
怒りをぶつけ合った日も、くだらない歌を口ずさんだ日もあった。
どんな時間も、僕にとっては宝物だった。
いつまで続くのだろう。
何度そう考えただろう。
リョーカ様も時々、同じような顔をする。
未来を恐れる顔だ。
だから僕はその度に願う。
もし僕たちが迷うなら。
もし僕たちが離れそうになるなら。
何度でも手を伸ばそう。
何度でも繋ぎ直そう。
誰も知らないこの絆で。
誰にも理解されなくても構わない。
僕はリョーカ様のために生きている。
そしてリョーカ様もまた、少しだけ僕に身を預けてくれている。
依存と呼ばれてもいい。
執着と呼ばれてもいい。
それでも。
世界中がリョーカ様を必要としても、疲れ果てた夜に帰る場所だけは僕でありたい。
窓の外で夜明けが近づいていた。
眠るリョーカ様の髪をそっと整える。
やがて目覚めれば、また世界はこの人を求めるだろう。
それでも今だけは。
今だけは僕のものだ。
僕は静かに額へ口づける代わりに、その手を胸元へ抱き寄せた。
そして誰にも聞こえない声で呟く。
「大丈夫です、リョーカ様」
「あなたが迷うなら、僕は何度でも迎えに行きます」
「あなたが離れるなら、私は何度でも繋ぎます」
それが呪いでも、祈りでも。
構わなかった。
僕の生きているすべては、この人を確かめるためにあるのだから。
コメント
6件
いつも拝読させてもらってます。涼ちゃんに対しての大森さんの気持ちが優しさではなく、もっと醜いもの、主人に向けるようなものではない、そうわかっていても涼ちゃんに執着してしまう大森さんがめちゃくちゃ切なくて愛おしいです。unknownさんの心の具現化、語彙力にはいつも心動かされます。ありがとうございます!
素敵です…✨ 切ないほどの執着にまで見える様な愛てキュンとしちゃいました✨
うわあ……これ、すごく好きです。モトキの「僕だけが」という独占欲と献身が、純粋でありながらどこか罪悪感を帯びていて、そのバランスが美しい。リョーカ様の疲弊した背中と、それを見つめるだけの自分の無力さを自覚しながらも「ただそばにいる」と決める、その諦めに近い覚悟が胸に刺さりました。この静かな夜明け前の時間が、彼にとってどれほど尊いものか……。