「ほら、見てよ。珍しい本なんだよ、これ」
近づいた私に本を渡す。随分古い本だ。表紙は動物の皮で出来ているみたい。擦り切れて、ガサガサ。ペラペラとめくると、古い本特有の匂いが立ち上った。
「…………。読めない……」
私に分かったのは英語じゃないということだけ。
「古い文字だからね。俺もちょっとしか読めないー」
そう言って笑うフレディは、屈託がない。やっぱりコドモかな……。
「……ちょっとは読める?」
私は全く読めない。
「うん、ちょっとだけならね」
「学校で習った?」
私は不安になった。
このところ学校をお休みにしている。それまでにも、何度か長めのお休みをしたことあったし……。ひょっとしてその間に皆、習ってた?
「あはは!習わないよ、こんなの」
私から本を取り上げると、ページをめくった。
「何が書いてあるの?」
「んー……」
彼の目がゆっくりと文字を追っていく。
「土人形……血と骨を用いて……へえ……」
「?」
「噂には聞いたことあったけど……」
それきり、黙ってページを捲り出した。邪魔するのも悪いかと思い、しばらく黙って見ていた。その顔はどんどん険しくなっていくので、さすがに内容が気になってくる。
「ねえ……何が書いてあるの?」
目から本を外さずに、ぼそりと答えた。
「……ヒトの作り方」
「ヒトの作り方!?」
「…………」
本に集中したままだ。私は呆然としていたが、少し考えてから恐る恐る尋ねる。
「人って作れるものなの?」
すると、ようやく我に返って顔を上げーー私を見つめた。
「?」
にっこり微笑み、勢いよく本を閉じる。
「まさか!」
「…………」
そうよね。ヒトの作り方なんて。お料理のレシピじゃないんだから。
「誰が集めたのかな」
遠くを見る目で、本棚を振り返った。
「えっ?ここの本?」
「うん……魔術書、秘薬事典、伝承……どれもその辺で買えるものじゃないよ。それに……」
「それに?」
グレーの瞳が本棚を滑っていく。
「祓い手関係の本が多いのは気になる……」
あ、またオトナの顔になった。
「ね……」
その時、ぐえええっと何かの吠え声が。
「な、何……?」
思わず、側にいたフレディのコートを掴む。
「大丈夫、雑種だ」
オトナの目のまま、答えた。
「雑種?」
「それほど厄介な相手じゃないってこと」
言いながら、コートを握っていた私の手を軽く叩く。
「彼の行く手に茜と山査子の棘があらんことを」
そう呟くと、素早く銃を抜いて身を翻した。
「見てくる!」
「えっ……ま、待って!」
駆けていく背中に向かって、慌てて叫ぶ。
「リズは……どうするの!?私、どうしたらいい!?」
フレディは振り向きざまに叫んだ。
「姉ちゃん、あの友達にはもう近づくな!いいな!これは警告だからな!」
私が何か言う前に、彼の姿はドアの向こうへ消える。
「…………」
ゆっくりと床を見た。リズの落とした血が点々と続いている。近づくなってどういうこと?分かんないよ……。
「だって近づかなきゃ、助けてあげられないじゃない……」
フレディの言うことは、やっぱり私には難しすぎるよ。
知恵の間の床にあるコインはすすけて、半分ほど黒ずんでしまっている。火の気なんてないのに……。これをぶつけられて、びっくりしたんだ。あの時リズは……。
「…………」
湧き上がる疑念を振り払う。
どうでもいい。そんなことはどうだっていいの。リズを捜さなきゃ。彼女の血が私を導いてくれるわ……。
東塔の一階、泉の間だ。地下へ向かうドアや金網に、ベッタリと血がついている。リズが出ていく時に、ぶつかったのだろう。早く捜さなきゃ……。
階段を降りて、地下一階の奈落の間に来た。橋もハシゴも血で汚れている。あの怪我で、この橋を渡るの怖かったんだろうな。落っこちたりしないで、よかった……。血で滑らないように気をつけないと。
「!?」
ハシゴを上がり、穴から顔を出した私はギョッとした。柵の内扉が開いている。ぐにゃりとひしゃげて、ベッタリと血がついて。まるで体当たりして開けたみたい……。でも、まさか!
ひしゃげた鉄の扉と外れたちょうつがいは、尋常じゃない力で破られたことを示している。いくら無我夢中でも、彼女にそんな力……。まさかよね?
「…………」
何が起こったのか分からないが、血の跡からして内扉を通っていったのは間違いなさそうだ。とにかく血の跡を追いかけよう。
断罪の間だ。血の跡は、柵の内扉からこちら側のドアへ向かっている。やっぱりリズが内扉を壊したの?火事場の馬鹿力って言葉があるもの。きっとパニックになって無我夢中で……。そういうこともあるよね?
「…………」
廊下を出ると、ここにも血が落ちている。床には擦った血の跡が見える。転んだのかな……。
回廊の入り口まで進むと東と西の扉を繋ぐように、ポツポツと床に血が落ちていた。
通路にも牢獄道にも新しい血の痕がある。
人柱の間に入っていく。
「!」
床に落ちた血に触れた。指先が赤く濡れる。まだ新しい血。
「リズ!」
答える声は返ってこない。床に落ちた血は、階段の扉へ続いている。間違いない、リズは西塔にいる!上か下か分からないが、必ずこの塔のどこかにいるわ!
階段を上がって、二階の雛鳥の間だ。リズの姿はないが、床にところどころ血が落ちている。
三階の忘却の間に入ると、不意に顎のあたりを風が撫でた。窓に打ち付けられた板の隙間から、風が吹き込んでいるんだ。それをよく見ると、急に外の世界が恋しくなった。
窓に歩み寄ると、その隙間を覗き込む。暗い空と暗い湖が見えた。月の光が冷たく、優しく湖面を照らしている。外は広いな。鳥籠から外の景色を見るってこんな感じなのかしら。湖の向こうには黒々とした林があって、その林に隠されるようにして屋根が……。
「!?」
目を見開いた。あれは……もしかして私の家!?屋根のてっぺんがちょこっと見ている。でも……。目が痛くなるほど、その屋根を見つめた。
「…………」
もしそうだとすれば、あの屋根の少し下には窓がある。二階にある私の部屋だ。それじゃあここは、いつもあの窓から見ていた風景の中……。開かずの修道院。陰鬱の湖の中に建つ、迷い込んだら二度と出られない……。
その時、ほんのわずか布擦れの音がしてハッと振り返った。そこにはリズが立っている。
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