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【B&南空ナオミ】
夏の夜。
ちょうちんが並ぶ通りには、浴衣姿の人々と屋台の灯り。
金魚すくいの水面、カラフルなヨーヨー、遠くに聞こえる太鼓の音。
お祭りらしい情景が広がる中、私は──
迷子になっていた。
「レイ……」
婚約者でもあり、同じFBIでもあった彼とはぐれて、すでに30分。
連絡は繋がらず、先ほどからずっと「焼きそばゾーン」をぐるぐると回っている。
人が多く見つけ出すのも困難だ。
「落ち着いて。……きっと向こうで待ってるはず……」
そう自分に言い聞かせ、屋台通りを曲がろうとした、そのとき──
「南空さん」
背後から静かな声がした。振り向くと、黒い浴衣の男が立っていた。
「竜崎さん!?」
──げっ!竜崎ルエ!
あの事件以来、か。
長身に真っ赤な帯、素足に下駄。妙に涼しげな顔と、空気を読まない距離感。
その人物は、にこりともせず、しかし嬉しそうに言った。
「あなたのような優秀なFBI捜査官ににまた会えるなんて、運命を感じます。くっくっく」
「……私はもうFBIではないですから」
「えっ」
Bの返事は、明らかに素で驚いた声だった。
「辞めちゃったんですか?」
「ええ……結構、前に」
「どうしてですか?」
「彼と結婚するので……少し落ち着こうと思って」
ナオミは、穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。
けれど、その次の瞬間──
「結婚……では、“あの事件”、どうするんですか?」
「……え?」
「“BB連続殺人事件”は、まだ真犯人が見つかってませんよ」
「……いえ、公的には解決しています。裁判も終わりましたし……」
「では、あなたの“結婚”というのは──“あの事件を忘れて新しい人生を歩む”という意味ですか?」
「…………いえ、その……」
いやいやいや、どうしてそうなるんだ……。
「私はあなたの推理力を高く評価しています。結婚よりも、真実のほうが大切な場合もあるのでは?」
「竜崎さん……その、“結婚”と“事件”は、別の問題です」
「別の問題ではありません。あなたの“感情”が捜査から退いたのです」
「……………」
なんで人の人生にここまで踏み込めるのだろうか。
「つまり、結婚とは“事件からの逃避”であり──」
「竜崎さん。逃げた訳ではありません。好きな人と生きていくって決めただけです」
「……それは素敵ですね。ですが、殺された人たちは、その決断すらできなかった」
「………………」
ずるい。
今の言い方、ずるすぎる。
祭りの騒動も、提灯の明かりも、その言葉の余韻にすべて持っていかれてしまう。
だから──ナオミは、思わず口にした。
「……はあ。だから言ったじゃないですか、犯人はBだと」
「証拠は?」
「……………」
「……………んーー、だから、証拠がないから苦労してるんじゃないですか」
答えながら、ナオミは苦笑する。
気の抜けたような冗談で、会話の熱を冷ましたつもりだった。
「証拠がないのに、名前を挙げられるのが“B”なんですね。……哀れだ」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
だが、隣でその言葉を聞いた“竜崎”は、喉奥でくっくっと小さく笑った。
「──でも、まだ終わっていませんよ。私は、“第4の被害者”がいると見ています」
「……はあ、またその話ですか?」
ナオミは小さく目を見開いた。
記録上、“BB連続殺人事件”の被害者は3人。
どれも自宅で発見された、奇妙な“死の演出”を伴う凄惨な事件だった。
犯人はいまだ不明。未解決事件として封印されたそれを、彼は今さらのように──
「第4の被害者が出るとしたら、恐らく今日でしょう」
「………………」
耳を疑った。
(……まさか。ここは日本だ。いくらなんでも、ありえない)
心の中で静かに反論が沸き上がる。
(イニシャル“BB”のものが、こんな地元の夏祭りに現れるわけないでしょ……何を検討ハズレなことを……)
その時だった。
横目にちらりと竜崎の姿を捉えたナオミは──
思わず二度見した。
(……また、やってる)
竜崎は、どこかの屋台で買ったばかりのクレープを──スプーンもフォークも使わず、素手で食べていた。
「………………」
クレープの端を、手で掴んだまま、ペロンとめくり、そこから中の生クリームを指で掬って口元へ運ぶ。
「………………スプーンとか使ったらどうですか?」
ナオミは恐る恐る、つい言葉を漏らした。
目の前で指先にベリーソースをまとわせながらクレープを食べる竜崎。
このまま黙っていたら自分の“常識”が負ける気がした。
すると──
「それ……先程、同じことを“お友達”にも言われました」
「……お友達?」
オトモダチ?
お、と、も、だ、ち?
──は?
その単語が、ナオミの脳に直撃した。
(友達……いるんだ、この人……)
これはもう何かのカモフラージュか、暗号か。逆に怪しい。
(というかその“友達”とやらは、どんな人なの……?)
なんとも言えない気まずさに襲われる。
この人と“友達”でいられる人間……相当の猛者だ。
むしろその人こそ見てみたい。FBIに復帰して調べあげたくなるレベルだ。
「南空さんは、生クリームは指でいかれる派ではないと?」
「……その質問、誰が“YES”って言うと思ってるんですか?」
“派”って何だ。
そういう流派ないから。お願い、黙ってて。
ナオミは目を伏せ、そっと溜息をついた。
──レイ。早く見つけて。
ほんの一瞬だけ静寂が流れる。
だが、それを破ったのは、例の“くっくっく”という笑い声だった。
「それにしても──やはり、今日が第4の被害者の出る日だと思えてならないんですよね」
「………………」
また、それですか。
(やっとクレープから話が離れたと思ったら、今度は“事件の予言”に逆戻り……)
「確かに、私たちは8月22日に第4の事件が起きると予測し、アパートにも張り込みました。でも──何も起こらなかったじゃないですか」
ナオミは、少し呆れたように言った。
第4の被害者はなく、連続殺人事件は止まった。
それが彼女にとっては“一区切り”だった。
だが──竜崎は、まるで当然のように頷いた。
「そうですね。犯人の気が変わったのかもしれませんね」
「……気が変わった、ですか?」
「ええ。犯人が構成を調整したのかもしれません。だからこそ──“8月22日”は、まだ終わっていない」
「……終わっていない?」
竜崎は、手に残ったクレープの紙をくるくると丸めながら、
静かに言葉を継いだ。
「“8月22日に起きる”という“演出”は、生きているんです。それが“何年の8月22日”かは、我々にも分からない。──ただ、犯人が見つからない限り、第4の事件は必ず起こる。そう思いませんか?」
「………………」
ナオミは背筋が、すうっと冷たくなっていくのを感じた。
(またこの人は、そうやって“何も起こってない日”に意味を持たせる。終わったと思ってたのに。終わらせてくれない)
「──というわけで、南空さん」
「はい?」
「この祭りに来た目的は、偵察ですか?」
「……いえ、デートです」
「デート……」
口元は笑っていないのに、目だけがどこか楽しげに光っている。
「つまり、南空さんはこの夏祭りを“幸福な時間”として捉えている。犯罪が起きるとは微塵も考えていないわけですね?」
「……はい。少なくとも、この夏祭りでは。……結婚予定の人と来ているので、事件のことは忘れようと思ってました」
その言葉を聞いた瞬間、竜崎の目からわずかに色が抜けた気がした。
口元は相変わらず動かないのに、肩のあたりがほんの少しだけ、しゅんとしたように見える。
「……恋人を、取るんですね」
「……はい?」
唐突な言葉に、ナオミはつい聞き返してしまう。
(何を言ってるのこの人……怖い)
「いえ、別に責めているわけでは。ただ、私としては──南空さんには“正義の人”でいてほしかった」
いやいやいやいやいや。
「仕事と、恋人。どちらが大切なんですか?」
「そんな究極の二択、誰が今ここで迫りますか」
ナオミは即答した。
「──ちなみに、私は“仕事”派です。いえ、厳密には“恋人のため”に“仕事をします”」
「……はあ」
……何をそれらしいこと言っているんだ。
無私立探偵とか名乗ってた、職業欄に“なし”って書くしかないニートのくせに。仕事なんかしてないだろお前。
すると、竜崎は静かに、しかし確かに声を落とした。
「南空さんも……あの事件、解決してから辞めて欲しかった」
言い方は柔らかいのに、どこか“責めるような”響きがあった。
その声音は、ナオミの胸の奥にゆっくりと重たく沈んでいく。
「……そう言われても……私だって、人間です」
そう返すのが精一杯だった。
「……南空さんのような人が、“この仕事”から離れるのは、勿体ないですね」
「それは、お世辞ですか?」
「本気ですよ」
夜の空気は人混みの熱をかすかに冷まし、屋台の灯りをゆらゆらと揺らす。
その光に、竜崎の横顔が一瞬、かすかに滲んだように見えた。
「……私、あの事件を最後まで解決出来なかったこと、後悔してないって言えば、嘘になります」
ナオミがぽつりと呟くように言った。
「でも……私はもう“現場の人間”じゃないですから」
「……では、こうしましょう」
竜崎がふいに一歩、彼女の隣に立つ。
「──今日だけは、私と一緒に。“無私立探偵”として」
その目は真っすぐだった。
冗談めいて聞こえるくせに、本気を隠していない目。
「今からでも、“答え”を見つけに行きませんか?」
「………………」
ナオミはしばし沈黙し、そして──静かに、はっきりと口を開いた。
「──嫌です」
「…………理由を、お聞きしても?」
「今日は夏祭りです。私は退職済みで、婚約者と来ていて、すでに屋台でアイスも食べました。ですので“探偵ごっこ”に付き合う余力は残っておりません」
ナオミは言い切った。
ぴしっと、結界を張るような口調で。
だが──その壁に対しても、竜崎はまったく動じない。
「……残念です」
そう言って、ほんの少しだけ目元を緩めた。
「しかし、強制はできませんね」
「ありがとうございます、助かります」
ナオミは静かに一礼した。
(ようやく話が終わる……)
──と思った、ほんの数秒後だった。
「……ただし。もし“第4の被害者”が見つかったら──」
竜崎は、すっとナオミに顔を寄せる。
その声は、小さく、でも明瞭だった。
「……私の、“とっておきの秘密”をお教えします」
「………………」
──あっそう。
……どうしよう。全っ然興味がない。
多分だけど、“牛乳は常温で飲む”とか、そういう系でしょ……。
「聞きたくなりましたか?」
「いえ、全く」
はっきり言い切ると、竜崎は一拍置いて──にこりともせず、静かに笑った。
「なるほど。では、後悔しないでくださいね」
そして、背を向ける──その直前。
「……ああ、そうだ」
「?」
竜崎は振り返らず、わずかに顔だけをこちらに向けて言った。
「“第4の被害者”が、レイさんじゃないといいですね」
風が、ひゅうっと吹いた気がした。
まるで一瞬、空気の色が変わったように──ナオミの中で何かが切り替わる音がした。
「………………っ」
その場で言葉を飲み込んだナオミは、ひと呼吸の間も置かず、駆け寄って竜崎の腕を掴んだ。
「……竜崎さん」
「はい?」
その声は、さっきまでの“婚約者のいる一般人”ではなかった。
胸の奥から冷えた意志を引っ張り上げるような、かつて“FBIの捜査官”として生きていた頃の声だった。
「やりましょう。……今日だけ、私も“無私立探偵”です」
竜崎は、ほんのわずかに目を見開いた。
そして──ゆっくりと、静かに微笑んだ。
「ようやく、ですね。南空さん」
その笑みを見た瞬間──ナオミの胸の奥に、ふっと過去の記憶が揺れた。
あの事件のときも、彼はこうして隣にいた。
自分と共に現場を歩き、捜査資料を照合し、推理を交わした──けれど。
(けれど──)
ナオミは、まっすぐに彼を見た。
「……でも、ひとつだけ言っておきます」
「はい?」
「竜崎さん。私はずっと……ほんの少しだけ、“犯人はあなたなんじゃないか”って思ってます」
風が、屋台の灯を揺らした。
竜崎は笑わない。
ただ、その目だけが、夜に沈んだ。
「……証拠はありません。だからこそ、私は“何も言わず”にここまで来ました。でも──今日、もしもまた“誰かが死ぬ”ようなことがあれば……そのときは、あなたのことを信じません」
「………………」
長い沈黙のあと──
竜崎は、ほんの少しだけ口角を上げて、首を傾げた。
「なら、誰も死ななければいいんですね?」
「……ふざけないでください」
「ふざけてませんよ、私は」
何考えてるんだ、この人……相変わらず読めない。
「あなたに疑われるのは、ちょっとだけ──嬉しかったですよ」
「………………」
やっぱりこの人、気持ち悪い。
ナオミが静かに距離を取りかけたその時、
竜崎が唐突に問いを放った。
「南空さん」
「……はい?」
「──もし、あなたに“人の名前と寿命が見える目”があったとしたら、どうしますか?」
「…………は?」
「文字通りです。すれ違っただけで、目にした人間の名前が分かる。そして、その人が“あと何年、何秒で死ぬのか”も、分かる」
「………………」
ナオミは数秒黙ったまま、彼の顔をまっすぐに見つめ返した。
軽い冗談のように聞こえるくせに──彼の目は笑っていない。
(また、何か試してる……)
「……使いません。そんなもの」
「なぜですか?」
「名前も寿命も“他人のもの”だからです。見る必要がない」
「自分の恋人が、明日死ぬと知っても?」
ナオミは、一瞬言葉を詰まらせた。
「………………」
「それでも、あなたは──その目を閉じますか?」
「……その目で未来が変えられる保証があるなら、開くかもしれません。でも、“知っても何も変えられない”なら──それはただの呪い。私は受け入れます」
「……なるほど」
竜崎は静かに頷いた。
その表情は、どこか“失望したようで”“嬉しそう”だった。
「南空さん、やっぱりあなたは優秀です」
「褒められてる気がしないんですが」
「少なくとも、“選ばれる側”には向いていませんね」
「選ぶ……?」
「いえ、独り言です」
竜崎はそう言って、またひとつ意味ありげな笑みを浮かべた。
そのとき、彼はふと視線を逸らしながらつぶやいた。
「この事件の犯人、実は──“そういう特殊能力”を持っていたのかもしれませんね」
「………………」
ナオミは、一度まばたきをして、微妙に黙り込んだ。
(……また変なこと言い出したよこの人……)
「……じゃあ次は“透明人間”が犯人なんですね。犯行現場には足跡も残らないし」
「くっくっく、それはそれで、ロマンがあります」
「冗談にしては目が真面目すぎるんです」
ナオミはため息をひとつついて、祭りのざわめきに意識を戻した。
けれど──
竜崎の言葉は、まるで“何かを知っている人間のつぶやき”のようで。
そこに漂った、説明のつかない“現実味”だけが、ずっと耳に残っていた。
ナオミは祭りの喧騒に意識を戻しながらも、
竜崎の言葉が頭の中で何度も反響していた。
(……“特殊能力”……)
(そんな非現実的な話を真面目に受け取るわけ──)
「……よく考えてみてください」
竜崎の低い声が、またナオミの思考を断ち切った。
「──あの日本を騒がせた“キラ事件”も、“心臓麻痺”で人を殺していた」
「………………」
「ネット上では、いまだに語られています。“殺しに必要なのは、顔と名前だけ”だと──」
「それは……ただの噂でしょう。オカルトですよ」
「そう言い切れるでしょうか?」
竜崎は立ち止まり、静かに視線をこちらに向けた。
「“BB連続殺人事件”も、よく思い出してください。イニシャル“BB”を持つ人物ばかりが──自宅で殺害されていた。直接的な証拠もない」
「……それは……」
ナオミは言葉に詰まりそうになった。
(確かに……“名前”が共通していた。だが、それだけで──)
「“名前”というキーワード。キラ事件とBB事件、それぞれは無関係に見える。けれど、どちらも──“名前を知る者だけが犯行を成し得た”と仮定すれば、どうでしょう」
「仮定だけで語るには、あまりにも不確かです」
「ですが……偶然にしては、出来過ぎていませんか?」
「………………」
竜崎の目は、笑っていなかった。
その顔を見ていると、もはや“推理”というよりも──“既知の事実”を説明されているような錯覚に陥る。
(……この人、まさか──本当に何か、“知ってる”……?)
ざわ……っと、背中を撫でる風が吹いたような気がした。
そして──ふと。
ナオミは、自分の記憶を静かにたどる。
……そういえば。
(……私、今まで……この人に、“名乗った”こと、あったっけ?)
「………………」
ドクドクと心臓が早くなる。
(……なのに、あの人は、最初から“私の名前”を)
──南空さん、と。
(名乗ってないのに)
じんわりと、指先が冷えていく。
空気が重くなる。鼓動が、妙に喉の奥で跳ねた。
ナオミは、慎重に問いかけた。
「……竜崎さん。どうして、私の名前を──知っていたんですか?」
竜崎は一瞬だけ、目を細めてから、ゆっくりと口を開いた。
「──私が、“B”だからです」
「……………………は?」
一拍遅れて、ナオミの思考が停止する。
え……?
今……この人、何て……?
喧騒が遠のいた。
空気が一瞬、凍りつく。
「B……って……“BB事件”の、“B”ですか……?」
「はい。BeyondBirthday、略して“BB”です」
その答えは、冗談にしてはあまりにも冷静で。
悪ふざけにしては、あまりにも正確だった。
「………………」
何言ってるの、この人……。
名前のこと聞いただけなのに、なんで……“自分が犯人です”なんて言い出すの……?
……いや、ちょっと待って。
そんな風に、まるで“自分がBだ”と知られることすら計算に入ってるような言い方……。
“この人、本当に──”
「恐らく、今日事件が起こるなら──」
「殺されるのは──私ですから」
その一言を残し、竜崎はふっと背を向けた。
夏の夜を焦がすように、大きな“火”が近くに見えた。
大きな大きな篝火。燃え盛るそれが、祭りの中心を照らしていた。
彼は、まるで“自分の終わり”に向かうかのように、その炎のもとへ、ゆっくりと歩き出した。
「……っ!竜崎さん!!」
ナオミは無意識に駆け出していた。
浴衣の裾が舞い、下駄が石畳を鳴らす。
そして、彼の腕を、ぐっと掴む。
「……どこへ行くつもりですか」
問いは、抑えきれない焦燥のままに口をついて出た。
竜崎は一瞬だけ驚いたように振り返り──ゆっくりと微笑んだ。
「……ちょうど、“ミサミサの盆踊り”が始まる時間ですから」
「…………は?」
「見に行こうかと。せっかくですし、特等席で」
「………………あ?」
ナオミの顔が、真っ白になった。
何も言えなくなっているナオミに構わず、竜崎はクレープの包み紙をゴミ箱に捨て、まるで何事もなかったかのようにポツリと呟いた。
「ミサミサは私のお友達です」
「………………」
戸惑うナオミをものともせず、彼はそのまま人混みのなかをすいすいと抜け、やがて特設ステージのある広場へとたどり着いた。
ちょうどライトが点灯し、ミサがセンターで笑顔を振りまきながら、元気よく両手を上げていた。
「ミ〜サミ〜サ!よっ、よっ!」
掛け声と拍手、祭囃子。屋台の光。
その中に溶けるように、ナオミと竜崎が立っていた。
──と、その時。
「ナオミ!!」
少し離れた場所から、聞き慣れた声が飛んできた。
レイ・ペンバーが人混みをかき分けて走ってくる。
「あ……レイ!」
(やっと見つけた……!)
──が。
レイはナオミの腕を軽く引き寄せ、すぐさま隣の“竜崎”へと目を向けた。
「そちらは、どなたですか?」
竜崎は、まったく動じずに答える。
「竜崎ルエです」
「りゅっ、竜崎ルエ!?あなたが!?」
レイの表情が一変した。
すぐさまナオミの方を振り返り、まるで「本当か!?」と問うような目を向けてくる。
ナオミは小さく、こくんと頷いた。
「あの……四つん這いで捜査するって噂の、あの“ルエさん”ですか?」
やや声をひそめ、明らかに悪意をにじませながらレイが問いかける。
ちょっと待って、そこ拾わなくていいのに……。
ナオミは内心ヒヤヒヤしながら冷や汗をかいていた。
「はい。そうです」
竜崎は完全に真顔で、即答した。
「…………」
レイは数秒の沈黙のあと、静かに目を逸らした。
「──なるほど。お噂通りの方だ……」
レイは腕を組み、妙に真剣な顔で竜崎を見つめていた。
「……あの噂の四つん這いの捜査法というのは、実際に?どのように……?」
「ご興味がおありですか?」
「いや、純粋に……参考までに」
「では実演してみましょう」
「ぜひ」
「……」
やめろ。ほんとにやるなよ。
ナオミの脳内で、警報が鳴り響いていた──が。
竜崎はすでに、祭りの通路脇にしゃがみ込んでいた。
そして、まさかの──
「こうです」
四つん這いになり、地面すれすれの姿勢で、カサカサと動き始めた。
まるでゴキブリ。いや、ゴキブリ以上に低い。
「ッッッ!!!?」
ナオミは本気で声にならない悲鳴を上げそうになり、思わず顔を背けた。
目立つ。すごく目立つ。
浴衣着て、盆踊りBGMの中で、ゴキブリムーブって何の地獄だ。
「……凄い!それで捜査出来るのか!?」
レイの声は本気だった。尊敬と、なぜか少し羨望すら混じっている。
「できます。むしろ、しやすいです」
B──いや、竜崎は堂々と胸を張った。
下駄の鼻緒に砂が挟まったままなのに、そこだけは妙に誇らしげだった。
「想像以上だ……まさか本当に見れるとは……」
レイは目を輝かせながら、何か感動している様子だった。
何が“見れるとは”だよ……。
これは“見せちゃダメなやつ”だった。
ナオミが内心で突っ込んでいると──
「いやぁ、僕も一緒に捜査したいくらいだ。まだ探偵はやられてるんですか?」
レイの目が、まっすぐに“問題の男”を見つめる。
「やっているというか、私は──無私立探偵ですので」
「無私立……?」
「私的に、非公認に、誰からも頼まれていないのに自発的に捜査を行う探偵。それが、無私立探偵」
レイは「なるほど」と納得しながら、ふと口にした。
「なんだか、Lが気に入りそうな人ですね」
──その瞬間、背後から低い声が響いた。
「──気に入りません」
ナオミとレイが同時に振り向くと、
そこには仮面ライダーBLACKのお面を被った、妙に猫背の人物が立っていた。
「……誰?」
レイが素直に聞いた。
ナオミは、顔面が凍る音が聞こえた気がした。
待って。嘘でしょ……。まさか……。
浴衣の前合わせが妙にゆるく、甘ったるいチョコバナナを片手に持ったそのシルエット。
「まさか──」
「ええ、仮面ライダーBLACKです」
名乗りながら、L──いや、仮面ライダーはBの肩をポンと叩いた。
「この人は、私が捕獲します」
「……え?」
「ナオミさん。今までありがとうございました。そして──ご結婚、おめでとうございます」
「え?ちょ、ちょっと待ってください、何を──」
「感謝と祝福を込めて、今からこの者を連行します」
「えっ!?どこに!?誰の許可で!?」
「無私立探偵の権限です。さあ、行きましょう、B」
Bは振り返り、ふふふっと笑った。
「“連行”という名の、LとBのデートですね。くっくっく」
「黙ってください」
仮面ライダーBLACKと、無私立探偵Bは、そのまま祭りの人混みへと消えていった。
取り残されたナオミとレイ。
「今のって……」
──“Lよね?”と続けようとしたナオミの言葉を、レイがふいに遮った。
「……仮面ライダーって、本当にいるんだな……」
「…………は?」
ナオミは一瞬、本気で時が止まった。
「いや、なんかこう……見たんだよね。“正義の味方”って感じの人を。まさか日本の夏祭りに現れるとは思わなかったけど……」
どうしたレイ。
もしかして……変人がうつったのか。
静かにレイの横顔を確認する。
真面目な顔で仮面ライダーの後ろ姿を眺めている姿に余計不安が増した。
ダメだ。絶対に竜崎のそばに長くいさせちゃいけないタイプだ……。
そんな彼が、ふと楽しげに笑って振り返った。
「ねぇナオミ。あの“竜崎さん”──今度、僕が担当する事件に呼んでもいいかな?」
ナオミは0.5秒で、きっぱりと答えた。
「絶っっっっ対にダメ!」
「なんで!?すごく興味深い人だったのに!」
「だからよ」
レイがぽかんとする横で、ナオミは小さくため息をついた
「変人はひと夏に一人で充分なのよ……ほんとに」
そう言いながら、そっとレイの腕を引いた。
──そしてふたりは、普通の、穏やかな夏祭りの夜へと戻っていった。
✺✺✺
夏祭りの喧騒から離れ、暗い川辺の裏路地。
紙提灯の明かりも届かない、静かな場所で──LとBは並んで歩いていた。
仮面ライダーの面はすでに外して、Lの表情はどこか険しい。
「……B」
「はい、L?」
「“あの事件”は、特別に許したと伝えたはずだ。“駒”として利用価値がある限り、見逃すと。──なのに、なぜわざわざ南空ナオミを揺さぶるような真似をした」
どこか無邪気なふうを装いながらも、目はLをじっと捉えていた。
「でも、彼女は気づいてしまったんです。……Bが“B”であることを。それは……偶然でしょうか。L。それとも──“彼女が優秀だった”結果でしょうか」
「B、“口を慎む”ということを覚えるべきだ。ボロボロと自ら自白してどうする」
「これだけヒントを与え、自白しても捕まえられなかったのはどっちですか?」
一拍の沈黙のあと、真っすぐにBを見据える。
「──お前は、まだ“捕まっていない”と思っているのか?」
「ええ、思ってます。証拠が何もないでしょう?くっくっくっ──Bが犯人。それはもう分かりきっているはずです。しかし、証拠がない。証拠がないと“捕まえられません”」
Lはわずかに目を細め、
Bの言葉が終わるのを待ってから、静かに口を開いた。
「……確かにそうだ。私には“神々しい力を持った存在”を捕らえる手段はない。法も、証拠も、理屈も──“あなた達”には届かない」
「でしょう? くっくっくっ……」
「──しかし、証拠ならここにある」
ぴたり、とLの指先がBの胸元を指した。
「そう、“ここに”。お前自身が、“証拠”だ。B」
空気が一変した。
笑っていたBの顔から、ほんの一瞬だけ、色が引く。
「証拠は、あなた自身。……そして、“犯人”も、お前だ」
「……私は、お前を裁けない。けれど──キラなら、きっと裁けるだろう」
Bは、一瞬だけ目を伏せて笑った。
「精々、夜神くんとミサさんに“殺さないでくれ”と頼んでおくことだ。私も──長くはないでしょうから」
Bは、Lの方を見つめる。
その目に映る──寿命の数字。デスノートで裁かれたんじゃ、この数字も予言不可。
「……こんな数字、当てにならなくなってきたな」
肩を竦め、くっくっと喉の奥で笑う。
その視線に気づいたのか、Lはあの黒い、仮面ライダーの面をズラし、無言で顔を覆った。
「ですが、L」
──ふと、口元だけがにやりと歪んだ。
「いっそ……あなたも“目”を持ってみたらどうでしょう?」
「……」
「死神と契約して、世界の寿命を見てみるといい。この世界が、あとどれくらい生きられるか──誰が“死にかけ”で、誰が“まだ生きられる”のか。……案外、探偵なんかより、よっぽど精度の高い推理ができますよ?」
空気が、一瞬で凍りついたように静まった。
「……L、あなたなら見てみたいと思いませんか?『世界の寿命』を、あなた自身の目で」
「………………」
仮面の下で、Lは静かに息を吐いた。
「……それは、“探偵の目”ではなく、“死神の目”だ、B」
しばし沈黙が続いた。
「──けれど、興味がないと言えば嘘になる」
Lの声は、微かに震えていた。だが、それは恐怖ではなかった。
「だが、私は、“目”の取引はしない。それを持った瞬間、私はあなたの“模倣”になってしまう。私はBではない。私は、“[[rb:私 > オリジナル]]”のままでいたい。Lでいたい。もう少し、人間としてこの世界を見たいと思えた」
その言葉は、祈りのようにさえ聞こえた。
Bはしばらく黙っていた。
しかし、目だけは──どこまでも冷静で、静かだった。
そして、仮面越しの声が、問いを落とした。
「ならば……聞かせてくれ、B──私の名前は、なんだ?──どの名前が、お前の目に映っている?」
問いかけには、沈黙が返った。
Bは、何も言わない。
夜の川辺に、波の音だけが寄せては返す。
「さあ、なんでしょうね。秘密です」
くっくっくと、喉の奥で笑ったBは、Lの方を振り返らずにそう答えた。
「はあ……」
Lがため息をつくと、Bが勝手に歩き出した。
「……さて、時間です」
「時間……?」
「ええ。ミサミサの盆踊りステージ、見たいですから。探偵も、世界の寿命も、死神の目も……今夜は少し、お預けにしませんか?」
Lは仮面をもう一度手に取り、静かに口元を緩めた。
「さあ、行きましょうか」
「──『L・Lawliet』さん」
仮面の奥、Lはわずかに笑った。
「……………そうか。やはり私の名前は『L』か」
Lもその背を追い、静かに足を運ぶ。
──肩を並べて、夏の音の中へ。
誰にも知られないまま、
正義と罪が、今夜だけは同じ光を見つめて歩いていった。