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山賊の宿
「そこを右に曲がって行けば、我が家まで一本道じゃ」
志麻の背に揺られながら老婆が指差した。
そこは本道から離れ、ほとんど獣道に近い細道である。
「こんな所にお婆ちゃんの家があるの?」お紺が驚いて訊ねた。
「私んとこは炭焼きで生計を立てているんだよ、山奥に入らなくちゃ材料の木が手に入らないのさ。今日だって、町に炭を売りに行って必要な米や野菜を買い込んだら思いのほか重くなっちまって、河原の石につまずいて転んじまったのさ」
「なるほど、そう言う訳ね」お紺が納得したように頷いた。
そこから更に坂道を一丁ばかり登った所に開けた土地が見えた。貧しい藁葺きの屋根から煙が立ち昇っている。
「そら、ついたよ、戸口の所まで行っておくれ」
老婆の指示に従って、志麻は戸口の前に立った。
「平作、今帰ったよ、戸を開けておくれ!」
老婆が大声で呼ばわった。
中から人の気配がして声がした。「おっ母遅かったな・・・」
ガラリと扉が開いた。
生成りの瓢箪のような顔をした男が、ポカンと口を開けたままこっちを見ている。
「河原で転んで難儀していたところを助けてもらったんだ、あんたからも礼を言っておくれ」
老婆が息子らしき男に言う。
「あ、ああ・・・おっ母が世話になったそうで、ありがとうごぜえました。さあ、中に入っておくんなせえ」
男が端に寄って志麻達を中に招じ入れた。
志麻は土間に入って上がり框かまちに老婆を座らせるとホッと息を吐いた。
「お婆ちゃん、大丈夫・・・立てる?」
「ああ、立てるさ・・・」
老婆は板の間に手をついて、ゆっくりと立ち上がって腰を伸ばした。
「お陰様で何とか歩けそうだ。さ、遠慮しないで上がっとくれ」
「じゃあ、遠慮なく」
お紺が老婆の荷物を土間の隅に置いてさっさと上がると、囲炉裏の前に腰を下ろした。
「ああ、疲れた。江戸じゃ三味線より重いものは持ったことがないからねぇ」
志麻もお紺の横に並んで座った。
「あんた江戸の粋筋の姐さんか、どおりで垢抜けてると思ったよ」
囲炉裏の対面に腰を下ろしながら平作と呼ばれた息子が言った。
「そっちの若衆姿のお姉さんは?」
「志麻ちゃんは女の剣術使いさ、そんじょそこらの男じゃ敵わないよ」
「そうかい、それで私をおぶってここまで来れたんだね」
老婆が囲炉裏に薪を足しながら言った。
「腰は痛くないのお婆ちゃん?」
「なぁに、なんて事は無いさ。それより平作、二人に何か食べるものを作っておやり、きっとお腹が減っている筈だから」
「分かった、おっ母」
平作が土間に降りて老婆の荷物から根深を取り出した。
「これと今朝潰した鶏で味噌煮込みでも作ってやらぁ」
平作は勇んで包丁を握ると、葱を切り始めた。
「お婆ちゃんさぁ、平作さんって炭焼きにしては色が白くて生っ白ちろくない?」
台所で調理をしている平作を見遣って、お紺が小声で訊いた。
「そ、そうかい?近頃は別の商いに精を出しているもんだからねぇ・・・」
老婆が語尾を濁す。
「別の商い?」
「商あきないってさぁ、あっちの物をこっちにやってその手間賃で儲けるもんだろ?炭よりよっぽど儲かるものがあるんだよ」
「なにそれ!私にも教えて、そんなに儲かるんならあっちも商売替えしようかな?」
「あ〜ダメダメ、あんたはどっちかっつうと・・・」
「おっ母!」
包丁で鶏肉をぶった切りながら平作が叫んだ。
「全くそのおしゃべりな癖を早く直せよ!他に知れちゃ俺っちの儲けが減らぁ!」
「ああ、ごめんよ、今日はあんまり嬉しくてね、つい口が滑っちまった」
「なんか悪い事を聞いちまったみたいだねぇ?」
「いやいや、背負って貰って本当に助かったよ。この事を世間様では『カモがネギ背負って来る』って言うんだろうね?」
「お婆ちゃん、それ言葉の使い方間違ってるよ。そんな時は『背負うた子に教えられて瀬を渡る』ってんだ」
「お紺さん、それも間違ってる・・・」志麻が呟いた。
「そうかい?いいんだよ意味さえ通じりゃ」
意味も通じないんだけどなぁ・・・と思ったが志麻は口を閉じた。
「さあ出来たぞ、腹一杯食いねぇ」
平作が鉄鍋を運んで囲炉裏の自在鉤に掛けた。老婆が二人の腕に鍋の中身を取り分ける。
「うわぁ、美味しそう!」お紺が歓声を上げた。
「いただきま〜す!」志麻も箸を持って腕を口に付け汁を一口啜る。
「おいし〜い!」思わず口をついて出た。
「だろ、松茸の季節は取り立てを四つに裂いて入れるともっとうめぇんだぞ!」
「その時期にまた来たいな」
「そうだな、来れるといいな・・・」
何となく、平作の言葉の歯切れが悪いと感じたが鍋の美味しさに夢中になっているうちにどうでも良くなった。
「ああ、美味しかった!」お紺が腕を置いて腹を叩いた。
「お粗末さまだったねぇ」
「何言ってるのお婆ちゃん、こんな美味しい鍋、江戸でもそうそう食べれるもんじゃないわよ」
「そうかい、そりゃ良かった」
「お腹が一杯になったら眠くなっちゃった」
「今日は疲れたろう、あっちの部屋に布団が敷いてあるからゆっくり休みな」
「そうさせてもらうわ、志麻ちゃん行きましょう」
「うん、じゃあお婆ちゃん平作さん、本当に美味しかった!」
「ああ、良かったよ、これで少しは気が楽になる・・・」
「え?」
「いや、何でもねぇ、おやすみ」
「おやすみなさい」
志麻とお紺が奥の部屋に引き取った後、老婆と平作は互いに顔を見合わせて北叟笑ほくそえんだ。老婆が目で何やら合図をすると平作は頷いて、そっと裏口から出て行った。
*******
「本当に上玉なんだろうな?」
顔中髭だらけで総髪の男が平作を見据えて言った。
「間違いねぇよ、一人は少し年増だが玄人受けのする別嬪で、もう一人はこれから光る上玉だ。剣術が使えるらしいんで用心してくれ」平作が答える。
「なぁに、いくら剣術が出来ようと所詮は女だ大した事はねぇ。しかし刀持ってやがるのならそれなりの備えはしておこう」
髭の男は五人の手下に向かって下知を下した。
「山刀を持て、今からその女達を掻っ攫いに行く!」
「へへへ、お頭、味見の方は・・・」手下の一人が訊いた。
「ふん、とんだオカチメンコだったら好きにしろ。しかし上物なら手荒な真似するんじゃねぇ、売り物に傷をつけちゃ商売上がったりだからな」
「へい、わかりやした・・・」
「俺が保証します、二人とも上物だ」平作が受け負った。
男達は女旅を狙った拐かどわかしを生業とする山賊達だ。さらった女達を繁華な宿場や場合によっては江戸の吉原や京の島原にまで売りに行く。老婆と平作は目星をつけた女達を上手く家に引き込み、山賊達に知らせて分前を貰っていたのだ。
六人の山賊と平作は、夜道を辿って老婆の待つ家まで歩き始めた。
松明の明かりを頼りに山道を行く。山を栖すみかにする山賊達にとっては造作もないことだ。程なく遠くの方に藁葺き屋根が見えて来た。
「おい、婆さんに知らせてこい!」
髭の頭が平作に命じた。平作は足音を忍ばせて家に近付き、そっと裏口から中に消えた。
中では婆さんが待っていて、目を細めて平作を見た。
「ぐっすり眠ってるよ・・・」
「分かった、おっ母ももう外に出ていいぜ」
「よし、すぐ出るとしよう」
平作が入って来たばかりの裏戸を潜って出て行くと、その後を老婆が追った。
「後はお頭に任せて高みの見物と洒落込もうぜ」
「あの娘達には悪いがね・・・」
「今更仏心を起こしてどうするんだ、俺たちゃこれで稼ぐしか生きていく術はないんだぜ」
「分かってるよ、そんなこたぁ・・・」
老婆は藁葺きの家を振り返って両手を合わせた。
「恨むんなら自分達の運の無さを恨みな・・・」
老婆と平作は、星あかりを頼りに雑木林に入り込み、太いクヌギの木の陰に身を隠した。
暗い闇の中に、老婆の家だけが灰色に浮かび上がっている。
山賊達は身を屈めて家に近づくと、正面と裏口の二手に分かれた。
「気付かれてねぇようだな?」頭が手下に言った。
「このワクワク感がたまんねぇ、恐怖に引き攣る女の顔は色情を煽るからな」
「上玉だったら手を出すなよ」
「へっ、分かってまさぁ」
「よし、踏み込むぞ合図を出せ!」
ヒュー!と手下の一人が指笛を吹く。同時に表裏の戸が蹴破られた。
「奥の部屋だ、踏み込め!」
バタバタと草鞋のままで土間から囲炉裏の部屋へと入って来た。
その少し前、志麻は家の外の異様な気配を感じていた。
布団の中から鬼神丸に手を伸ばし、お紺に声を掛ける。
「お紺さん、起きて。何だか外の様子がおかしい」
「う〜ん、何よぉいい気持ちで寝てたのにぃ・・・外の様子がおかしいってあんた見えるの、気のせいじゃない?」
「ううん、絶対に人がいる。私を信じて」
「お婆ちゃんや平作さんは?」
「家の中には誰もいないわ」
「ええっ!」
「お紺さん、今すぐ押し入れの中に隠れて!」
その瞬間戸が蹴破られる音が屋内に響いた。
大勢の足音がして、障子がガラリと開いた。
志麻は鬼神丸を抜いて腰を落とした。
最初に入って来ようとした男が驚いて立ち止まる。
「頭、どうやら気づかれていたようだ」
囲炉裏の部屋に数人の男達がいる。その中から声がした。
「松明を持ってこい、顔を確かめる!」
松明に照らされて室内が明るくなった。
「こいつぁ上玉だ・・・ん、一人居ねぇぞ?」
「布団は二つ敷いてある、どっかに逃げたんだ」
「ふん、この家から出た者はいねぇ、大方押し入れにでも隠れているんだろうよ」
「あんた達、誰?私達に何の用!」
剣を構えたまま志麻が誰何した。
「ふ〜ん、気の強ぇ女だ、まずそいつを大人しくさせろ」
「へい・・・」さっきの男が山刀を抜いて部屋に入って来た。「おい、手荒な真似はしねぇからそんなもの振り回すんじゃねぇよ」
志麻を女と侮って舌舐めずりをして迫って来る。
「待て!そこから一歩でも近づいたら、後悔するわよ!」
「まったく、じゃじゃ馬ならしは俺の得意なんだよ」
志麻の剣を叩き落とそうと男が山刀を振り下ろす。その刹那、男が絶叫を上げて床に転がった。
「どうした仁助!」
仁助と呼ばれた男は右腕を押さえて転げ回っている。
「う、腕が!俺の腕が!」
見ると山刀を握った肘から先が布団の上に落ちている。
「こ、こいつ!」髭の頭が叫んだ。「障子を外せ、三方から囲んで捕まえるんだ!」
手下が三方から志麻を囲むと、志麻は押し入れを背にして立った。
「今度は腕だけじゃ済まないわよ!」
手下達は志麻の腕の冴えを見て腰が引けている。商品に傷をつけるなと言われている事が気になっているようだ。
「かまわねぇ、そいつを捕まえるのは諦めろ、叩き斬ってしまえ!」
「へい!」
斬っていいと言われて手下達が勢い付いた。三方から一斉に山刀を突き出してくる。
右へ飛んだ志麻は、突きを躱して擦れ違いざま頸動脈を斬った。
松籟しょうらいのような音を発して男の首から血が噴き上がる。
間髪を入れず斬った男の脇を抜け、正面の敵に打ち掛かる。驚いて後退った敵を真っ向から斬り下げた。
一瞬で二人を倒した志麻に左の敵は腰を抜かして尻餅をついた。
志麻後ろ・・・
鬼神丸が勝手に後方を下から掬い上げると、志麻の躰は引き摺られるように回転した。
そこには股下から顎にかけて斬り割られた男の仰け反った姿があった。
『鬼神丸助かったわ』胸の中で鬼神丸に礼を言う。
左の敵は完全に戦意を喪失していた。
「残るは貴方だけね」志麻は髭面の男に言った。
「手前ぇ、よくも手下達を!」
「それは言い掛かりでしょう、貴方達がこんな事をしなければ誰も傷付かずに済んだ!」
「ふん、知ったふうな口を聞くんじゃねぇ!俺たちゃこんな事でもしなけりゃ生きていけねぇんだ!」
「あなたに何を言っても無駄みたいね」
「だったらどうする!」
「死になさい!」
志麻は身を屈めると前に出た。髭面の男が咆哮と共に山刀を振り上げた途端・・・鬼神丸が男の躰を突き貫いていた。
「後始末は貴方と平作とお婆ちゃんでやりなさい」
志麻は戦意を失った男に言った。男はただ黙って頷くだけだった。
「お紺さん、もう出て来ていいわよ」
押入れに向かって言うと、襖が開いた。お紺が恐々顔を出す。
「本当に怖かった・・・」
「ごめんね、怖い思いをさせて」
「ううん、怖かったのは志麻ちゃんの方・・・」
「え?」
「『死になさい!』だって。あの迫力には鬼神も避けて通るわ」
「ええ!だって鬼神丸が助けてくれたのよ」
「あらそうなの?じゃあ今のは取り消しね」
訳のわからない事を言いながら、お紺が押し入れから出てきた。
「さあ、急いでここを出ましょう」
志麻とお紺は荷物を持つと家の外に出た。山の稜線が橙色に光っている、夜明けが近い。
「お婆ちゃんと平作さんどこへ行ったのかしら?」お紺が辺りを見回した。
志麻はゆっくりと首を回して雑木林で目を止める。
「お婆ちゃん、平作さん、もしいたら聞いて!」志麻はできる限りの大声を出した。
「もうこんな事はやめて、真っ当な仕事をして生きて行ってね!鶏とネギの味噌煮込み本当に美味しかった!」
志麻はそこでホッと息を吐いた。
「お婆ちゃんに聞こえたかしら?」お紺が訊いた。
「分からない、でも、もうこんな事して欲しくない・・・」
「そうだね、きっとお婆ちゃんにも志麻ちゃんの声は届いたわね」
「うん・・・」
志麻とお紺は藁葺き屋根を後にして、山道を本道に向けて歩き出した。