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子供の頃に絵本で見た王子様。
運命の人というのは、きっと、この絵本の中の王子様のように、強くて優しいヒトなのだろう。
彼は、そう思っていた。
それゆえに彼は、そんな、――絵本で見た王子様のような人との運命の出逢いに憧れていた。
そんな彼がお気に入りだった絵本に登場した王子様は、オオカミ族の王子様だった。
そのため、彼はオオカミ族の男に恋をする事が多かった。
だが、どれだけ恋を重ねても、運命のオオカミと出逢う事は出来なかった。
しかし、それでも彼は、運命の人との出逢いに夢を抱き続けた。
“たとえどんな経験をしようとも”――、運命の人を探し続けた。
そして、その果て――、彼はついに、人生で最も最悪な運命の出遭いを経験する事となった。
そうして彼は、その残酷な運命の仕打ちに夢を打ち砕かれ、運命の人との出逢い――などというくだらない憧れを捨てたのであった。
そんな彼はその後、家族にはそれまでと変わらぬ様子を演じ、真実を偽りながら、実際には自暴自棄な日々を送るようになった。
だが、いくら運命に弄ばれようとも、優しく愛情に溢れた温かな心と、己を求められたいという欲求だけは、捨てる事が出来なかった。
そして、それが出来なかったからこそ――、彼はその先も、残酷な運命に弄ばれ続ける事になったのである――。
― Drop.002『 WHEEL of FORTUNE:U〈Ⅰ〉』―
「――おい! そこで何をしてる!」
その日――。
普段は物静かなその場に、突如、鉄製の扉を強く殴打した事による大きな衝撃音が響き渡ると、次いで、低く威圧的な大声が続いた。
法雨は、その音と声に少しばかり驚きながら、今しがた、外から強く殴打されたらしい倉庫の鉄扉を見やる。
その倉庫は、法雨が経営するバーの専用倉庫だった。
そんな専用倉庫は他にもいくつかあるのだが、法雨の居るその倉庫は、普段、店の従業員ですらほとんど入る事のない倉庫であった。
それゆえ、その日の店仕舞いも済んで久しい、このような明け方には、法雨ですらほとんど立ち寄る事のない場所だ。
さらに云えば、この倉庫の入口が裏路地に面している事から、一般人が間違えて辿り着くような場所でもなかった。
静かにさえしてさえいれば、何をしていようが誰にも見つかりはしない――、と、云えるほどに――。
だからこそ、法雨は、あえて“彼ら”にこの場所を使わせていたのだ。
「なっ……! おい! ふざけんなっ!! ――外、誰か見張ってなかったのかよ!!」
とは云え――、例えそんな“絶好の場所”であったとしても、見張りはつけるべきだ。
秘め事をしているのなら、尚の事――。
「――しっ、知らねぇよっ!! ここなら誰も来ないんじゃなかったのかよっ!!」
慣れ――と云うものは、秘め事や悪事の際には、非常に恐ろしい存在だ。
それにやられれば、油断を誘われた挙句、秘めたい悪事には制裁が下される状況を与えられかねない。
例えば、この倉庫内に集っていた青年たちのように――。
そんな青年らのほとんどは――、恐らく彼らよりも身も心も強いのであろう何者かの声にすっかり萎縮し、その毛羽立った耳と尾を情けなく下げながら、未だ震えた声で怒鳴り合いを続けている。
彼らは全員、オオカミ族の亜人であった。
(――アタシのオオカミ経験の中でも、最も情けないオオカミたちね……)
法雨は、その情けないオオカミたちの様子にひとつ思い、溜め息をつくと、次いで、この事態をどうしたものかと考え始めた。
すると、その落ち着き払った法雨の様子に気付いてか、彼らのリーダーであり、唯一灰色の毛並みをした青年が、法雨に問い詰めるように言った。
「――おい。アンタ、まさか……」
どうやら彼は、自分たちが知らない内に法雨が助けを呼んでいたと思ったらしい。
法雨は、それにも変わらぬ様子でまた溜め息をつき、乱されたままの身体を放るようにして気怠げに言う。
「そんなわけないでしょ。――誰がそんな面倒くさいコトするもんですか……」
もちろん、嘘ではない。
法雨は本当に助けなど呼んでいないし、彼らとの密会付き合いについても、口外をした覚えは一切ない。
「――手荒くされたくなければ、大人しくここを開けろ!」
だからこうして、鉄扉の向こうで彼らを怒鳴りつける男が何者かなど、法雨も知りはしないのだ。
「本当だろうな……。――嘘だったらタダじゃおかねぇぞ……」
鉄扉の向こうに意識を向けつつも、法雨を鋭く睨みつける灰色の彼は、威圧的に言った。
しかし法雨は、そんな威圧も涼しい顔で受け止める。
「どうぞお好きに。――っていうか、アタシを睨みつけてるヒマがあったら、この場をどうするか考えた方がいいんじゃない? ――このままだとアンタたち、本当にどうなるか分かんないわよ? ――そうねぇ。扉から出るのが怖いなら、そこの窓からでも出て行ったらどうかしら」
そして、そんな法雨が窓を示しながら提案し終えると、再び鉄扉がけたたましい音を立てた。
威嚇のためか、外の男が再び鉄扉を強く殴打したらしい。
すると、これまでで最も激しいその音に、流石に怯んだらしい彼は悪態をつくと、苛立たしげに法雨の示した窓を見た。
「――クソッ! ――おい! 行くぞ! 窓だ! 窓から出ろ! ――もたもたすんな!!」
そして、法雨の提案に応じる事にしたらしい彼は、鉄扉とは反対側の窓を示し、仲間たちに脱出を促した。
その瞬間――。
倉庫の鉄扉が激しい轟音を立て、蹴破られた。
「うわぁっ!!」
まさか、これほど分厚い鉄扉がいとも簡単に蹴破られるとは思わず、その事態に何人かのオオカミたちは腰を抜かし、情けない声をあげた。
「――クソッ!! なんだってんだ畜生ッ!! ――おい早くしろ!! ボケっとしてんじゃねぇッ!!」
意外と仲間想いなのか、腰を抜かした者をも見捨てる気はないらしい灰色の彼は、怒鳴りつけながらも手早く仲間を引き起こし、全員を窓の外へ押しやると、悪態をつきながら自身も続いた。
「――待てっ!!」
そんな若いオオカミたちを迫力ある声で再び威圧した男は、倉庫内に入ってくるなり、次いで開け放たれた窓に向かった。
そんな男の腕を、法雨は咄嗟に制するように引く。
「――待って! ――いいの。行かせてあげて……」
男は、それに困惑した様子で振り返ると、静かに問う。
「なぜ、止めるんです……」
法雨は、繰り返し制するように言う。
「いいの。――気にしないで」
「――ですが」
「気にしないでいいの。――アタシは大丈夫だから。――ホラ。どこもケガしてないでしょ」
「――………………」
男の言葉を強く遮るようにそう言った法雨が、すっと両手を広げるようにすると、それを一瞥した男は、今一度オオカミたちが逃げて行った窓を見やり、しばし考えた後、諦めた様子で溜め息まじりに言った。
「……なぜ、彼らを庇うんです」
男は、そう言いながら、床に放られていた法雨の衣服を丁寧に拾い上げると、軽く埃を払うようにしてから法雨に手渡し、続けた。
「貴方は、自ら望んでこんな事をしていたわけではないでしょう」
手渡された衣服を受け取りながら、法雨はそれにきっぱりと言う。
「いいえ。自ら望んでの事よ。――たまにはこういう事も刺激的でいいかなって思ったから、暇つぶしに遊んであげてただけよ」
「――嘘はいけません」
男は、また溜め息交じりに言った。
そんな男に、法雨はしばしむっとした様子で言い返す。
「――嘘じゃないわ。――どうしてそう思うの?」
「顔を見れば分かります」
男は、真っ直ぐに法雨を見て言った。
「――人が咄嗟に何かを取り繕う時、目や表情は、如実に真実を語るものです」
「――………………」
法雨は、男の視線に耐えきれず、逃げるようにして視線を逸らす。
そして、そのまま観念した様子で言った。
「――まぁ……、望んでは、いなかったわね……」
それが、法雨の本心であった。
法雨はその日、――否、――その日もまた、彼らにその身を分け与えていた。
彼らの欲求を満たしてやるために――。
ただ、望んではいなかったとは云え、苦痛であったかと云えば、そういうわけでもなかった。
法雨は、どちらかと云えば、性的な交わりは好きな方だ。
それゆえ、その日の行いも、彼らに無理やりさせられていた、という感覚はなかった。
だが、法雨が自ら望んで始めた交わりというわけではない、というのもまた、事実であった。
つまりは、――望まぬ行為だったが、特に抵抗しなかっただけ、なのだ。
「……我慢をして、そのように強く振舞っていらっしゃるわけでない事は分かりました。――ですが、それでも貴方は被害者に変わりありません。――ですから、せめて被害届だけでも出すべきです。――それに、このような事をされたのは、今回が初めてではないのではありませんか?」
「――それは……」
恐らく、法雨と彼らの真実にすでに辿り着いているのであろう男の言葉に、法雨は戸惑う。
法雨の反応を静かに認めると、男はさらに紡ぐ。
「――そうであるならば、やはり、これ以上このような事を続けさせてはいけません。――もし、警察への届け出をしない理由が、彼らからの報復を恐れてという事であれば――」
「違うわ」
一度は黙した法雨であったが、そこで再び男の言葉を遮ると、法雨は続けた。
「――報復されるとか、そういう理由で届出をしないわけじゃない……」
その法雨の言葉に黙すと、硬い表情の男は、ゆっくりと法雨を見た。
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