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ぼんやりと過去を想う彼の表情が意外にも穏やかで、なんだか少し胸がざわついた。
政略結婚だなんて言っても、やっぱり情はあったと思う。
そして、その情の中には、紛れもなく愛情もあった。
「現実に、かな。誰も悪くないのに、誰も幸せになれないことに、怒ってた。あんな風に感情的に泣く彼女を、見たのはあの時限りだな。散々泣いて……怒って、その後はまた冷静に話し合った」
「そして、離婚?」
「結果的には、な」
「別れたくなかった?」
「俺と別れても、また親が縁談を持ってくるだろうから、それなら気心の知れた俺と夫婦でいたいって……言われた」
結亜さんには、同情しかない。
彼女の親は、どうして可愛い娘を子供を産むマシーンのように扱えるのか。
「それもありかと思ったのは事実。けど、結亜はまだ若いのに、セックスもできなければ子供も持てないんじゃ、不幸すぎるだろ。それに、親には本当のことを言わなかったから、子供を催促されるのにも疲れてた」
「鬱っぽく……なったって」
前に聞いた気がする。
「うん。心療内科に通ってた。で、そこで紹介されたアニマルセラピーってので、今の旦那と知り合ったんだ」
「え?」
「獣医だって。結亜を元気にしてくれた彼には感謝しかないよ」
本心だろう。
穏やかにそう言った匡の表情から、見て取れた。
なんとなく間があって、私たちはその間をやり過ごすようにコーヒーをすすった。すでに冷めかけていて、私も匡も二口目はなかった。
「で、さ」
「うん?」
「気づいたと思うけど、EDはもう治ってるんだ」
「うん。……離婚してストレスから解放されたから?」
「いや」
「……」
匡が自分の首をさすり、唇を結んで目線を下げた。
「治ったの、つい最近なんだ」
「……そう」
皮肉なものだ。
匡のEDが治ったタイミングで再会するなんて。
もし、再会した時に治っていなければ、私たちは同級生として他愛のない会話をして別れたのだろうか。
匡が私との再会を懐かしんでくれたとしても、飲み過ぎた私を介抱してくれたとしても、それ以上はなかった。
自焼け木杭だって、匡も言ってたし……。
何となく卑屈な気持ちになり、ソファの上で膝を抱える。
「治ったの、いつだと思う?」
「え? 知らな――」
「――病院で千恵を見た瞬間」
「病院?」
「正確には、お前の声を聴いた瞬間」
「なに、それ」
「前に言ったろ? 病院で柚葉を見て病室までついてったって。それまでは、正直確信が持てなかったんだ。見かけたのが本当に千恵かどうか。けど、柚葉を見つけて、ついて行って、病室の中からお前の声が聞こえて……勃った」
想像してしまった。
病院のどこかで柚葉を見かけ、尾行ている時、看護師さんや患者さんに不審がられなかったのだろうか。
病室の前で立ち止まり、じっとして、私の声を聞いたとたんに勃ったなんて、どんな恥辱プレイだ。
恥ずかしいのを通り越して、呆れるというか、大丈夫だろうかと心配になる。
匡はテーブルに片肘を立てて手の平に顎をのせ、ふいっと視線を逸らした。
「俺だって信じらんなかったよ」
「でしょうね」
「けどさ、何年もまったくピクリとも反応しなかったのに、声だけで……とか、なんかもう……無理だろ」
「なにが」
「お前以外の女なんてあり得ないだろってこと!」
口元は隠していたけれど、真っ赤な耳と首は全然隠せていなくて、私はそれを見て嬉しくなった。
いつも余裕の表情で、挨拶するように口説かれて、なんで今更って疑問が拭えなかった。
十六年ぶりに再会して、酔ってセックスするなんて、ノリでしかない。
だけど匡は、強引だけど私の嫌がることはしなかったし、ノリだけで東京まで来るほどバカな男でもない。
「ねぇ、匡」
「ん」
「本当に治ったの?」
「なにが」
「ED」
「疑う余地、なくね?」
「私じゃなくても?」
「は?」
匡が口を覆う手を放し、私を見る。
「私じゃなくても勃つようになっちゃった?」
「千恵?」
「私以外の女ともデキるようになっちゃったら、私じゃなくても良くならない?」
離婚する時、紀之に聞いた。
相手が妊娠しなかったら離婚したか、と。
子供ができなくても私と離婚して、相手と結婚するつもりだったと言ってくれたら、すんなり納得できた。
けれど、紀之は少しも迷わずに否定した。
子供ができなければお前と離婚する理由なんてなかった、と。
私にだって子供がいる。二人も。
なのに、どうして私が捨てられるの?
意味が分からなかった。
私を嫌いになったのなら仕方がない。
でもそうじゃないなら、なんで?
浮気された人は、男も女も関係なく思うだろう。
『なんで?』
ずっと思ってた。
どうして私は捨てられたのだろう。
彼の子供を産み育ててきた。
浮気も目を瞑ってきた。
やっぱり、若さだろうか。
新しい生命?
答えのない疑問ばかりが浮かんでは消え、増えていく。
本当は答えを知っている。
紀之にとって、私はその程度だった。
私の代わりがいたら、私じゃなくてもいいと思える、その程度。
「俺を元旦那なんかと一緒にするなよ」
匡がテーブルに身を乗り出し、顔を寄せる。
「十六年だぞ。十六年も忘れられなくて、頭で考えるより身体が反応しちまうレベルでお前を求めてんだぞ。理屈じゃない、本能でお前を欲しがってんだよ! 他の女相手にお前を重ねるくらいなら、お前を抱くに決まってんだろ。俺でさえ呆れるほどお前しか考えらんないんだから」
言われてることはなんだかさっぱり格好がつかないのに、嬉しいだなんて私もどうかしてる。
「匡。私、浮気されたら嚙み千切るから」
「……は?」
私もテーブルに両手をついて匡に顔を寄せる。
「絶対、するから」
「な、何の宣言だよ」
「その覚悟で結婚して!」
「は!?」
「私に噛み千切られてもいいってくらいの覚悟で、結婚して」
「え、それってフェ〇はしません宣言……的な?」
匡が身体を引き、ついでに表情も引きつらせる。
「どうしてそうなんのよ」
私は手を伸ばし、匡のシャツの襟ぐりを掴んで引き寄せる。
「浮気さえしなきゃ、最高に気持ち良くしてあげるわよ!」
言い捨てて、噛みつくように唇を重ねた。
私から匡への、16年目のKiss。
ありったけの愛してるの気持ちを込めて、息もつけないほどのKissを捧げた。