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混濁する意識の中、|菖蒲原《あやめばら》はなけなしの力を振り絞り、上半身を後ろへひねり振り向いた。開いた入口の先、そこにいたのは――。|
「じゃじゃーん。哀れな|菖蒲原《イモマリモ》の救世主さんじょー」
気怠げな声とともに現れたのは、金髪のショートヘアを揺らし、挑発的な笑みを浮かべる女。
|梯宮《うてなみや》 |忍不《しのぶ》だった。
彼女は挑発するような眼差しで、舐めるようにこちらを見つめている。そして、ゆっくりと唇の端を吊り上げた。
先ほどまで身にまとっていた純白のドレスは、いつの間にか脱ぎ捨てられており、その身を包んでいるのは、大胆にも透け感のある漆黒の下着上下のみ。
白から黒へ。
清楚から|濃艶《のうえん》へ。
まるで仮初めの皮を脱ぎ捨てたかのように、彼女の印象は一変していた。女性としての艶をあらわにしたその輪郭は、危ういほど妖艶で、見る者の理性をじわじわと侵食していく。
それはもはや、美という名の毒。
甘く艶やかで、蠱惑的。
一度触れたが最後、二度と元には戻れないと本能が警鐘を鳴らすような――魔性の魅力だった。
「……テ、テメェ……!今更のこのこ何しに来やがったッ!!」
「んー?そんな口聞いていいのかなー?」
梯宮は、愉しげに目を細める。
「アンタの運命を決める権利は、今この瞬間――私にあるんだけど」
そう囁きながら、彼女はゆっくりとはだけた豊満な胸元へ指を差し入れると、谷間からするりと小さな“ピース”を取り出す。
それは、菖蒲原が今もっとも欲しているもの。
奪われた、最後の一欠片だった。
「ほーら」
梯宮はそれを自らの手の甲に乗せると、親指から人差し指へ。
人差し指から中指、薬指、小指へと。
まるでマジシャンが見せるコインロールのように、慣れた手つきで指と指の間を転がしていく。
菖蒲原の視線は、否応なくその行為に釘づけとなった。
今すぐにでも奪い取りたい。
だが、この拘束がある限り、彼にできるのは黙って見ている事ただそれだけ。
「見える?」
梯宮は、ピースを弄びながらにたりと唇を歪める。
「これが今のアンタの姿」
「くっ……!!」
……反論が出てこない。
何度も喉の奥から強がりを吐き出そうとした。
罵声でもいい。悪態でもいい。ハッタリでもいい。
何でもいいから言い返してやりたかった。
だが、彼の口から言葉が出ることはなかった。
自らの命は、今まさに彼女の指先で弄ばれ、転がされている。
生きるか、死ぬか。
その境界線さえ、彼女の気まぐれひとつで決まってしまう。
まるで――お前は私の掌の上で踊ることしかできないのだと、見せつけられているようだった。
「くっ…腐ってやがる…!何が目的だ……」
梯宮は答えない。ただカツカツ、とヒールの音を響かせながら、ゆっくりと菖蒲原との距離を縮めていく。
「お、おい……」
あっという間に、彼女は菖蒲原の背後から、肩越しに両腕を掴み上げると、脱ぎ捨てたドレスから抜き取ったと思われる細い紐を使い、慣れた手つきで両腕を背後へ縛り上げていった。
「な、何すんだっ……!!」
「いいから、いいから」
楽しげな声とは裏腹に、その手際は妙に素早い。
「はい。これで、もっとよく見える」
くすりと笑う気配が、すぐ耳元を撫でた。
「あら?よく見たら、意外と可愛い顔してるじゃない。アナタのその|表情《かお》……もっと近くで、よく見せて?」
そう言って彼女は、菖蒲原の正面へ回り込むと、逃げ場を失った彼の瞳を覗き込むように顔を近づける。
その距離僅か二、三センチ。
そのまま梯宮は、大胆にも菖蒲原の膝の上へ跨がると、両手を彼の肩へとかけた。
灼熱の密室。
肌を焼く熱気。
完全な密閉空間で、二人の男女による荒く乱れた呼吸だけが反響する。
「ほあ、ほっへみなよ」
#ご本人様には関係ありません
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そう言って、彼女はゆっくりと口を開いた。
艶めかしい舌の上には、菖蒲原が喉から手が出るほど欲していた最後の一欠片。命を繋ぐための、たったひとつのピースがそこにあった。彼女の舌の上で、まるで餌のように弄ばれている。
「な、何のつもりだ……」
怒りか、屈辱か、それとも別の感情か。
「ほあ――はあくう」
今にも鼻先が触れそうなほどの至近距離。
吐息がかかる。汗ばんだ肌と肌が、嫌でも意識に焼きつく。
目の前にある。
すぐそこにある。
あとほんの少し顔を近づければ、届いてしまう。
「ほあ、欲しいんれしょ?」
ゴクリ……。
菖蒲原の喉が、無意識に鳴る。
両手は背後で拘束され、足も椅子に縫い止められている。
けれどこの距離なら。
手を伸ばすことは出来ずとも、唇であれば届く距離。
梯宮の刺激的な|香り《パフューム》が、否応なしに鼻腔をくすぐる。甘く、濃く、熱に溶けたような魔性の香り。
憎い。目の前の女が、俺は心底憎い。
自分を貶め、弄び、今この瞬間も嘲笑っているこの女を、今すぐ噛み殺してやりたいほど憎い。
それなのに。
彼の身体は、別の答えを出そうとしていた。
灼熱に焼かれた脳が、理性を鈍らせる。
細胞の一つ一つが、本能の底から細胞レベルで訴えかけてくる。
ああ、もうどうだっていい。
どうなったっていいから――今は目の前にいるこの|梯宮《メス》を、メチャクチャに犯してやりたい。
その時、菖蒲原の頭の中で何かがぷつりと弾けた。
覚悟を決めたのか、あるいは全てを諦めたのか。
彼はゆっくりと目を閉じ、震える唇を前へと差し出す。
その瞬間――。
「ーーご、がっ…!?」
「盛ってんじゃねーよ”イモマリモ”」
耳元で囁くその声は、先ほどまでの甘ったるいものではなかった。
妖艶さも戯れももはやそこにはない。
あるのは氷のように冷えきった底知れぬ冷酷さだけ。
「オマエ如きが、この私の唇を奪えるとでも思ったの?」
「かっ…!こっ……ぎぎっ……!」
気がつけば、彼の首筋には梯宮の両手が食い込んでいた。
細く白い指。その先に伸びた長い爪が、皮膚を容赦なく裂く。
じわりと滲んだ血が、首筋をゆっくりと伝っていった。
「っ、ぐ……ぁ……!」
容赦のない力が、喉元を締め潰していく。
息ができない。声も出ない。
視界の端が、じわじわと黒く染まっていく。
「いい?アンタが生きるのも、死ぬのも、決めるのは全部この私」
梯宮は、さらに指へ力を込める。
「私の見てない所で、勝手に野垂れ死ぬなんて許さない。狙った獲物はこの手で直接殺す。それが梯宮一族の流儀なの♡キャハハハッ!!」
ギリ、ギリ、と。
首にかかる圧が、徐々に強くなっていく。
菖蒲原は必死にもがいた。
だが、両腕は背後で縛られ、両脚も椅子に固定されている。
逃げることも、振り払うこともできない。
体を預けるように覆いかぶさる梯宮の重みが、彼の逃げ場を完全に奪っていた。
「がぽっ…… がぼぼ……!かぅッ……! がぁ゛」
潰れた喉から、言葉にならない音だけが漏れる。
視界が、暗く狭まっていく。
焦点は定まらず、目の前の輪郭すらぐにゃりと崩れていく。
もはや、目の前にいる女の表情すら殆ど認識できない。
――それでも|理解《わか》る。
分かってしまう。
目の前のソレが、今どんな顔をしているのか。
愉悦に歪み満たされた、下卑た嗤い。
理屈ではなく、本能が理解してしまう。
この女は――今この瞬間を、心の底から愉しんでいるのだと。
意識がぷつりと途切れたかけたその時。
菖蒲原の耳元へ、とびきり甘い囁きが、残酷に響いた。
「ばいばい、八十六番目♡」
菖蒲原 逢賭(24)
-GAME OVER-
死因:窒息死
✳︎ ✳︎ ✳︎
【55:20】
【55:19】
【55:18】
「|罪深《つみか》ちゃん、そっちの調子はどうだい」
「……別に、普通です」
「おっもしかして、ジグソーパズルは得意科目かな?」
「いえ別に。というか……そもそもそんな科目ありませんし」
「ははっ、確かにそれはそうだ」
百千切は退屈そうにピースを指先で弄びながら、肩をすくめる。
「はぁ、僕はもう飽きてしまったよ。どうもこういう地道な作業は性に合わない」
「……まだ始まって、そこまで経ってませんけど」
罪深は小さくため息を吐く。
「というか、このままここにいたら死にますよ。確実に」
「うーん、それは困ったなぁ」
その発言とは裏腹に、百千切の声色に一切の焦りは感じられない。まるで夕飯の献立でも迷っているかのような様子で、彼は摘まみ上げたピースをぼんやりと眺めている。
「僕は組み立てるより、|分解《ばら》す方が得意なんだ」
「は、はぁ……」
そんな緊張感の欠片もないやり取りを繰り返しているのは、青チームの不思議ペア。
|百千切《ちぎり》 |究《きわむ》、二十七歳。
そして、|地這滑《ちはずり》 |罪深《つみか》、二十歳。
二人はすでに、この|試練《ゲーム》の仕組みをある程度は理解しており、それぞれ別々の小部屋でジグソーパズルを組み上げている最中である。もっとも、理解したからといって余裕があるわけではない。室温はじわじわと上昇し続け、肌にまとわりつく熱気は確実に体力を奪っていく。
にもかかわらず、百千切の声色には、どこか場違いなほどの軽さがあった。
「それにしても、ここは暑いねー」
百千切は突然、ふと思い出したように呟いた。
「罪深ちゃんは、だいぶ厚着してたけど大丈夫かい?」
「……はい。どうぞお構いなく」
「気を付けてね。人間の身体は思っているよりずっと脆いから。体内の水分を10%失っただけで、重度の意識障害を起こし始める。判断力は鈍り、視界は歪み、気づけばポックリあの世行きさ」
「……」
「ま、|闇医者《こっち》側からすると、そういう状態の人間は扱いやすくて助かるけどね。ハハハ!」
「っ……さっきから馴れ馴れしいですよ。余計な話ばかりしてないで、今はパズルを完成させることに集中して下さい」
「ハハ、ごめんごめん。どうしても、キミの事が気になってしまったからさ」
「……はい?」
さらりと言いのけられたその一言に、罪深の手がほんの一瞬止まりかける。
「なんなんですかっ……私をからかってるんですか?」
「まさか。僕はただ、罪深ちゃんのことをもっとよく知りたいだけさ。こんな風に、二人きりでじっくり話せる機会も、そうはないだろう?だから教えてよ――」
一瞬の間を置いた後。
「キミの左腕にある”傷痕”は、自分でつけたものかい?」
「……ッ!?」
互いの姿は見えていない。にも関わらず、罪深は反射的にまくっていた袖を急いで引き下ろした。
「な、何のことを言っているのか、さっぱり分かりません」
「最初の部屋で有毒ガスが撒かれた時があっただろう」
百千切は、罪深の動揺など気にも留めず淡々と続ける。
「皆が混乱して大変だったあの時――たまたま見えちゃったんだよね」
「……」
「リストカットとは、違うんだよなぁ」
「やめて……」
罪深の静止もお構いなく、百千切はなおもぺらぺらと語る。
「誰のせいかは分からないけど、可哀想に」
「もうやめて……!」
「そう、あれはまるで――長期間拷問でも受けていたような傷痕だった」
バァンッ!!
その時だった。
とうとう我慢の限界を迎えた罪深が、机の上を強く叩いた。
「いい加減にしてくださいッ!!」
スピーカー越しにも分かるほど、その声は震えていた。
怒りか。恐怖か。羞恥か。
踏み込まれたくない場所を、土足で荒らされたような屈辱か。
「人のプライベートにずけずけと……何様のつもりですか!いいから私のことは放っておいてください!」
荒い呼吸が、熱気に混じって小部屋に響く。
「――だめだよ、罪深ちゃん」
だが、返ってきた百千切の声は、対照的にあまりにも穏やかだった。
「キミは僕の”研究対象”なんだからさ」
ぞくっ。その一言に、罪深の背筋がひやりと凍りつく。
感情という色が一切乗っていない、無色透明のガラス越しに覗き込まれているような、ひどく無機質な声。
「…………いや……いや……嫌嫌嫌…………」
「何もとって喰おうなんて訳じゃない。少なくとも僕は罪深ちゃんの味方さ」
罪深の指先から、持っていたピースが滑り落ちる。
「だから教えてよ。ここに来るまでの、キミの過去を全て――」
その言葉が、最後まで発せられるより早く。
スピーカー越しに返ってきたのは、あまりにも予想外な一言だった。
「チッ……!いつまでもゴチャゴチャうっぜーーーんだよセクハラモヤシ野郎ォ!!!」
「え……?」
荒く、刺々しく、今にも喉笛に噛みつかんばかりの怒声。
それはついさっきまで震えていた罪深のものとは、まるで別人の声だった。
「コッチが大人しくしてりゃあよォ!?テメェ藪医者だか竹医者だか知らねぇケド、診察気取りしてんじゃねーよゴラァッ!!」
「ど、どうしたんだい、罪深ちゃん……」
ここにきて初めて、百千切の声に明確な困惑が滲んだ。
「あぁ?ウチは罪深じゃねぇっ!|罰深《ばつみ》だッ!」
「え……え……?罰深ちゃん?」
「ちゃん付けすんなぶっ殺すぞゴラァッ!!」
バァンッ!と再び机を叩く音が響く。
「ごめんよ。悪かったから、少し落ち着いて教えてくれ」
これ以上事態を混乱させないために、百千切は珍しく慎重に言葉を選ぶ。
「罰深さん、罪深ちゃんはどこに行ったんだい?」
「あぁ?罪深なら隅っこの方でうずくまってんよ」
「隅っこ?」
「あぁ。こうなったらしばらくは出てこねぇ。だからウチがこうして出てきてやったんだろーが!!」
その言葉を聞いて、百千切は数秒だけ沈黙すると、やがてどこか納得したように小さく息を漏らす。
「なんなとく分かってきたよ。君は、罪深ちゃんの別人格みたいなものだよね」
「ああ、それがどうした」
「なるほど、二重人格……これまた珍しい……あぁいけない、もっと君に興味が湧いてきたよ」
「何勘違いしてんだ。ウチらは二重人格なんかじゃない」
「え?」
罰深は吐き捨てるように、決定的な事実を告げた。
「七人だ。ウチらは――全部で七人いる」