「星咲ぃぃぃぃいい!」
ふわりと倒れそうになる美少女が目に入り、俺は全力で疾駆する。
柔い彼女の肌が荒れた地面に激突する前に、俺は星咲の身体を抱きとめる。今は星咲の方が体格がいいとはいえ、俺には魔法力がある。
弱々しくうなだれる星咲を支えることぐらいはできるのだ。
「あぁ、きらちゃん……」
「……星咲」
星咲はいつものように、にちゃっと相好を崩す。
「もうすぐ時間みたいだよ」
「……何だよ、それ」
「ごめんね、実はボク、もうすぐ消えちゃうんだ」
知ってたさ。
そんな風に軽口で答えられなかった。なぜなら、一瞬だけ星咲が悲痛な顔をしたからだ。
自分が死ぬ、という事実を口にするのは誰だって辛いはず。特にこいつの場合、誰よりもアイドルの強さを信じて、序列八位になるまで突っ走って来たのだ。
『アイドルは死なない』と自分に言い聞かせ、鼓舞し、色々なものと戦ってきた。そんな星咲がアイドルの死を、自分の死を認めるというのは……どれほどの苦痛と恐怖と、絶望を抱いた事か。
そんな状況下でこいつは今、ギリギリまで消失することを俺に言えずにいた自分を責めている。
「…………」
暖かな手が俺の頬に触れる。星咲が伸ばした手だ。
不覚にもこぼれた俺の涙で、わずかに濡らしてしまう。
俺は、お前に教えられた通り、アイドルの……星咲の死なんてのは認めない。
認めたくない。
「読み解くは命約の第七説――――【いて座】」
俺は星咲の手を握り返し、ユダやファヴニール討滅で得た魔法力を【継承の魔史書】に込める。
「魔法少女――【賢者ケイローン】――現界」
ゆったりとしたトーガがふわりと俺を包む。身にまとった『幻想論者の変革礼装』から、数々の半神英雄、ヘラクレスやカストール、アキレウスたちを鍛えあげた師の力が全身に巡るのを感じる。医薬術の神アスクレピオスの師匠でもある、不死身の賢者ケイローンの神力だ。
「絶界の楽園――――【万能約】」
俺は星咲を見つめ、魔法力を周囲に拡散させ続ける。
絶対の癒しを約束する世界を、空間を、この手で創り出してみせる。
こいつは、こいつだけは絶対に死なせない。
消させない。
俺の思いが広がり、校舎内で潰れた生徒達、校庭の争いに巻き込まれた人間が次々と癒えていくのがわかる。生が芽吹き、死が消える。
「我の失明も癒したと、天晴れだ。超新星の登場よな」
そんな様子を見ていたのか、序列六位がいつの間にか俺達のすぐ傍に来ていた。
驚嘆の眼差しで俺を見つめてくる序列六位の隣には、切継もいる。
「明智、光奈ちゃん……」
星咲が序列六位の存在に気付き、かすれた声で名を呼ぶ。
「まさか死人の身で、再び貴様と戦場であいまみえようとはな……二度目の手向けの言葉ではあるが――」
序列六位、明智光奈は星咲に刀の切っ先を向け、そして天へと振り抜いて鞘へと収める。
「御苦労。大義であった……」
今回は、その言葉の後に続く台詞はなかった。
以前、明智は星咲が倒れているのを目にして、『せいぜい後の世を謳歌するのだな』と言っていたのだ。今思えば、【最後のひととき】を示す言葉であり、あの時から序列六位は星咲の消失を把握していたと……。
だが、俺が、俺の力が星咲を癒す。
そのはずだ。
「最後に一つ尋ねておきたい。誠にこやつは候補生なのか? 先程の力……とても候補生のそれではないぞ」
明智は俺を目で示し、星咲に問い掛ける。
「うん……明智ちゃん、この子はボクの……」
たどたどしく言葉を絞り出す星咲に、俺は焦りを覚える。
賢者ケイローンの力があれば、どんな病気も怪我も治せるはずなのにッ。
なのに、なのにッッ! おかしなことに星咲の身体が薄まっていくではないか!
「きら、ちゃんは……ボクの弟子、なんだ。だから、おね、がいね? 切継さん、も」
「貴様の願いを聞き遂げるなど、はなはだ不快だ。だが……我が両眼の光を戻した恩義には報いねばならない」
「任せてちょうだい。きらちゃんにアイドル活動のノウハウを教えるわ」
おい、なにがお願いだ?
まるで後の事は……俺の面倒は、明智や切継に任せた風じゃないか!
お前は、俺の……俺のッッ!
「星咲、おまえ、何言ってんの?」
「あぁ、きら、ちゃん……【地下女神】たちには気をつけ、て……」
一向に彼女の具合がよくなる気配が見えないのに……ここにきて訳が分からない事を口走る星咲に、俺は混乱しそうになる。地下女神って何だ?
「【地下アイドル】の奴ら、協定通りに予言はしているが……【人類崩壊変異体】出現の【場所】はともかく、【格】や【数】を外す事が多くなりすぎておる」
序列六位が納得しきった顔で頷いているが、今は俺にとってそんな事はどうでもいい。
「お、おい、その話は後で詳しく聞くから! ちょっと、ちょっと待ってくれ!」
星咲の顔が、身体が、手足が、星屑みたいにキラキラし始めたのだ。しかも足の先からほろほろと崩れて、粒子となって消失してくじゃないか……!
「【万能約】! 【万能約】! くそッッ! どうして!?」
あぁ、ダメだ。
止まらない。
どうして、あぁ、どうしてなんだ。
いかないでくれ。
「すずき、くん……」
この場の誰にも聞こえないほどのか細い声で、俺の名を呼ぶ星咲。
「頼む、消えないでくれ……」
だって、お前は俺のッ!
「アイ、ドルは、死なない……知ってる、でしょ……?」
そう囁き、星咲がぐっと不意に顔を近づけ――
俺の頬に柔らかな温かみが灯る。
それが淡く、儚い口づけだと気付き、ハッとして星咲から顔を遠ざける。すると彼女は頬を真っ赤に染めて、くちゃっとした笑みを浮かべていた。
だが、そんな可愛らしい星咲の笑顔も長くは見ていられない。なぜなら俺の瞳には涙がにじみ、彼女の輪郭だけしかわからなくなっていた。
出るな、こぼれるな、そう何度命令しても、とめどなく溢れだす塩水が星咲を遠のかせる。
「ずっと、残して――ボクを、君の心に――」
俺は星咲の願いに応えるべく、首を何度も何度も縦に振る。
おまえは死なない。ずっと、ずっと俺の心の中に在り続ける。
「君が、好き――――だい、すき――」
星咲がくれた頬の温かみが消えていく。
腕に抱えていたはずの重みが、軽くなっていく。
「ボクに、恋を――させて、くれて――――ありが、とう」
星咲の声が薄く、透明にかすんでいく。
「俺の……方こそ……」
もう星咲の顔の輪郭は崩れ、星粒のような輝きのみになってしまった。
「どう、かな――ボクは、君の、【一番星】に――なれた、かな?」
最後の問いに、俺は深く深く頷く。
「はい、師匠……」
お前は……星咲は、俺の師匠だから。
暗い夜が来ても、真っ先に空に輝く一番星。
俺を導く光だから――
だからいくなよ。最後まで、最後まで俺の面倒を見てくれよ。
明智や切継に、後の事を頼むだなんてやめてくれ!
俺がお前に並ぶ超人気アイドルになって! 一緒に肩を並べてライヴできるのを待っててくれよ!
俺がお前を超えてみせて、お前は悔しがったりしてさ。そんな星咲の顔とかも見たいんだ!
「あっ、やっと――――、ボクを――――」
師匠って言ってくれた!
そんな喜びに満ちた星咲の声を、聞く事は叶わなかった。