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それもそのはず。
信武の愛車は国産車の中ではそこそこに高級車に分類される、トミタ自動車レクアスの新車だったから。
基本的にあまり車でどうこうすることはない信武だったが、別に運転が苦手なわけでも車を所持していなかったわけでもない。
ただ、仕事に追われてなかなか乗る機会がなかっただけ。
前の車の車検を機にこの車へ乗り替えて三ヶ月ちょい。
考えてみれば、助手席に人を座らせたのは今回が初めてだった。
「そのままで構わねぇよ」
新車特有の香りに怯えたのか、小動物みたいに瞳を揺らせる挙動不審な日和美のさまが可愛すぎて、つい口の端に笑みが浮かんでしまう。
仕事で茉莉奈と移動するときには彼女が手配した車に乗ってばかりだったし、本当にその必要がなかっただけなのだが、今日隣に日和美を乗せることになって、彼女が初めてで良かったとしみじみ実感しまくってしまった信武だ。
そうして思った。
ここに座らせるのは、今後もずっと日和美だけにしよう、と。
***
「おっ、お邪魔、しまっ……」
「バーカ。そんなに緊張すんなよ。俺まで息が詰まるだろーが」
自宅マンションの玄関先。
真新しい客用スリッパを出しながらククッと喉を鳴らしたら、日和美に泣きそうな顔でキッと睨まれてしまった。
「さ、さっきからあんなっ。私、生粋の庶民なんですっ。きっ、緊張しないでいるのとか、無理に決まってるじゃないですかっ!」
「生粋の庶民って……」
日和美の言動がいちいちツボに入って、信武は思わず笑ってしまった。
彼女を迎えに行くまではずっと。
今から日和美にあれこれの真実をどう話すべきか思い悩んで胃が痛くなりそうだったのだが、今は不思議と穏やかな気持ちになれている。
(ホント、不思議な女だ)
車に乗せた時にも、この辺りでは高級な部類に入る低層マンションの五階――最上階住戸に招き入れた時にも、日和美は同じように息を呑んで目を白黒させてから、恐る恐る信武の反応を窺うように「お邪魔します」と言った。
信武の住んでいるマンションは、エレベーターを降りるなり部屋のなかと言う構造ではないものの、最上階は信武が住んでいるこの部屋しかないから、基本的には信武に用がない人間は上がってこない。
エレベーターを降りるとすぐ、ペントハウスのためだけのタイル敷きの玄関ポーチがあって、その先の玄関扉を抜けてすぐの土間にはシューズクロークと、自転車などが仕舞える広めの物入がある。
信武は自転車は利用していないので、物入にあまり物は入っていないのだが、コートなどは数着そこへ掛けるようにしていたし、使うあてがなくなってしまったけれど、愛犬ルティシアの散歩道具もそこへ入れてあった。
廊下を抜けた先には六畳相当の洋室が三つと、浴室と洗面所、バルコニーが二か所。
それらに囲まれる形でど真ん中に十五畳のリビングダイニングといった間取り。
一人で住むには広すぎるこの住居は、小ぢんまりしたアパート住まいの日和美の目に、さぞや贅沢に映っただろう。
まぁ、信武が日和美の立場でも、ヒモみたいな生活態度ばかり見せていた相手が、いきなりこんな……金に困っていなさそうなものを見せてきたら戸惑うと思う。
そう。自分自身思っているのだ。
このマンションが身分不相応だということは。
実はここ、父――立神信真の資産のひとつで、信武がここに住まわされているのは、ある意味親から首輪を付けられているようなものだ。
もちろんそこそこに名の売れた作家になってからは家賃などもちゃんと払っているのだけれど、それにしたって親の手のひらの上で踊らされていると言う気持ちは拭えない。
信武が何だかんだ理由を付けて日和美の家に入り浸っていたのは、そういう理由もあった。
***
「茶でいいか?」
「あ、はい」
リビングダイニングに日和美を通して半島型キッチンに立った信武は、日和美をキッチン前に二つ並べ置かれたスツールのひとつに座らせた。
キッチンに対面するような形でカウンターになっているそこへ腰かけて貰えば、作業をしながらでも日和美の顔が真正面から見られる。
「あ、あのっ、信武さん。お茶なら私が……」
日和美ならそう言うだろうことは想定の範囲内。
キッチンを回り込んで信武の方へ近付いてきた日和美に、
「だったらどれがいいか選んでくんね?」
そう言いおいて、信武はわざと先日入手したばかりの贈答品『京都緑茶飲みくらべセット』をカウンターの上へ置いた。
先日日和美に萌風もふの『ユラユラたゆたう夏祭り〜金魚すくいですくったふわふわドS王子様からの濡れ濡れな溺愛が止まりません!〜』(通称『ゆらたう』)の初版本をプレゼントした信武だったが、実はそれを〝萌風〟から受け取った際、袋の中には本以外のものも沢山入っていた。
その中のひとつがコレ――『京都緑茶飲みくらべセット』だった。
「わぁー。信武さんもコレ、持ってらしたんですね。実は私も先日萌風もふ先生にファンレターと一緒に……」
そこまで言ってハッとしたように信武を見詰めると、「もしかして」と瞳を揺らせた日和美だ。
信武は、まさにこの瞬間を待っていた。
萌風と自分に接点があることは、日和美にも知られている。
日和美が萌風に贈ったはずのこれが信武の住居にあることを見せたいがために、日和美をアパートからマンションへ連れ出す必要があったのだ。
「お前が喫茶店で俺と萌風を見かけたって日があっただろ。そいつはあの日に渡された物だ」
日和美に渡した紙袋の中に、『ゆらたう』の初版本と一緒に入れられていた中のひとつだよと付け加えたら、日和美が泣きそうな顔になる。
「……萌風先生はプレゼントとか送り付けられて……ご迷惑だったってことでしょうか」
涙目になりながらポツンとつぶやかれた言葉に、「んなわけねぇだろ」と信武が即答して。
日和美は「何で信武さんにそんなことが分かるんですかっ」と、お門違いだと分かっていながらも、噛みつかずにはいられない。
「は? んなの俺が喜んでるからに決まってんだろ」
ギュッと泣き顔の日和美を腕の中に抱き締めて、信武は彼女が疑問を挟み込む余地を与えずに畳み掛ける。
「お前からのファンレターもプレゼントも、全部全部俺にとっちゃあ最高の品々ばっかだった。迷惑なモンなんてひとつもなかったよ」
「え……? 私……信武さんにファンレターなんて」
日和美はまだ〝立神信武先生〟にファンレターを書いたことはない。