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#フライギ
にもあえ
229
葉菜
26
それはまだ想像でしかない。
だが初めて、その未来が現実になるかもしれないと思えた。
設計図を見終えたあともしゆらはどこか落ち着かない様子だった。
耳の赤みは引いている。
だが完全ではない。
何かを考え込んでいるようでもあり、少しだけ機嫌が良いようにも見える。
「しゆら」
名前を呼ぶ。
ぴくりと肩が揺れた。
「は、はい」
「次はこっちだ」
設計図の別の部分を指差す。
するとしゆらは小さく咳払いをしてから、いつもの真面目な顔へ戻った。
だが誤魔化せていない。
どうやら褒められ慣れていないらしい。
その様子が少し面白かった。
もっとも、本人へ言えばまた赤くなるだけだろう。
「ここですか?」
しゆらが紙へ視線を落とす。
そこには居住区の配置が描かれていた。
防壁や見張り台と違って派手さはない。
だが実際に暮らすなら一番重要な場所だ。
「住居を先に作るべきだと思います」
しゆらが指先で区画をなぞる。
「怪我人もいますし、子供達もいますから」
「同感だ」
俺も頷く。
倉庫も必要だ。
防壁も必要だ。
だがまずは生活基盤である。
雨風を凌げる場所がなければ始まらない。
そんな話をしているうちに、周囲では既に作業が始まっていた。
半魔達は切り出した石材を運び込み、魔獣達も荷車代わりに資材を引いている。
北方森林群の生存者達も加わり始めていた。
誰かに言われた訳ではない。
それでも自然と動いている。
その光景を見ながら、ふと研究所時代を思い出した。
大規模な施設を建設する時、人間達は膨大な手順書を作る。
担当を決める。
責任者を決める。
許可を出す。
確認を取る。
そうしてようやく動き始める。
だがここには何もない。
許可も。
役職も。
規則も。
それでも動いている。
むしろ驚くほど効率良く。
「長のおかげでしょうか」
しゆらが呟く。
視線の先には大和がいた。
相変わらず地形を確認しながら歩いている。
だが面白いことに、誰もが大和へ報告へ行く。
採石場の位置が決まった。
川の流れを調べた。
見張り台の場所を決めた。
そういった話が自然と集まっていた。
大和は指示を出しているようでいて、実際には住人達の判断を整理しているだけだ。
それなのに全体がまとまっていく。
不思議な男だった。
「長だからじゃない」
思ったままを口にする。
「信頼されてるんだ」
しゆらが少しだけ微笑む。
「そうですね」
その時だった。
遠くから大きな音が響く。
振り返る。
案の定だった。
千代である。
巨大な岩が転がっている。
いや。
転がしたのだろう。
本人が。
「これで足りるかの!」
山の向こうからそんな声が聞こえる。
足りるどころではない。
一軒家くらいありそうな岩だった。
「またやってるな」
思わず呟く。
しゆらも苦笑している。
その少し後ろでは大和が額へ手を当てていた。
珍しく困っているように見える。
どうやら千代の行動は大和にとっても想定外らしい。
だが本人は満足そうだった。
住人達も慣れているのか誰も驚いていない。
むしろ、
「千代殿ー!」
「もう一個頼むー!」
などと声を掛けている。
完全に重機扱いだった。
「すごいですね」
しゆらが感心したように呟く。
「何がだ」
「皆さんです」
そう言いながら周囲を見る。
作業をする半魔達。
資材を運ぶ魔獣達。
走り回る子供達。
指示を出す大和。
そして巨大な岩を運んでくる千代。
「まだ何も完成していないのに」
しゆらは少しだけ目を細める。
「もう帰ってきたみたいです」
その言葉に周囲を見回す。
石しかない。
建物もない。
防壁すらまだない。
それでも。
確かに少しだけ分かる気がした。
人がいて。
笑い声があって。
前を向いている。
それだけで場所は少しずつ形を持ち始めるのかもしれない。
そしてその中心には、いつの間にか一枚の設計図があった。
しゆらが描いた未来図は、もう紙の上だけのものではなくなり始めていた。
その変化は思ったより早かった。
半魔達の行動力が予想以上だったのだ。
翌日には採石場が形になり始め、その翌日には切り出された石材が次々と運び込まれるようになった。人間なら数週間は掛かりそうな作業を、彼らは数日で進めてしまう。
もっとも。
その理由も分からなくはなかった。
「千代殿! そっちはもう終わった!」
「終わったぞ」
「まだ三つしか運んでないんだけど!?」
「遅いの」
そんな会話が聞こえてくる。
振り返る。
やはり千代だった。
一人だけ作業量がおかしい。
他の半魔達が数人掛かりで運んでいる石材を、千代は当然のように一人で担いでいる。しかも本人は手伝っているつもりらしく、周囲から感謝されるたびに少し照れながら次の岩を探しに行くのだから始末が悪い。
「あれでは比較にならぬ」
近くでその様子を見ていた榊が苦笑する。
「北方森林群でもあそこまで力が強い者はおらん」
「安心した」
思わず本音が漏れる。
あれが半魔の標準性能だったら人類はとっくに滅んでいる。
しゆらも小さく笑っていた。
その手には相変わらず設計図が握られている。
今では住人達も自然としゆらのところへ相談に来るようになっていた。
住居をどこへ建てるか。
水路はどこへ通すか。
見張り台はどこが良いか。
最初は俺へ聞きに来ていた内容も、最近ではしゆらへ直接持っていく者が増えている。
本人はその度に慌てているが、説明は分かりやすいし判断も早い。
結果として自然と人が集まる。
「しゆら殿!」
案の定だった。
採石場の方から若い半魔が駆けてくる。
手には簡単な地図が握られていた。
「ここへ倉庫を作る話だったが、本当にこの位置でよいのか?」
しゆらはすぐに図面を開く。
質問を受ける時の顔は真剣そのものだった。
先程まで照れていた人物とは思えない。
「少し待ってください」
地図と設計図を見比べる。
周囲の地形を確認する。
そして。
「こちらの方が良いと思います」
そう言いながら位置を修正した。
理由も説明する。
搬入経路。
防壁との距離。
避難時の動線。
それらを順番に説明されると納得するしかない。
半魔も感心したように何度も頷いていた。
やがて礼を言うと、再び走っていく。
その後ろ姿を見送りながら、少しだけ笑ってしまった。
「随分頼られてるな」
そう言うと、しゆらは困ったような顔になる。
「皆さんが優しいだけです」
「違うな」
即座に否定する。
しゆらがこちらを見る。
「ちゃんと見てるからだ」
そう。
住人達は優しい。
だがそれだけではない。
役に立たない意見なら採用しない。
ここにいる全員が生きるために動いているのだから当然だった。
だから今、人が集まっているのはしゆらの考えが評価されているからだ。
その事実を口にすると、また耳が赤くなるので言わないでおいた。
代わりに図面へ視線を戻す。
そこにはもう無数の書き込みが増えていた。
最初の設計図とは少し違う。
住人達の意見が加わり。
半魔達の経験が加わり。
北方森林群の知識も加わっている。
一人の設計図ではなくなり始めていた。
そして。
その変化を一番嬉しそうに見ていたのは大和だった。
少し離れた高台から作業風景を眺めながら、住人達が相談し合う様子を静かに見守っている。
指示は出さない。
急かしもしない。
それでも全体は動いている。
誰かが困れば別の誰かが助ける。
知識がある者は知識を出す。
力がある者は力を出す。
気付けば集団そのものが一つの生き物みたいになり始めていた。
「予紬さん」
しゆらが小さく呼ぶ。
「なんだ」
「少し楽しそうですね」
そう言われて初めて気付いた。
確かに楽しかった。
研究所で設備を設計していた頃とも違う。
もっとずっと直接的だ。
図面の線が現実になっていく。
人が住む場所になる。
守る場所になる。
それを自分の目で見ている。
「そうかもしれないな」
そう答えると、しゆらも少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑顔の向こうでは、まだ骨組みだけの見張り台が組み上がり始めている。
石壁も。
住居も。
鍛冶場も。
何一つ完成していない。
それでも誰も焦ってはいなかった。
初めてだったからだ。
失わないために何かを作るのが。
逃げるためではなく、ここで生きるために前へ進むのが。
だから誰も気付いていなかった。
この建設が、後に国造りと呼ばれる長い道のりの最初の一歩になることを。
コメント
1件
うわああああ第31話も尊すぎる!!🥺💕 しゆらちゃんの褒められ慣れてない感じとか、照れ隠しの真面目顔への切り替えがもう可愛くて仕方ない…! しかもみんなが自然と集まって動き出す「場」の空気、予紬さんの「信頼されてるんだ」が沁みた〜。千代ちゃんの重機化エピソードも毎回安定の破壊力だし(笑)。まだ何も完成してないのに“帰ってきたみたい”って感じるの、すごく分かるよ…この一歩が国造りの始まりになるって終盤の一文で鳥肌立った! 次話も楽しみにしてるね⋆♡