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──夜の闇を裂いて、鐘が鳴った。
処刑の合図。
私――ジェーンは、エレノオールのローブを纏っていた。
あの子の香りが、まだ袖に残っている。
「ジェーン、お願い。生きて」
そう言って笑った彼女の頬が、震えていたのを覚えている。
あの時の声、手の温もり、涙の味。全部、今でも覚えているの。
「石はどこ?」
最後の言葉は、それだった。
刃が落ちる寸前に、フランス語が混じるその声で、震えながら。
私がいつも祈りの時に握っていた、小さな白い石のことだと気づいたのは、ずっと後だった。
……あの子の身体が崩れ落ちた時、時間が止まった。
叫びも、鐘の音も、風の音も。
何も聞こえなかった。
私はただ、走った。
どこへ向かうのかもわからないまま、夜のロンドンを抜けて。
足を濡らす水たまりも、頬を打つ雨も、気にしていられなかった。
逃げなきゃ。生きなきゃ。
そう言い聞かせながら。
やがて、丘に辿り着いた。
雨が止んで、雲の切れ間から、満月が顔を出していた。
銀の光が、街を包み込むように照らしている。
息が苦しくて、胸が痛くて、でも……綺麗だった。
「……エレノオール」
名を呼んだ瞬間、涙が零れた。
あの子が見たかった空を、私も見ているのに。
もう、隣にはいない。
ふと、背後から足音がした。
追っ手の兵たちが、松明を掲げていた。
逃げられない。もう、ここまでだ。
それでも私、笑っていたんだと思う。
だって、あの月があまりにも綺麗で。
まるで、彼女が照らしてくれているみたいだったから。
──刃が振り下ろされる瞬間、
私はポケットの中の小さな石を握りしめた。
「……もう、会えるね」
風が吹いた。
夜の帳が静かに降りる。
そして、全てが、月の光の下で終わった。
──ジェーン・グレイ、九日の女王。
彼女の物語は、愛と約束の中で、静かに幕を閉じた。