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春、4月27日。
いちばん古いあなたの記憶。
色について話したのを、ぼんやり覚えている。
その日は暖かな風がごうごうと吹いていて、
しぶとく強く残った桜の花びらを無情にも根こそぎ吹き飛ばしていた。
教室の大きな日がよく入る窓からそれがよく見えて、春ももう終わるんだなあとなんだかしみじみとしていた気がする。
中学一年生の新学期というと、わたしはひどく疲れていた。
小学校から中学校への環境の変化と、周りの変化についていけなくて
過去にひとり置いてけぼりにされた気がして、
たいそう悲しく、切なかった。
何となく気分が落ちて、
希望も絶望もない毎日の中
あなたは私を恋に落とした。
6時間目の、美術の時間に。
その時期は、野外学習で何か一つ「木」を
描く授業をしていた。
でも、私は制作に行き詰まっていた。
「…描けない」
「なんでよ、あと色塗りだけじゃない」
「桜の木の塗り方なんて分かんない!」
「それは…私もわかんない」
「なんだよっ」
友達と軽口を叩きながらも、この日はこの単元の最後の授業だったので、焦り始めていた。
うーんとずっと悩んでいると、
視界の端からむくっと、人の影が現れた。
「え、今日で最後だけど大丈夫?まだ何も色塗りしてないじゃん」
と声をかけたのは、美術教諭の中村。
「そうなんですやばいんです!」
「ほら、喋ってないで筆動かす 下書きでこんなに正確に木の感じ捉えられてるんだから
あとは塗り絵と同じだよ?好きに塗るだけ!」
「なんか、桜って難しいじゃないですか
ベタっと塗っても桜の花びら感ないし!
というか、そうこうしてたら花びら散っちゃうしもうどうしよう!」
「筆の使い方とか、影をつける塩梅とかで上手く表現するのよ」
「そんなこと言ったってむりです…」
「ほら、早く筆動かして!」
「うぅー…」
結局、絵は完成しなかった。
授業も終わり、みんなぞろぞろと教室に戻り始めた。
「結局終わらなかった…」
「とりあえず提出だけでもしなよ!」
「白黒でもいいかなあ」
「出さないよりはいいでしょ!」
「たしかに…」
と、未完成の桜の木の絵を出そうとすると
「ちょい、まって薗田さん」
と、中村に止められた。
「え、なんですか」
「未完成のままだすのは、なんか勿体なくない?せっかく上手なのに」
「えーっ…」
「学年で未完成なの、薗田さんだけなんだよ
せっかくだし、完成させてから出してよ」
「ほら、だってよ愛歌!」
「でも…これ以上悩んでもどうしようもなくないですか?」
というと、中村は
「じゃあ、放課後美術室来てよ」
と言い放った
「私早く帰りたいんですけどー…」
「でも、早く完成させたくもあるっしょ?」
「いやあー…」
「俺がちょっと手助けするから、終わらせちゃおうよ」
なんだか威圧的な感じに負けて、渋々承諾した。
帰りの会が終わって、たらたらと歩いて美術室
に向かった。
がらっと古びた扉を開け、先生に声をかけた。
「じゃあ木のそばに行こうか」
「あ、はい」
外に出ると、春の陽気と吹雪くような風でふきとばされそうになる。
とぼとぼと歩いて木の下に行くと、
桜の花びらが夕焼けのオレンジ色にぼんやり染まり、
パキッとした昼の印象よりかは、一味違うようなあたたかさを持っていた。
「実は声掛けたの、薗田さんにこの状態の桜を描いて欲しかったのもあるんだよね」
「え?」
「下書きの感じからも、こういう感じの方が合ってると思って」
「なんでよりによって私だけー…」
「まあまあ…じゃあ絵の具出してください 」
「何色ですか?」
「それは自分で決めて。」
「えっ、手助けしてくれるんじゃないんですか?」
「色は、人によって見え方が違うからね
薗田さんが見て感じた色をそのまま出すの」
「見て感じた、色」
正直、困った。
なぜならその時の私には、桜がオレンジ色に見えたから。
桜は薄桃色だ。オレンジ色じゃない。
なにも出来ず黙っていた私に、中村は追って声を掛ける。
「薗田さんが見た色は、嘘をつかないよ
自分が見てきたものは、全部真実なんだよ。」
なんだかその言葉が、胸の中のの嫌なところに
染みた気がした。
“この日々が*悪夢だったら、まだ救われたのに*”
と、思った。
見てきたものは嘘を言わない
これが事実であると同時に、この言葉を言った中村の声もまた、事実である。
五感は決して自分を騙さない。
なんだか泣きそうになってしまった。
過去に置いてけぼりにされている自分も、悪夢でもなんでもない、現実のかたまりなんだなと
ひしひしと痛感して、すごく嫌な気持ちになった。
それが顔に出ていたのか、中村はなんだかやるせないような、心配するような目で私を見ていた。
何か言わなきゃと思い、口を開いた。
「先生は何色だと思いますか?」
と尋ねると、
「黒」
と一言。
ぷっ、と思わず笑いがこぼれた
「冗談冗談」
とせき込むように言う中村の前で、
私はついに泣いてしまった。
なんで泣いてるんだろうと、混乱して半分パニックになりながら、「すみません」と
謝ることしか出来なくなった。、
「いや、なんで謝るのよ」
と一蹴。
「泣くのを我慢したら体に悪いからね」
と、すかさず言ってくれた。
そのあとは、わけも分からないまま、わんわん泣いた。
その間も中村は、「大丈夫だよ」と何回も声をかけてくれた。
絵は後日完成させるとして、その日は帰ることになった。
校門まで着いてきてくれた中村にお礼を言い、
くるっと振り返って帰った。
たったそれだけなのに、
いつの間にか私は、中村を好きになっていた。
ちょっと優しくされただけなのに、
落ち込んでいるときの人間は不思議だなと思う。
そして、先生を好きになってしまう者に
ハッピーエンドなんてない。
この物語は、私がまた泣くまでの物語。
そして、笑って未来へ向かえるようになるまでの物語。
第1話 fin.