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「……私なら、ですが」
そして、迷った末に私はゆっくりと口を開いた。
「会社にとって大切なお話なら、頭ごなしに断るのは得策ではないと思います……でも……巴様ご自身のお気持ちがそこに無いまま話を進めるのも違う気がするので、会うとしても期待を持たせるような態度は取らず、きちんと線を引いた方が後々、楽かと思います」
言葉を選びながら、あくまで“意見”として述べると、
「……なるほど」
巴さんは腕を組んで目を伏せながら考え込む。
「す、すみません。余計なことを……」
「いや、言えと言ったのは俺だからな、気にするな。それに、お前の言いたいことは分かった」
その言葉に心臓が跳ねる。
「……分かる、とは?」
「俺が望まない形で縁談が進むのをお前は良しとしていないことをだ。それに、会えば断れなくなる可能性があることも、気にしているだろう?」
図星をつかれて何も言えずにいると巴さんは小さく息を吐いた。
「安心しろ。俺は流されるつもりはない」
「…………」
「少なくとも、お前が懸念しているような結果にはしない」
それは確実なことでは無いのはお互い分かっているけれど、今はその一言だけで靄がかかっていた私の胸の奥が少し晴れていくの気配が感じられた。
この日以降私たちの間で縁談についての話をすることは無く、二週間程が経った頃。
巴さんのご両親が会話をしている声を偶然聞いてしまった。
お屋敷の掃除をしていた際、少し開いていた巴さんのお父様の書斎から声が漏れ出てきたのだ。
「だから、会うだけでは意味がないのよ。巴は今回の話に全く興味が無いのよ? あの子の性格上、会社に関わることだから無下には出来ないと思うけれど、何か理由をつけて断るわよ」
「そうだな、アイツは異性に苦手意識を持っているだけではなくて、興味も持たないからな……」
少し興奮気味の奥様とは対照的に旦那様の方はどこか落ち着いているように聞こえてくる。
「とにかく、初めから“断る前提”なんて甘いのよ。あなたから強く言ってくださらないと」
「大丈夫だろう。相手のお嬢さんは巴のことも気に入っているし、会えば巴の気持ちも自然と変わっていくさ」
聞いてはいけない内容を聞いてしまった気になった私は音を立てないよう踵を返してその場を離れていく。
(今回の話は、相手の女の人も乗り気なんだ……)
そのことが私の胸に深く突き刺さる。
こうなると、今回の縁談に乗り気で無いのは巴さんだけで、周りの動き次第では強引に話を進められてしまうかもしれないと思うも、私は居ても立ってもいられなかった。
あの日――偶然聞いてしまった巴さんのご両親の会話から、少し時間が経った頃だった。
巴さんはまるで天気の話でもするかのように、淡々とした口調で告げた。
「明日、相手の女性と顔合わせをすることになった」
その言葉に胸の奥がきゅっと音を立てて縮む。
「……明日、ですか?」
「ああ。俺の知らないところで随分話が進んでいたらしい。会うだけ会えと言われてな」
言葉とは裏腹に表情にはうんざりした色がはっきりと浮かんでいる。
きっとご両親に強く勧められたのだろう。
そう思うとこれ以上は何も言えなくなった。
「……そう、なんですね……」
仕方ないという結論で話を終わらせようとした、その時。
「……あの」
気づけば私は巴さんを呼び止めていた。
「どうした?」
巴さんの視線がこちらに向く。
「もし、その……相手の女性の方が、巴様のことを気に入ったら……どうなさるおつもりなんですか?」
一瞬の沈黙のあと、巴さんは肩をすくめた。
「そんなこと、あるわけないだろ。俺は愛想笑いも出来ないような人間だ。そんな男を気に入る女がいるとは思えない」
「そんなことないです!」
巴さんのその台詞を聞いた私の口からは反射的に声が出ていた。
しまったと思った時にはもう遅く、巴さんは目を見開いて私を見ていた。
「あ……す、すみません。でも、その……巴様は、十分素敵な方だと思います。だから……ご自分のことを、そんなふうに悪く言わないでください」
言葉を選びながら必死に伝えると、巴さんはしばらく黙り込み、やがてぽつりと呟いた。
「……そんなことを言われたのは、初めてだ」
戸惑ったように視線を逸らし、
「お前は、やはり変わっているな」
その一言で、空気が妙に気まずくなる。
これ以上ここにいるのが耐えられなくなった私は何か理由をつけて部屋を出ようと踵を返した、その背中に低い声がかかる。
「相手がどうあれ、今回の縁談を受けるつもりはない。明日の顔合わせも、早々に切り上げる。だから――」
振り返ると巴さんは私を真っ直ぐ見つめていて、
「明日、帰ってきたら……お前にコーヒーを淹れてもらいたい」
「え?」
「午前から出掛ける。菓子は早めに用意しておいてくれ。帰ってきたら、すぐ出せるようにな」
そう言うと、ほんの少しだけ口角を上げた。
「それが、一番の癒しになる」
その表情と声音は狡いと思うほど自然で、
「……頼めるか?」
断れるはずなんてなかった。
「勿論です! とびきり美味しいコーヒーを淹れますね。きっと気を遣ってお疲れになるでしょうから」
彼がどんな思いでその言葉を口にしたのかは分からない。
それでも、帰ってくる場所として私を選んでくれた。
そう思えたことが、どうしようもなく嬉しかった。