「それは、あんたが取り決めていい事なんすか? 勝手に」
「なに言ってんさ? ずっと前から委任されてるよ、その辺りの差配は」
「組織の体面とかは」
広い視野で見た場合、集団の基盤に纏(まつ)わる汚点は、早々に取り除いておくのが得策だ。
これを放置したとあっては、看板に傷がつくばかりでなく、下手をすれば足をすくわれかねない。
「そんなもん、若い子が心配することじゃないよ」
「俺も一員すよ」
「逃げたのにかい?」
「そいつは……」
長年の荒業(あらわざ)が祟り、かの中枢には各方面から及ぶ計り知れない怨恨が、山のように積もりに積もってる。
転覆を目論(もくろ)む輩なんぞ、それこそ星の数ほどいるだろう。
何より、現在は獅子身中の虫が、陰で策動している最中だ。
どのような形であれ、隙を見せてはいけない。
また、天の動向も気にかかる。
この機に乗じ、どんな手を打ってくるか知れたものじゃない。
もちろん、それらを顧(かえり)みず、さっさと逃げ出した俺が言うことではないが。
いや、だからこそか。
頭を冷やして、分かった事がある。
「働きアリ……」
「あん?」
「働きアリのほうが、楽なんすね? 何かと」
結局のところ、歯車の一部としてせっせと立ち働くほうが、あらゆる面において気楽なのだ。
頭を空っぽにして、言われたことだけをやる。
七面倒な余事に、神経を費やす必要もない。
ちょうど、さっきの黒服連中がそうであったように。
ちょっと前までの俺が、そうであったように。
「私怨も混じってたろ? お前さんの場合は」
「え?」
「そんなら、単に働きアリっていうのとは、ちょっと違うんじゃないの?」
「……物の言いようでしょ、そいつは」
上司に立てる義理もなければ、同僚にくれてやる誼(よしみ)もない。
血狂いの連中が路頭に迷おうと、知ったこっちゃない。
ただ、そうなった場合、自分を赦(ゆる)すことが出来るのかと言うと、これについては自信がなかった。
もちろん死にたかないし、交誼もない連中のためにと考えると、なおさら向かっ腹(ぱら)も立つ。
だが、どのような形であれ構成員を“生かす”歯車の大元、あの人の体面を、こんな小っぽけな命と引き換えに、守ることが出来るなら。
「嫌(や)な事からは、とことんまで逃げな」
「へ?」
「いや、お上(かみ)の受け売りだけどね? “自分の心を大切にするってのは、そういう事だよ”って」
「心………」
何とも、あの人らしい言いまわしだと思った。
彼女の眼は、いつだって遠くを眺めるように、人の内面を見つめてた。
数多くの人員を抱える組織のトップともなれば、個々の為人(ひととなり)を見澄ます鑑識眼が必要になってくるのは当然だ。
それが切った張ったを主軸にするような、胡乱(うろん)な機構を掌(つかさど)る立場であれば、尚のことだろう。
『恋情ってのは、そんなに消えにくいもん?』
しかし、あの人が本当に心(それ)を理解していたのか、未だに疑問の余地が残る。
「あんた惚れてたろ? あの人に」
「は? なんすかそれ?」
「身のほど知らずは良いけどさ、怖いもの知らずは程々にしときなさいよ?」
「……他所(よそ)でやって下さいよ、そういう話は」
こちとら、高嶺の花に手を伸ばすような身のほど知らずではないし、それと知りながら毒の花に触れるような命知らずでもない。
いや、直近の二件を省(かえり)みても、後者の気(け)は少なからず。
もちろん、摘み取ってどうこうしようって腹はさらさら無い。
いわば度胸試しの一環か。
最前の件については、もうすこし込み入った事情に加え、彼女の言うとおり私怨もあった。
あとの一件に関しちゃ、なんだろうな?
ちょうど、子どもがうっかりと触れてしまわないように。 どっかのバカに踏みつけられない内に。
辺りの土ごと他所へ移してやろうと思い立つような、何とも偽善めいた心持ちが混じっていたのかも知れない。
ともあれ、そこはやはり毒の花なわけだ。
どっちの件でも同じく、手痛いしっぺ返しを被(こうむ)る運びとなった。
ふと、おかしな考えが浮かんだ。
身のほどを弁(わきま)えず、高嶺の花に手を伸ばそうとした輩が、偶(たま)さか足を滑らせて落っこちたとする。
それは花のせいか?
命知らずな奴が、素手で毒花を摘もうとして大ケガをした。
果たしてそれを、花の罪過と言えるのか?
「まぁ、件(くだん)の裏切り者があんたに目ぇつけたワケ、何となく分かるよ」
「……単細胞ってことっすか?」
「卑下(ひげ)すんじゃないよ。 単に思い込みが激しいんだ。 一途なんだね、顔に似ず」
「勘弁してくださいよ……」
そんな思い込みの激しさを利用される形で、みっともない八つ当たりを演じた。
“ダサい奴”と、相棒が唇を尖らすのも無理はない。
「あんたを走らせたの、幹部連の誰かだと思うかい?」
「文書はマジもんでした。 そもそも改竄はできねぇはずだ」
犯人像をしぼり込むには、いまだ判断材料に乏しく、大まかな憶測に頼るしかない。
第一に考えられるのは、組織(うち)とアイツが揉めて得をする奴。
「そんな奴、いると思いますか?」
「それは組織内にってこと?」
「えぇ、あり得ないっしょ? 普通に考えて」
万鈞の組織を大船に喩(たと)えた場合、アイツはこれに食ってかかる嵐そのものだ。
よもや沈没までは無いと思うが、荒れた海に投げ出されたが最後、乗組員は波涛に飲まれてお陀仏だろう。
ともすれば、やはり間者(かんじゃ)の類か。
最初から二心(ふたごころ)を忍ばせて、組織に入り込んだ。
いや、それについても理屈に合わない部分がある。
あの人の眼を誤魔化すことなど、どんな大うそつきにも出来っこない。
「とにかく、そっちの方は心配しなさんな。 うちらで何とかするからさ?」
「………………」
辺りを見ると、無秩序に配された住宅地の景観とは打って変わって、種々の店屋であったり、ごみごみとした雑居ビルが多く目に留まるようになっていた。
目的地は近い。
「でも気をつけなよ?」
「追っ手ですか?」
「あぁ。 なんなら組織(うち)で保護してやるって手もあるが」
「いえ、そこまでは」
敵の勢力圏が知れない以上、内も外もあまり大差はない。
何より、そこまで面倒をかけるのは、さすがに気が引ける。
そうした意固地を悟ったか、彼女は微妙な表情でくすりと笑んだ。
「ホントに変わったね? お前さん」
「お互いさまでしょ。 そいつは」
変われば変わるもの。
打ち解けたと表すには語弊があるが、まさかあのボスと、こんなやり取りをする日が来ようとは。
きょうの糧を得るため、血眼になって立ち働いていた頃には、まったく想像だにしない事だった。
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