77 ◇ありがとう
『哲司くんが今度いつこちらに戻ってくるかは分からないけど、彼と会ったら
開口一番お礼を言わなくちゃ……』
そんなふうに最初は考えていた雅代だったが、もし今週末哲司がこちらへ
足を向けなければと考えると居ても立っても居られなくなるのだった。
明けて……
翌日が土曜日で午後から雅代はちょくちょく外を覗くのだが哲司の姿を
見ることはなかった。
それでその晩、雅代は哲司にひとまず手紙をしたためることにした。
日曜に会えればそれでよしっ、口頭で伝えられる。
そして日曜にも会えなければ、月曜を待って郵便局へ走ろうと決めて。
◇ ◇ ◇ ◇
その頃、哲司は仕事の疲れが出たのか体調不良だったため、帰りたいのは
やまやまだったけれど実家への帰省を見送っていた。
ここのところ、雅代と再会をしたことで毎週のように実家へ帰省していて
それも疲れの一因であったかもしれない。
休日はゆっくりして元気になってまた帰省すればいい、雅代に会えない寂しさは
あるもののそんなふうに哲司は自分を納得させていた。
そんな中、寂しい気持ちが届いたのか?
なんと、哲司の元へ雅代から手紙が届く。
********
そこには
『北山製糸工場の北山温子という女性から求人に対する
面接日の知らせが封書で届きました。
聞くところによると哲司さんが私のことを勧めてくれていたそうですね。
ご助力感謝します。本当にありがとうございます。
感謝してもしきれないわ。面接頑張ってきます』
との旨が綴られていた。
哲司は読み終えた手紙をぎゅっと握りしめた。
あの時、温子は先で『求人があれば……』みたいなニュアンスで話していたが
実際には雅代のことを案じて? すぐに動いてくれたのだ。
もう残念なことに「元」が付いてしまったが、温子は本当に
できる人間なのだと、改めて思い知らされる哲司だった。
「ありがとう」
誰にも届かない、小さな声だった。
それでも、哲司は窓際から見える空に向かって、そう呟いた。
――――― シナリオ風 ―――――
◇雅代の焦燥と手紙
〇雅代の実家/大川家 土曜の夕暮れ~夜
雅代、玄関から何度も外を覗く。
けれど哲司の姿は見えない。
雅代(心の声)
「……今日も来なかった。
明日も会えなかったらどうしよう。
どうか明日は会えますように」
火鉢の前に座り、筆をとる雅代。
真剣な表情で手紙をしたためる。
雅代(N)
「日曜に会えれば直接伝えられる。
会えなければ、月曜に郵便局へ走ろう。
そう雅代は決めた」
〇哲司の家(義両親と暮らす自宅) 冬の午後
哲司、布団に横になり咳をする。
机の上に手紙が置かれる。
哲司(N)
「疲れと体調不良で、この週末は帰省を見送っていた哲司。
寂しさを抱えつつも、休養を優先していた」
(封を開ける哲司。目を走らせると表情が変わり、次第に強く紙を握る)
雅代からの手紙
『北山製糸工場の北山温子という方から面接日の知らせが届きました。
哲司さんが私のことを勧めてくださったとか……ご助力に感謝します。
本当にありがとうございます。面接、頑張ってきます』
読み終えた哲司、窓の外の空を見上げる。
哲司(小さく呟く)「……ありがとう」
その声は誰にも届かない。
ただ、冬空に溶けていく。