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【沢山の別れ】

静まり返った部屋の中、壁に掛かった時計だけが規則正しくその鼓動を打っている。

僕たちは時々思い出したように毛繕いをしながら、その秒針の確かな刻みだけに耳を傾けていた。

そう言えば、いつの間にか昼間が短くなっている。

ついこの間までの暑い夏が過ぎたかと思うと、何事もなかったように秋がここにいる。

窓の外にはムクドリの群れが、あかね雲の空に美しい弧を描いて飛んでいる。渡りの準備に入ったようだ。

季節は着実に前へ進んでいる。

「辛い話をさせてしまってごめんね。こんなことになってたなんて僕何も知らなくて……。

ももちゃんに悲しいこと思い出させてしまって、本当にごめんね」

やっとのことで、僕の口から言葉が出た。

ももちゃんは無理に作り笑いを浮かべながら優しく首を振って答えた。

「違うのよ、まるちゃん。話したら気持ちが楽になるの。あまりにも色んなことがいっぺんに起きたものだから、自分の心が

壊れてしまいそうだった。話したら少しはすっきりしたわ」

僕も無理やり、半分泣き顔の作り笑いを作った。

「まるちゃん、もう少し聞いてくれる?」

小首をかしげるももちゃんの目に、新たな涙が浮かんできた。

「私ね、工事現場でれれに会わなかったら、今頃どうなっていたかわからないの。

あの時は何もかもがどうでも良くなっていて、トラックにでも轢かれてかれて、死んでしまったら楽なれるかもなんて考えてたから。

あ、まるちゃんの前で車に轢かれた方が良いなんて言ってごめんなさい」

そんな、僕のことなんか気にしないで、とあわてて答えたが、心臓がキリリと痛てつこんだ。

「あの後ね、最後の集会が終わった後ね、しばらくそのまま待ってたの。

もしかしたらボスが帰ってきてくれるんじゃないかって」

そのうち東の空が明るくなり、ギッギッと自転車をこぐ音がして見覚えのある人間が、新聞を荷台に山と積んで通り過ぎていったそうだ。

ふと後ろに気配を感じ、びくっとして振り向くと、そこには心配そうな顔でのぞき込む、シゲおばさんがいた。

―姫、やっぱりここにいたんだね。画像 まだボスのこと待ってるんじゃないかと心配して帰ってみたら案の定だわ。

「シゲおばさんは私の肩を抱いて言ったの」

―あんたの気持ちは良く分かる。

だけど、ボスのこと本当に思っているんなら、このまま家に帰りなさい。ボスは、ボスとして最後の役目を果たそうとしてる

んだからね。あんたがいては……

シゲおばさんの絞り出す声が震えていた。

―あんたがいては足手まといなのよ。

「そんな、足手まといだなんて」

僕は思わず声を挟んだ。


ももちゃんは構わず続けた。

「シゲおばさんは、私の肩をしっかり抱いて言ったの」

―いい、姫。気が済むまで泣いたらいい。泣きやむまで、ここでずっと一緒にいてあげるから。

だけど、泣き止んだらお母さんのいる家に帰りなさい。

もう外のこともボスのことも何もかも全部忘れて、家猫として幸せに暮らすんだよ。

よくもこんなに涙があったもの、とあきれるくらい泣いたわ。

シゲおばさんの肩のあたり茶色の毛がべっとり濡れていた。

ふと気になって、私のことより、シゲおばさんはこれからどうするのって尋ねてみた。

するといつものあの笑顔に戻って言った。

―わたしゃ大丈夫。根っからのノラ猫だからね。どこだって生きていけるよ。

じゃあ姫、これでお別れだね。あんたのことは忘れない。

―私も忘れない。シゲおばさんお元気で。

「私たちはもう一度抱き合い、お互いのぬくもりを確かめ合った後、それぞれの方向に別れていったの」

僕のまぶたに、シゲおばさんのキリリとの短くて縮れた毛が浮かんだ。

その薄汚れた茶色の背中が去っていく姿を思うと、僕は胸が締め付けられるようだった。

こんな時なんて言ったらいいんだろう。

だけどももちゃんは、まるで絵本でも読んでいるかのように淡々と言葉を並べている。

さっきより気持が落ちいているようにも見える。僕は少し安心した。

が、ひとつ気になっていることがある。ももちゃんが家に帰るって、どういうことだろう。

家猫に戻るって? ももちゃんはボスと雑木林の中に住んでいたんじゃなかったの?

知らないことだらけだ。だけど、僕の方からそれを聞く勇気はない。


とにかく何かあったんだね。また次に、悲しいことが待っていたんだね。

僕はさっきももちゃんの口から出た、「トラックにでも轢かれて死んでしまったら」という言葉を思い出して、心が縮むよう

な気がした。


気が付けば外は陽が傾きかけていている。

薄暗い部屋の窓ガラスに、花を終えたムクゲの木が、その細い枝をもたれかけている。

僕は口をつぐんだまま、ももちゃんの次の言葉を待っていた。しばらくして小さなため息と共にももちゃんは口を開いた。画像

「家には誰もいなかったの」

いきなりガンと頭を殴られたようだった。

久振りに帰った家はなんだか様子が違っていたらしい。}

玄関も縁側も窓も全て年季の入った雨戸でふさがれていた。

いつもなら二、三度鳴けばおばあちゃんが中からが開けてくれていた玄関も、板張りの雨戸でしっかりと覆い隠されている。

お母さんと弟と人間のおばあちゃんがいるはずの家。

たとえ外で暮らすようになっても、いつだって帰る度、ももちゃんを温かく迎え入れてくれた家。

ーどうしたの? 何があったの?

ひっそりと静まり返った家の周りには、ひんやり湿った空気だけが重く漂っていた。

―誰もいない。

悲しみを吐き出すももちゃんの声が、小刻みに震えている。

「寂しくて、悲しくて、何が何だかわからなくて、ひたすら家の周りを走り回りながら声が枯れるまで泣きつづけたわ」

ふと、物干し竿の下にカラカラになって張り付いているタオルが、ももちゃんの目に映った。

―おばあちゃんのタオルだわ。いつも畑に行く時、おばあちゃんが首に巻いているタオルだわ。

「駆け寄って、夢中で顔をこすりつけたの」

―ああ、おばあちゃん、どこにいるの? お母さん、ヨシ。

みんなどこに行ってしまったの?

ももちゃんの目が止まった。

「これは……」

タオルの端に、お母さんと弟のヨシ君の懐かしい毛が数本。

ここで、ももちゃんの言葉が詰まった。


何か言わなくては、と思った次の瞬間、悲鳴のような叫び声が、ももちゃんの喉の奥から飛び散っていった。

「お母さーん! ヨシ~!」

「ももちゃん!」

思わずももちゃんに体を寄せた。

肩で息をしながら、身をよじるような悲しみを吐き出しているももちゃんに、かける言葉さえ見つけられなくて、僕はただも

もちゃんに体をすり寄せ、祈るような気持ちで、その震える肩をおそるおそる舐めて慰めるしかなかった。

―情けない。

僕は、心底自分が情けないと思った。

傍に寄り添いながら、何もできない自分が、無性に腹立たしかった。


しばらくして、すすり泣きの間にもれるももちゃんの荒い息が、少し落ち着いて来た。

怒りをたたきつけるように激しく動いていた尻尾も、今は落ち着いているようだ。

恐る恐る顔を上げた僕の目に映ったのは、虚ろな目で遠くを見つめるももちゃんの姿だった。


「しばらく家に帰ってなかったの」

ポツリとももちゃんが口を開いた。

「外でボスと暮らすようになってからも時々は帰っていたのだけど、こんな事になるんだったら、もっと早く家に帰っておく

べきだった」

ももちゃんのお母さんは、いわゆるブランド猫だったらしい。

それがペットショップで買い手がつかなくて大変なことになるところを人間のおばあさんに引き取られたそうだ。

画像 僕はペットショップって何? と思ったけれど、ももちゃんの話を中断させてはいけないので黙って聞いていた。

おばあちゃんは何年か前におじいちゃんに先立たれ、息子が二人いたが、それぞれ家庭を持って都会に住むようになってからは、一人で近くの畑を耕しながらのんびり暮らしていた。

ある時ペットショップ売れ残り猫の話を近所の人から聞き、居ても立っても居られなくてその猫を引

き取ったそうだ。

次の年その猫が子猫を二匹産んだ。

それがももちゃんと弟のヨシ君だった。

ヨシ君は生まれつき足が悪く、歩くことはできるが、外に出て走り回ることができなかったため、お母さんと家にいることが

多かったが、外に出るのが好きなももちゃんは、おばあちゃんの後をついて畑に行くのを楽しみにしていた。

そして、そこでボスと出会ったそうだ。

ノラ集団のボスと付き合うなんてとんでもない、と最初は反対していたお母さんも、ももちゃんの気持ちが変わらないのを知

って、しぶしぶボスと外で暮らすことを許してくれたらしい。

が、その代わり「週に一度は家に帰ってくること」という条件が付いた。

初めのうちは言いつけを守っていたももちゃんも、外での生活が楽しくなるにつれ、一週間に一度が一か月に一度となり、つ

いには半年以上も家から遠ざかってしまっていたという。

そういえば当時、ボスと付き合っているはずのももちゃんが、人間の家に出入りしているという噂がノラ集団の間で流れたこ

とがあったが、そんな話は誰も信じていなかった。

ボスと一部の側近だけが、本当のことを知っていたらしい。

「もっと早く家に帰っていれば良かった」

うつむいてそう呟くももちゃんの声が、微かに震えている。

「ももちゃん」


僕は、元気を出してとしか言えない自分が本当に腹立たしかった。

それにしても、ももちゃんの家族に一体何があったんだろう。

人間のおばあちゃんは、どこに行ってしまったんだろう。

何で次から次へとももちゃんだけが、こんな目に遭わなくてはいけないんだ。

僕は持っていき場のないやり切れなさを感じながら、息を飲んだまま、じっとももちゃんを見つめていた。

ももちゃんは体を丸めて何度かお腹のあたりを舐めた後、静かな口調で話し始めた。

「ふと背中に風を感じて振り返ると、垣根の向こうからイチョウの木が、心配そうに私の方を見下ろしていたの」

その色づき始めたイチョウの葉っぱの間に、何かがぼんやりと見える。

目を凝らしてみると、そこにあの懐かしい人間のおばあちゃんの姿が浮かんできた。

―ああ、イチョウの木が私に教えてくれてる。

ここで何があったのかって。

息もつかずに見つめるももちゃんの目に映ったのは、苦痛に顔をゆがめて倒れているおばあちゃんの姿だった。「おばあちゃ

ん、どうしたの!」

ももちゃんは叫んだ。

イチョウの葉の間に見えるおばあちゃんに向かって、叫んだ。

おばあちゃんは、家で転んで足の骨を折ったんだ、とイチョウの木が囁くように言った。


その後おばあちゃんの小さな身体は、タンカに乗せられ、そのまま車に積み込まれた。白い車の屋根のくるくる回転する赤い

灯が、闇の中に消えていく。それを見つめる二匹の猫。

―お母さんとヨシだ。

しばらく闇が続いた後、場面は二人の人間がやって来ておばあちゃんの身の周りの物を段ボールに詰め込んでいる姿に変わった。

―おばあちゃんの息子たちだ。

その後玄関の雨戸を閉め、頑丈な鍵をかけ立ち去った。

生垣の陰に潜み、体を寄せ合う二匹の猫。

―ああ、お母さん……ヨシ……

「イチョウの木が最後に言ったの」

―可哀そうに……。ちょっと遅かったよ。

母さんたちは、ほんの二、三日前まで庭の隅っこで、じっとあんたの帰りを待っていたんだけど……。

おばあちゃんは、もうこの家には帰って来ない。

これ以上一人暮らしは無理だというんで、息子の家で暮らすらしい。

この家も、近々取り壊すようだと息子たちが話していた。

それで足の悪い弟のことも考えて、もっとエサ場の近い住み家を探さなくちゃあならないと、お母さんたちは、泣く泣くここ

を去って行ったんだ。

そう答えた後イチョウの木は、まだ緑の残った葉を一枚ハラハラとももちゃんの足元に静かに落とした。


いつの間にか辺りは賑やかになっていた。

忙しく行きかう車の音に、ランドセルの子供たちの声が重なっている。

「ふらふらと行く当てもなく歩いていたら、工事現場に差し掛かったの」

「そこで、れれに会ったんだね」

れれが強引にももちゃんをここに連れて来る姿が思い浮かぶ。

僕は、声のトーンを少し上げてももちゃんの顔をのぞき込んだ。ももちゃんはそれには答えず、ポツリとつぶやいた。

「私なんか、あのままあそこで死んでたら良かった」

「なんてこと言うんだ! ももちゃん。そんなことあるもんか!」

自分でもびっくりするくらい、大声で叫んでいた。

ももちゃんの強張った目が、僕の目をまっすぐに見た。

「お母さんも弟も、ずっと人間の家で暮らしてきたのよ。いきなり外に出て、どうやって生きていける? エサの取り方も知ら

ないで、いきなりノラ猫になんかなれるわけないじゃない!なんで、なんで私だけが助かってしまったの!」

悲鳴のような声と共に、ももちゃんは床に突っ伏し肩を震わせて泣き始めた。


僕は思わずももちゃんに詰め寄り、その小刻みに震える背中に、ぎこちなく額を寄せた。

ももちゃんの小さな背中から、悲しみが噴き出している。

「ももちゃん、大変だったんだね」

カラカラになった喉からやっと声が出た。

僕は、ももちゃんの背中を、ゆっくりと壊れ物でも扱うように舐めていた。

ふと、ももちゃんが僕のために泣いてくれた、あの日のことが心に浮かんだ。

人間の運転する車に轢かれ、破れ雑巾のように道路に横たわっていた僕を見て、ももちゃんは涙を流してくれていた。

―あれからいろいろあった。そして、これからもいろいろあるだろう。


窓の外はいつの間にか陽が沈みかけている。

今日という日が何事もなかったように過ぎていこうとしている。

「あのね、ももちゃん」と僕は恐る恐る切り出した。画像

僕思うんだけど、ももちゃんのお母さんも弟も、きっとどこかで元気に暮らしているはずだよ。この僕だって、車に轢かれた時は、もうダメだと思った。だけど今こうやって元気で暮らしている。ももちゃんだって」

ももちゃんは、うす緑色のうるんだ瞳を、ゆっくりとこちらに向けた。

「ももちゃんだって、悲しいことがいっぱいあったけど、こうやってまた新しい場所で暮らしていくことになったんだ。

だから、ももちゃんのお母さんたちも、必ずどこかで良いことと出会って、幸せに暮らしてるはずだよ。悪いことばかりじゃないよ。悪いことの後は、必ず良いことがやって来るよ」

画像

「そうね、そうだといいわね」


ももちゃんは、グルっとのどを鳴らした。

「そうだよ。そうに決まっているさ」

僕は、目の前のももちゃんがたまらなく愛おしく思えた。それは好きとか何とかという感情ではなく、もっと深いところの、ももちゃんを生かしている、命そのものへの思いだった。

僕は心の中でももちゃんに誓った。


―これからは、この家でもう二度と悲しいことのない毎日が送れるように僕、一生懸命ももちゃんのこと守っていくからね。

西の空に黄昏色が濃く広がっている。

明日も良い天気だろう。

ふと、ちいのことが気になった。

ちいは今、れれの部屋にいるはずだ。外のことを知らないちいに、こんな話を聞かせるつもりはないが、何とかしてちいの誤解を解いて、ももちゃんと仲良くやっていってもらいたい。

それが差しあたっての僕の役割だ。さて、どうしたものか。

突然何やら奇妙な気配を感じて、僕のヒゲが一斉に緊張した。

慌てて窓の外を見た僕は、その場で気を失うほど驚いた。

ーボスだ! 窓の外に、ボスがいる!

猫の気持ちがわかる物語

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