テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
8件
コメ遅くなりました! 最高の作品をお恵みくださり本当にありがとうございました!! とても読み応えがある作品でした!
柘榴なのセンスいいですね!ギリシャ神話でもペルセポネは柘榴を食べて冥界神の妻になりましたし
最高うううですううう。楽しまさせていただきました。圧倒的な文才が殴ってきて嬉しいです。
らぎさんのリクエスト、イカれ江戸さん×日本。
先に謝っておきます。
らぎさんごめんなさい、不穏がミリ単位です……ちょっとだけ背筋が涼しくなる程度の話になってしまいました………。
最近、同じ夢ばかりを見る。
春の光が柔らかく注ぐ庭。
苔むした飛び石の上で、和装の男が穏やかに笑っている。
男が頭上の枝に手を伸ばす。
何かを話しているのだと、動く唇でわかる。
声は聞こえない。
ただ微笑む顔だけが、胸を焼くように残る。
あなたは、誰なんですか。
わからないまま、夢から覚める。
エアコンの送風音が耳につく。目尻に浮かぶ光を拭った。
***
あれ、と声が漏れる。
すっかり遅くなってしまった帰り道。
夕暮れを過ぎても昼の残滓を残す空に夏の訪れを感じていると、『工事中』の柵に行く手を阻まれた。
仕方なくきた道を戻り、同じような家の間をひとりで歩く。
しばらく歩いた先に、古びた鳥居が浮かんでいた。
街灯に照らされて、月日に表面を削られた御影石が光る。
昔、家族と何度も訪れた神社。
懐かしさを灯す参道の提灯に、蛾のように吸い寄せられる。
ぺたり、と、妙に自分の足音が響いていた。
おかしい。
この参道は、こんなに長かったか。
この場所は、こんなに暗かったか。
心なしか密度を増した夜の気配に鳥肌が立つ。
不意に、カラン、と軽やかな音が石畳を叩いた。
振り返ると、灯りを手に持った男が立っている。
「かわいそうに。迷ってしまったか。」
耳よりも先に、心に届くような優しい声。
月明かりに、恐ろしいほど見覚えのある顔が美しく照り映えている。
「……あなたは、……」
言葉にならならない。
問いかけようとするより早く、男が一歩近付いてきた。
「おいで。じいが出口へ連れて行こう。」
淡い光に包まれた指先がこちらへ伸ばされる。
拒む理由が、頭から滑り落ちた。
ひたひたと足音が降り積もる。
僕をあやすように握られた手は暖かくて、不意に口が緩んだ。
「最近、…あなたの夢を、見ていたんです。」
男の指が緩やかに絡みつく。
月の光が黒い袖をなぞり、光の花が咲いたようだった。
「神様が、引き合わせてくれたんですかね。」
驚いたように、ふたつの夜空がこちらを向く。
「……童よ。名は何という?」
「え…?……日本、です。」
静かにその目が伏せられた。
「悪いな。この道は、もう通れぬ。悪戯好きの者どもが閉じてしもうた。」
えっ、と弾かれたように鳥居を見上げる。
「安心せぇ、じいの家で暮らすがよいぞ。」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
冷え切った体が、ゆっくりと溶かされていくようだった。
***
白い光に満ちた縁側。甘い香りを漂わせる花々。
差し込む陽気は春のままで、時間の間隔が溶けていく。
江戸さんとの暮らしは、夢の続きのように穏やかだった。
ただ一点、彼が常に僕をそばに置きたがることを除いては。
朝は手ずから着替えさせられ、昼は一緒に庭を眺め、夜は意識が途切れるまで何かの話をしてくれる。
燭台に揺れる灯りの中、そういえば、と口を開く。
「ここにきてから、何も食べていないのに平気です。」
江戸さんがふっと笑った気配がする。
「ヨモツヘグイと言ってな。こちらで物を食うと、少々厄介なことになる。」
「……『厄介』?」
「あぁ。帰れなくなる。」
さらりと告げた声に、体の奥の方がヒヤリと冷えた。
「あぁ、すまぬ。怖がらせてしもうたな。」
幼子を相手取るような口調。
優しい手つきなのに、心の奥底に触れられているような気がして、黙って布団をかぶった。
***
「今日は少し、外の様子を見てくる。」
江戸さんがそう言ったのは、今朝のこと。
ヨモツヘグイの話から数日。彼は一向に、帰る話をしない。
がらんとした家にひとり。
ひょっとすると、これは最高のチャンスなのではないか。
すっかり浴衣の質感に慣れきった肌の下の心臓が高く跳ねる。
玄関の木戸に手をかけると、するりと開いた。
息を吸い、小さくさようなら、と溢して走り出す。
庭を抜け、門を越え、参道を駆ける。
慣れない運動に呼吸が乱れ、太ももにじわりと汗が浮かぶ。
鳥居が見えた。
少し。あと、もう少しで___
「どこへ行く?」
背後から、失望したような声が聞こえた。
制止されたわけでもないのに足が止まる。
振り向いた視界に、僅かに黒い影が映った。
***
目を覚ますと、見慣れた天井。
上体を跳ね起こす。
江戸さんが、いつもの調子で座っていた。
「あ………。」
喉が渇いて、言葉に詰まる。江戸さんは静かに微笑んだ。
震えながら唇を噛む。
「逃げようとして、すみません……。」
頬にそっと手が触れる。
出会った頃から変わらない、優しい温もり。
「ひとりになって気が動転しただけであろう?」
「………はい。……ごめんなさい。」
「部屋の中ばかりでは、童には退屈か。」
おいで、庭に出よう、と江戸さんが僕の手首を掴む。
その声はひどく柔らかくて。だからこそ、逆らえなかった。
***
しっとりとした苔を踏み、庭の奥へと進んでいく。
狂ったように咲き誇る花々が、そこかしこに広がっている。
甘い香りが一際強くなった。
「……この木は……?」
見上げると、地上に影を落とす大きな木。
過剰なほど膨らんだ根っこがあたりに伸び、何かを吸収したように広びろと枝を広げている。
江戸さんは目を細めた。
「柘榴じゃ。とても甘い実がなる。日本。…丁度、お前のような童の好みそう味よ。」
低く掠れた声が、優しく耳朶を打つ。
喉がひくついた。
______ヨモツヘグイ。ここで食べたら、帰れない。
「のぅ、日本。食してみたいとは思わぬか?」
江戸さんが頭上の枝に手を伸ばした。
じり、と足を一歩後ろに退く。
「…やめて、ください………。」
声が、花に埋れるように小さかった。
「何故?」
「…僕は、帰るんです。」
江戸さんの指が、ゆっくりと実に触れた。
ゆっくりと振り返った瞳は、気が狂いそうになる程凪いでいる。
「現世こそかりそめ。夢こそ世。……目を覚ませ、世の苦しみから解脱しようとは思わぬのか?」
石畳と下駄が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「いやだ……っ……!」
江戸さんが小さく息を吐く。
それから、子供を諭すように声を落とした。
細い腕が伸びてくる。
花の香りと彼の袖に身体を絡み取られた。
「大丈夫……。怖くはない。」
首を振り、必死に身を捩る。
そんな僕の抵抗も虚しく、白い指先が唇を割った。
「いい子よのぅ………。」
そのまま第二関節までを喉へと押し入れられた。
果実が無理やり舌に触れる。
「ん゛ぇ………っ………」
甘くて冷たくて、ヒリヒリと喉を焼く。
腐った花蜜の香り。
必死に香で焚き染めた、死人の肌のような気持ち悪さをダイレクトに感じる。
「お゛っ………ゲホ……っごッ………あっ………ぅ゛……」
息ができず、えずく僕を愉快げに眺め、胃液がつくのも厭わず、柘榴を食道へと沈められた。
「かわいそうに。……その苦しみも、今日で終わりじゃ。」
どんな怒号よりも恐ろしい声が、ねっとりと鼓膜に絡み付く。
もう、自分はこの人のものなのだ。
酸欠で回らない頭が、その事実だけを痛感する。
逃げる場所なんて、どこにもなかった。
(終)