テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
兎子🎧𓈒𓏸
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
深夜25時
武蔵神社。
2人は石段に隣合った。
――なあ、ウタちゃん。
低い声が静寂を破る
……バジには、 戻ってきてほしい
ぽつりと、落ちた彼の言葉
――連れ戻してくれ
俺には、多分できねぇから
ただ、それだけだった。
───────────────
場地が去ったあと、境内に残った空気はいつまでも重かった。
得体の知れない稀咲という存在が入り込み、チームの奥深くに見えない棘が刺さったような感覚が残っている。じわじわと、内側から蝕まれていくような――そんな嫌な予感だけが胸の底に沈んでいた。
ウタは1人近くの公園に入った、 松野家に帰る前に。
彼女は水道の蛇口をひねり、
勢いよく流れ出る水に顔を近づけ、真っ赤に腫れた目を何度も洗う。冷たい水が触れるたび、じん、と鈍い痛みが走った。それでも止めなかった。
さっき、マイキーに向かって口にした言葉。
――バジには、戻ってきて欲しい
胸の奥で、まだちゃんと残っている。
ウタは顔を上げ、濡れた頬を袖で乱暴に拭った。そして、小さく息を吐く。
立ち上がる。自分なりのやり方で、あの言葉を形にするために。
――翌朝。
ウタと千冬は、当然のように学校をサボった。
向かったのは人気のない公園だった。古びたベンチに朝露が残り、街の音もまだ鈍い。情報を集めるには、悪くない場所だった。
「……ウタ、昨日あんなに泣いてたのに、今日はやけに気合入ってんな」
千冬が自販機の前で小銭を入れる。ガコン、と音がして温かいココアが落ちてきた。それを拾い上げ、ウタへ差し出す。
ウタは両手で受け取り、フーフーと息を吹きかけた。白い湯気が細く揺れる。紅梅色の瞳が、きゅっと引き締まった。
「当たり前じゃん。私は一番隊のウタちゃんだよ?
バジがいない間、私が千冬を支えて……バジを連れ戻す準備、しなきゃ」
「……はは、頼もしいねぇ」
千冬は少し笑いながら、ポケットからノートを取り出した。膝の上で開かれたそこには、芭流覇羅や稀咲に関する断片的な情報がびっしり書き込まれている。
「いいか、ウタ。場地さんは多分、何かを探るためにあっちへ行った。俺たちは、その『何か』を外側から突き止める」
ペン先でノートの端を軽く叩く。
「……マイキー君にも、ちゃんと安心させてやりてぇしな」
「うん、わかってる」
ウタは小さく頷いた。
「マイキーだって……今は総長として無理してるはずだから。私が、支えなきゃ」
しばらく沈黙が落ちる。遠くでカラスが一声鳴いた。
「まずは、芭流覇羅の連中がよく出入りしてるゲームセンターから当たる」
千冬がノートを閉じ、立ち上がる。
「ウタ、お前は入り口側で見張り。……無理すんなよ?」
「まかせて!」
ウタは少し大げさに胸を叩いた。
「私、こう見えても喧嘩の修行もしてるんだから!」
「はいはい」
千冬は適当に返したが、その目は少しだけ柔らかかった。昨日から、ウタがほんの少し背伸びしていることに気づいていた。
二人は公園をあとにする。
街はどこか重たい空気をまとっていた。空は曇り、光は弱い。まるで何かが始まる前触れのようだった。
――今度は、自分たちが支える番だ。
アホの子なりに、必死に頭を使い、身体を動かして。
「待っててね、マイキー」
小さく呟く。
「私、ちゃんと役に立ってみせるから」
曇り空の下、ウタの瞳はまっすぐ前だけを見据えていた。
⸻
二人の自称「敏腕探偵」は、鼻息だけで小型扇風機が回りそうな勢いでゲーセン付近の裏路地を突き進んでいた。
「いいかウタ、俺の計算によれば、ここが芭流覇羅の重要拠点に違いねぇ」
千冬は腕を組み、いかにも頭脳派らしい顔を作ってから、ポケットから取り出した双眼鏡をビシッと構えた。
どう見ても百均の、夏休みの自由研究コーナーに置いてありそうなやつだ。
「さすが千冬! 知能指数五兆くらいあるんじゃない?」
ウタハは紅梅色の瞳をキラキラさせながら、勢いよくメモ帳を開く。
なお、そのページの九割は 、なぜかmiffyの落書きと、通りで見つけた美味しそうなスイーツ菓子店のメモという、 事件とは一ミリも関係のない――彼女における重要機密で埋め尽くされていた。
千冬は真剣な顔で双眼鏡を覗き込みながら、小声でつぶやく。
「……見える。間違いねぇ……怪しいやつが三人……いや四人……たぶん五人はいる……!」
「すごい! 増えてる!」
「状況は刻一刻と変わるからな」
何も変わっていない。
そもそも千冬が覗いている方向には、ただの自動販売機と、犬の散歩中のおばあちゃんしかいなかった。
傍から見ればそれは、放課後テンションが限界突破した中学生二人が、意味もなく裏路地で盛り上がっているだけの、極めて平和な光景だった。
千冬は一つ年下のハトコ、にも関わらず常日頃ウタハのことをアホな異星人扱いする癖がある。
だが、この作戦のあまりにも穴だらけな設計図を見る限り、二人の頭の出来は、正直ほぼ同じレベルと言っていい。
いや、むしろ――
「待てウタ! 地面を見ろ!」
「えっ!? まさか……血痕!?」
「違う、ガムだ」
「うわ最悪!」
……この様子だと、若干ウタハのほうがまともな可能性すらある。
──だが。
そんな「名探偵ごっこ」のツケは、あとでまとめて請求されることになる。
しかも、利子つきで。
気づいた時には、湿った空気が肺にまとわりついていた。
古びた廃ゲームセンター。割れたガラス。床に散らばる吸い殻。そして――無数の男たちの視線。
囲まれていた。完全に。アジトのど真ん中に踏み込んでいた。
「……バジ、さん」
千冬の声が震える。
そこに立っていたのは、東卍の特攻服を脱ぎ捨てた場地圭介だった。
次の瞬間、空気が裂けた。
「……っ、がはっ!」
鈍い音と同時に、場地の拳が千冬の腹にめり込む。
身体が浮き、そのまま紙くずのように地面へ叩きつけられた。
ウタが動こうとした瞬間、背後から腕を掴まれる。
力任せに地面へ押し付けられ、頬に冷たいコンクリートの感触が走った。
隣では、千冬が血を流していた。
(早く……手当てしないと……救急セット、カバンに……っ)
手を伸ばす。だが、男の足がそれを踏みつけた。
どうして。なんで。
あんなに笑っていたのに。
場地は、無感情に拳を振り続けていた。
その時、奥の暗がりがざわついた。
震える花垣武道が、誰かに引きずられてくる。
そして、その後ろから現れたのは――鈴の音。
チリン。
首筋に刻まれた虎の刺青。歪んだ笑み。羽宮一虎だった。
一虎は、地面に這いつくばるウタと血まみれの千冬を見比べ、ゆっくりと武道を指さした。
「あれはさ……『踏み絵』だよ」
踏み絵。
その言葉が、頭の奥を刺した。授業で聞いた、信じているものを踏ませる残酷な儀式。
場地が、拳を振り上げる。千冬にとどめを刺すために。
「……っ、やめてよ!!」
ウタは腕を振り払った。火事場の馬鹿力で身体を滑らせるように千冬の前へ飛び込む。
振り下ろされた拳を――両手で受け止めた。
「……っ……!」
衝撃が骨まで響く。手のひらが痺れ、指がきしむ。
「……重い、よ。バジ……」
顔を歪めながらも、視線を逸らさない。
紅い瞳が、まっすぐ場地を捉えていた。
そこにあったのは恐怖じゃない。困惑と悲しみ、そしてかすかな笑み。
「急に殴るなんて。 せめてさ……事情くらい話そ、ね?」
拳が、わずかに止まる。
「一人で悩んでこっそりお腹痛くなってるバジなんて……ださいよ。」
背後で、千冬が薄く目を開けた。
ウタの指先は震えている。それでも、離さない。
「……どけ、ウタハ。ホントに殺すぞ」
低い苦虫を噛み潰したような声がする。
「殺せば?」
彼女はまるでことを理解してないような声で言い返した。――いつもの軽口を叩くみたいに。
「でもさ……私たちを殺したら、マイキーたちになんて言うつもりなの。」
静まり返る空気。
まるで彼女は、バジが戻ってくると信じて疑う様子がない。こんな状況でさえ。
一虎が鈴を鳴らしながら歩み寄る。
チリン。
「ねぇ……面白いね、この子。 もしかしてマイキーのガールフレンドかな?だったら本当に殺そうぜ。」
⸻
「……おもしろい? こんなことが」
武道のかすれた声が、空気を裂いた。
「なんで、そんなこと言えんだよ……!
バジくんも、副隊長の二人も……東京卍會の仲間じゃないですか。
なのに、なんでこんなこと……!」
一虎の視線が、ゆっくり武道へと向く。
「――なんにも知らねぇのに一緒に来たんだな、いいぜ?特別に教えてやるよ。」
一虎の口から溢れ出したのは、毒みたいに濁った過去の独白だった。
「マイキーを殺さなきゃいけないんだ」
壊れた時計みたいに、この言葉を繰り返す。
ウタハは、その理屈を頭で理解することはできなかった。
でも――その奥にある孤独だけは、嫌になるほど伝わってきた。
(……そっか。誰にも分かってもらえなかったから、こんなに尖っちゃったんだね)
ふと、双子のことが頭をよぎる。
四年前、無機質な塀の中に入れられ、遠くに行ってしまった片割れ。
あの時も、同じ顔をしていた。
誰にも届かない場所に、一人で立ってる顔。
きっと、あっち側に堕ちた奴にしか見えない景色がある。
白でも黒でも割り切れない、濁った理由が。
ウタハは、自分を押さえつけていた力から、そっと力を抜いた。
場地が、一虎を見る。
その瞳の奥にあったのは、裏切りなんかじゃない。
今にも裂けそうなほどの、痛みだった。
(バジは……このメッシュくんを救いたいんだ)
それとも――
(また一人で、全部背負うつもり?)
もしそうなら。
ここで抵抗するのは、場地の覚悟を踏みにじることになる。
離れてても、殴り合ってても。
それでも繋がってるのが、あいつらのやり方なら。
ウタハは、覚悟を決めた。
「……いいよ、バジ」
血の混じった唾を吐き出しながら、千冬の隣で小さく笑う。
「……やって」
真っ赤な瞳を細める。
春の日差しみたいな、変わらない信頼を込めて。
(ごめんね、バジ。味方以外信じるなって、あれだけ言われたのに)
(……でもさ)
(私を殴る拳が、一番震えてるよ)
「ウタハ……てめぇ、何笑って……っ!」
場地の怒号と同時に、拳が振り下ろされた。
鈍い音が、廃ゲーセンに響く。
けれど本当に痛いのは彼女の方じゃない、この痛さは東京卍會に入って抗争で何度も味わっているし覚悟もできている。
それにウタハは気づいていた、自身を打つ拳の奥にある、痛みを。
(バジ。お前 の方が……ずっと痛そうだ)
血が、特攻服の襟元を濡らしていく。
一虎が、その光景をじっと見ていた。
鈴が、小さく鳴る。
チリン。
どこか遠くで、武道の叫びが響いた。