テラーノベル
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部屋に入った時の、冷えた空気が随分と暖められた。
坪井が声を詰まらせ静かに涙を流した時間など、ほんの数分の出来事で。けれど真衣香にとっては大きな愛おしさと、好きでいることの覚悟を再認識させられた大切な時間となっていた。
「……ごめん、痛かった?」
いつのまにか、抱き寄せられていた身体は解放されて、代わりに端正な顔が真正面からしっかりと真衣香を見つめる。
声を詰まらせ感情を昂らせた後だとは思えないほどに、穏やかな問いかけだった。
「うん、大丈夫だよ」
「……今更だけど今日会えると思わなかった」
ふにゃっとした、弱々しい笑顔を見せた坪井。それはまさに初めて見る種類の笑顔だった。
嬉しさや恥ずかしさを紛らわせるように、
「うん、ごめん、急で」
と。真衣香が改めて頭を下げると、両頬を包むようにして、それを阻止された。
そうしてグイッと優しく上を向かされて。
眉根を寄せた切なげが表情が、真衣香から目を逸らさない。
「違うよ、嬉しいって言ってる」
「坪井くん……あの」
「……嬉しいんだけどさ」
「え……」
徐々に顔が近づいて、唇が重なった、ほんの一瞬の軽いキス。
「よかったのかなぁって」
「な、にが……?」
突然触れ合ったキスに驚いて、気の抜けた声を返した真衣香に坪井が再び口付けた。先ほどよりも深く、唇を食べられているかのように包み込むキスだ。
「来てよかったのかな、ここに」
「ここに?」
「うん、俺のとこに」
坪井は心細そうに呟きながら、真衣香の首筋にゆっくりと舌を這わせ時々噛むようなキスを繰り返す。
そして少し上を向き、思い返すように、懐かしむようにゆっくり言った。
「俺、初めて会った時からお前のこと好きだったんだよね多分」
「初めてって……」
「この間の合コンじゃないよ、もちろん。新人研修の時」
新人研修……と、真衣香は心の中で復唱する。そして「そんな、まさか」と思ったままを口にした。
「喋ってもなかった……よね? 私たちって」
「はは、マジか。ひどいなぁ。二人きりになりたくて誘ったけど、即断られたし」
「……え、誰が」
「俺が、お前にね」
記憶がない真衣香は頭の中で何度も二年以上前の事を思い返そうとするけれど、全く記憶にない。真衣香に話しかけてくれた坪井のことを思い出せない。
唯一可能性があるとするならば。
「初日……も、もしかしたら……資料に書き込むの間に合ってなくて、あ、焦ってた時かな」
それしか思いつかない、と。恐る恐る言ってみると。
「あー、そうかもね、人事の人のとこ走って質問かな。行ってたし」
と、クスクスと笑いながら坪井はそう答えた。特に怒ってはなさそうでほっと胸を撫で下ろしていると。坪井は未だ着込んだままだった真衣香のコートを肩からずらし、脱がせていく。
「……そんな、焦ってるにも程があるよね、失礼なことしててごめんなさい」
「ううん、そーゆう話じゃなくてさ。当時は、俺、女の子誘って断られたこともなかったし衝撃だったんだけど……」
コートを脱がせ終わりソファの背もたれに掛けた後。
真衣香のニットに手を滑り込ませて肌に触れつつ坪井は、優しい声を返してきた。
「今考えると、焦って周り見えてなかったんだろうなぁて、考えたら可愛くてさ」
「可愛くは……ないと、思う」
「可愛いよ、あの頃からずっとお前のことが可愛かったんだよな俺は」
キッパリと言い切った後、再び唇が触れ合う。しかし今度は触れ合うだけではない。真衣香の小さな唇の隙間をこじ開け、坪井の熱い舌が口内を奥へと進む。
「ん……」
その舌に探るようにむさぼられ、真衣香の身体には甘い電流が流れたかのように。背筋に強烈な快感が刺さるように落ちた。
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