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「観覧席のみなさーん! このあともう一週分、撮りまーす! 最後まで参加していただけたら、オリジナルグッズのプレゼントありますからねー!」
一段落して緩みかけたスタジオに、不自然に明るい声が響き渡る。
「──結局、物で釣るんやな」
リコは冷めた思考でそう吐き捨て、すぐに考えるのをやめた。
思考を止めなければ、腹の底で燻るドロリとした感情が溢れ出してしまいそうだった。
「春の☆湯煎式さん、イナリズシさん、オールアップです! お疲れさまでしたー!」
スタッフが張り上げた声と共に、儀礼的な拍手が起こる。
まばゆい照明が最小限に落とされたスタジオには、行き場のない熱気だけが澱みのように取り残されていた。
寿司子は、魂が抜けたような顔で他の出演者やスタッフに何度も深く頭を下げた。隣に立つリコは、奥歯が砕けそうなほど強く噛みしめ、拳を握りしめていた。
控室へ戻ろうとした、その途中だった。
スタジオの出口付近で、わざとらしいほどゆっくりと拍手をしながら近づいてくる影があった。
「お二人さん、お疲れさま! いやあ、おかげで番組は大成功ですよ。ほんと、良かった」
プロデューサーの藤原だった。その顔には、自分たちが『差し出された生贄』だった事など微塵も気にかけていないような、無垢な笑みが浮かんでいる。
寿司子は視線を上げることができず、床の継ぎ目を凝視していた。しかし、リコだけは違った。煮え返るような視線で、正面から藤原を睨み返した。
「……何が大成功や。ウチら、ただの当て馬やんか……」
一瞬、空気が凍りついた。
藤原の眉がピクリと動き、貼り付いた笑顔の裏から冷淡な光が漏れ出す。
「……ごめんねぇ。プライド、傷つけちゃったかな?」
その傲慢とも感じられる言葉を遮るように、二人の間にすっと細い影が割り込んだ。
マネージャーの猫田だった。
彼女は藤原に向かって、迷いのない所作で深々と頭を下げる。
「藤原さん。うちの若手のために、多大なるご尽力、誠にありがとうございました」
「猫田さん……っ」
リコの声が詰まる。猫田の卑屈とも取れる態度が許せなかった。
しかし、藤原はどこか気まずそうに鼻を鳴らした。
「いやいや、たまたまですよ。春の☆湯煎式が呼べたのも。それじゃ、たまたま。ほんと、たまたま……ははは」
言い訳を繰り返すように呟きながら、藤原は逃げるようにステージの方へと消えていった。
残された三人の間に、重苦しい静寂が落ちる。
──控室
バタン、とドアを閉め、鍵をかける音が不吉に響いた。
「……あなたたち」
猫田が冷徹な声で口を開く。
「あのネタを、そのまま放送してたらどうなってたか分かってる?」
「……炎上、ですか」
寿司子の消え入りそうな声で返す。
「そうよ。叩かれて、燃えて、テレビどころかライブにさえ呼ばれなくなる。……まさか、なんて思わないこと。そんなふうに消えていった芸人を、私は山ほど見てきたわ」
猫田の言葉は淡々としていた。それが余計に現実味を帯びて、寿司子の背中にぞわりとした鳥肌を立てる。
「そのうちネットにまでアンチがつきまとって、いつの間にか名を聞かなくなる……。だから、『本人が登場して許してあげる』という演出が必要だったのよ」
リコは反論できず、黙って聞いていた。猫田の視線が、すっとリコを捉える。
「全国放送とはいえ、こんな低予算の番組に、覇権を取ったトップアイドルを呼べると思う? ……藤原さん、相当、あちこち頭を下げ回ってたはずよ」
「………」
二人とも、そんな藤原の姿を想像して言葉が出ない。
「あとね、藤原さんが主催のあのライブ。ほとんど藤原さんが自費でやってるの」
「え?なんで……?」
寿司子は顔を上げ、思わず聞き返した。
「誰よりも、若手芸人を応援しているからよ」
一拍置いて、猫田は静かに続けた。
「この業界ね、悪意に敏感になるスキルは必要。でも──、悪意に見える『善意』を見逃すと、一生損をすることになるわよ」
踵を返し、ドアへ向かう猫田。
「事務所に報告してくるわ。早く着替えなさい」
ドアが閉まり、二人きりになった瞬間。
糸が切れたように、寿司子はその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
「私……もう芸人、やめたい……」
「……寿司子」
「私のわがままで……藤原さんにも、春の☆湯煎式さんたちにも……リコにまで、迷惑かけた……っ」
ほんの少しの間、寿司子の鼻をすする音だけが控室に響く。
リコの怒号が、狭い控室に爆発した。
寿司子が驚いて顔を上げる。リコの顔は、怒りと情熱が混ざり合った、凄まじい表情をしていた。
「芸人って、そういうもんやろ! 恥かいて、泥すすって、利用されて……それでも、みんな笑ってたやろ!? コントも、本人登場も、あんたの土下座も! ドッカンドッカン、ウケてたやんか!」
リコは寿司子の肩を掴まんばかりの勢いで身を乗り出す。
「それでええんや! コケにされても、周りに迷惑かけたっても、ウチらは──芸人やろ!!」
「……リコ」
「せやから……もう『やめたい』なんて言わんとって!」
寿司子の瞳から涙が溢れる。その時だった。
コン、コン。
予期せぬノックの音に、リコが肩を震わせる。
「なんや、猫田さん、忘れモンか?」
リコが乱暴にドアを開けようとする。
「すんまへん、まだ着替えが終わって──」
だが、言葉は途中で凍りついた。
ドアの向こうに立っていたのは、マネージャーではない。
──「春の☆湯煎式」のリーダー、アカネだった。
「お疲れのところ、ごめんね?」
アカネが、苦笑いを浮かべて頭を下げる。
「うちのバカが、どうしても一言言いたいって、きかなくって……」
その横から、荒々しい足音を立てて強引に室内へ踏み込んでくる影。
リソだった。
彼女は、蛇に睨まれた蛙のように硬直する寿司子を、鋭い視線で射抜く。
「……ちょっと。誰に断って、アタイのモノマネなんかしてくれちゃってんの?」
控室の空気が、キリキリと音を立てて張りつめる。
この夜が、忘れられない夜になることを、寿司子はまだ知らなかった。
──続く
コメント
2件
次どうなるのか、 気になって仕方ないです。更新楽しみにしてます☺️