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詩くん、今日も……付き合ってほしい」
ぽつんとした声が、雨を含んだ山の空気に混ざった。
日菜子は詩の顔を見ないまま、前を向いていた。
「……今日は、うちに着いてきてほしい。
お姉ちゃんが……呼んでる気がするから」
言い終えると、そっとリュックを開けた。
中から取り出したのは、一枚の小さな写真。
姉と並んで笑っている――あの日のままの二人。
指で、姉の顔をなぞる。まるで、そこに触れられるように。
「……なんかうち、金の角のカタツムリ、探さんでも
スッて現れてくれる気がするんよね」
詩はすぐに返事をしなかった。
けれど、息を吐くように言葉を返す。
「そんな簡単に、現れへんよ」
ふたりは、雨に濡れた急な山道を歩いていた。
空は灰色で、遠くで雷がゴロゴロと唸っている。
ぬかるむ土の感触が、足元にまとわりつく。
「雷、やばいの」
「ここまで来てやめるん?」
「誰もやめるなんて言っちょらんわ」
空を見上げた。
「山やし、雷落ちそうよな……」
「落ちたら、俺……助けられへんで」
「なにそれ……助けてや」
「無理。不器用やけん」
「うちの命、軽すぎるやろ……
……あっ」
一瞬、足元が崩れる感覚。
そのまま、身体が宙に浮いた。
「日菜子っ!!」
詩の声が遠くなる。
「……っ!」
転がる。滑る。回る。
枝が肌をかすめ、泥が服に貼りつく。
上を見上げると、詩がこちらを見下ろしていた。
どんどん小さくなっていく顔。
(……ここで、人生終わるんかな。
いややなあ……)
「……いたっ……」
空気が重たい。肺が痛い。
けれど、はっきりとわかる。
(うち……まだ、生きてる)
全身が痛む。足が、動かない。
雨はやんでいた。雷も、遠くへ消えていた。
空は、思ったより明るい。
「詩……おらんし……
詩迷子なってないかな…その前にうちがなんとかしな……」
泥の上に手をついて、身体をゆっくり起こす。
重たい空気の中、何かが――目に映った。
「……え……なに、あれ……」
草むらの向こう。
そこだけ、光っていた。
やわらかい光が、草の葉からあふれ出ている。
その葉のまわりには、小さなカタツムリたちが集まっていた。
ゆっくりと歩く。踏まないように、そっと。
そして、その中心に立った瞬間――
「……これっ……!」
目を大きく見開かれる。
「金の……角のカタツムリ……っ!!」
涙が、ぽろぽろと落ちた。
胸が、じんわり熱くなる。
「……お姉ちゃんが……
どうか……笑っていますように……っっ……!」
そう叫んだ瞬間、
空のどこかで――雷が、ひとつだけ、落ちた。